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【着物コラム】国際女性デーに考える、着物を着ていると感じる抑圧について


こんにちは、着物コーディネーターさとです。
今日は「国際女性デー」ですね。
「フェミニズム的」な日だと思っている方や、起源が気になる方は是非検索してみてください。
Googleのトップも国際女性デー仕様。
Instagramでもタグを使っての投稿数がとても多いんですね!正直びっくりしました。
「あんまり意識高い系の事を言うとSNSでは倦厭されがちかな?」
と思っていた時期もあったけど、私も投稿してみました。




なんでわざわざ今日この日に、この投稿をしたのかと言うと、
着物=おしとやかな日本女性の象徴として扱われる事が多く、
それを「当たり前の事」として扱われる事に対して、
違和感だったり、自分の気持ちとのギャップを感じる回数が非常に多いからです。

これを読んで下さっている方の中には、着物を着たことがない方もいるかもしれないので、
あんまりネガティブキャンペーンをしたくないのですが
着物を着ていることによって経験した「地獄」もあったので、
今日は私の「お気持ち」に寄り添い過ぎないように書いてみようと思います。


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念のために書いておくと、私は「着物を着てお上品な振る舞いをする事」には何とも思っていません。
私はそうじゃないなぁ、と思っているだけです。

着物を好きでいる方の中には
「着物を着るといつもと違う自分になれる」
「着物を着ると身のこなしが上品になる」と感じる方もいると思います。
そういう方々を否定する気は毛頭ございませんし、
好きの気持ちは千差万別だから、「みんな違ってみんな良い」んです。

平たく言えば、他者から「お上品」を強要されるのは違うよね?
という事です。


以前こんな記事も書いたのですが、
私は着物を自分のファッションとして自己決定しているだけです。

ただそれだけの事なのですが、
販売している側の人間から「日本人はやっぱり着物よね」と言われたり、
着物を着ているだけで「お酌して欲しい」と言われたり。

私は知らない方をおもてなしするために着物を着ていないですし、
「着る」というのはただの作業ですから、
「えっ?日本人じゃなくても着られるよね?何言ってるの?」って思っちゃうんですけど、正直言ってこれが現状なんですよね。

着物はおしとやかで上品な日本女性のファッションであり、おしとやかな日本女性は「和の心」で着物を着用し、着物を着ているのだからサービスとしておもてなしをするが当たり前なんです。

え?冗談じゃないわ。
私はおしとやかじゃなくていいし、下品で結構です!

と思い、ここ数年「そういう」言動や振る舞いをしていたら、
おもてなし的な事を要求されることは少なくなりました。
でも、全体数で見たらどうでしょう?きっとあまり変化していないと思います。

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着物って着用している人が極端に少ないので、
旅館の女将さんや仲居さん、銀座のナイトクラブの女性など、
おもてなし要員のお仕事の方々のイメージが相まって、こういった現象が起きるのかもしれません。
おもてなしがお仕事の方はそれでギャラが発生してるのですが、
私は勿論ノーギャラですしね。笑

じゃあ着物を着用する人が増えたらどうなるのかな?と考えた事もあるのですが、このままだと多分増えないですよね。
着るのも面倒で生きるのも面倒な服なんて、他にないと思います。

日本の女性は美しい、和の心は素晴らしい、
色々な着物の宣伝文句を聞きます。
では、「おしとやかな着物の女性像」は本当に美しいのでしょうか?
私にはそうは思えません。
このままでは、息苦しくて社会からの圧も強い着物は、「抑圧」の象徴になってしまいかねないのでは?と思うくらいです。


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着物は難しい衣服です。
それは着付けが難しい、保管が難しい等も勿論あるのですが、
他者の自己決定を軽んじ、無責任に口を出す人達の対象になりやすいからです。
私は自分で自分の好きな服を選んでいるだけなのですが、
現状、それが自由に直結しているとは言いがたいと感じる局面が多いです。
着物は日本の伝統だし、日本の民族衣装です。
でも、過去の女性像にド直結させるの、もうやめませんか?
伝統だからって古いまま変化しなくていい、なんて事は無いと思うんです。


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