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【着物コラム】着物には「自己決定」が許されない?


こんにちは、着物コーディネーターさとです。

着物警察というワードが話題になって、しばらく経ちますね。
私も数年前に何回か実際に遭遇したことがあるのですが、
あれはどちらかと言えば「他人との距離感が分からない変な人」なので、
変質者と同じく、確率の問題なのかもしれない、
と最近思うようになりました。

隙があれば文句を言いたい人にとって
「日本文化」もとい「着物」は、なんとも定義が曖昧ですし、
格好の大義名分なんでしょう。

さて、のっけから嫌な話をしてしまいましたが、
今回は「着物を着ているだけで赤の他人に文句を言われる機会が多くない?」
という嫌な話のコラムです。笑



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他者の自己決定に口を出すという責任


着物を着ていると赤の他人にダメ出しされる機会が多いです。
SNSは特に多いかもしれません。
現実世界では、私は恐く見えるようであまり言われなくなりましたが、
もっとキャピキャピしていた時はたまに言われました。笑

「着物には鼻緒の付いていない履物は合わせないのよ」
「どうして半襟や足袋が白くないの?ダメよ」
などなど。
その割りに「誰が決めたんですか?」「どうしてですか?」
と質問しても、まともに答えられない人が殆どです。

着る物に限らず、
他人の自己決定に無責任に口を出すことは、
本来ではあまり褒められた行動ではないはずですよね。
とても親しい友人や家族ならアリなのかもしれませんが。

着るものではなくお金などに変換すると分かりやすいのかも知れません。
「資産運用をしようと思う」という人に、
気軽に資産運用のアドバイスって出来ないですよね。
「こうしたらいいよ」と進言をすれば、
責任が発生するからではないでしょうか?

金銭的な損益に関する事に敏感な人は多いですが、
着る物の事となると、特に損益は発生しないので、
この「責任」という観点がぼやける傾向があるなぁ、と私は感じます。

お金のことだけではなく、全ての事に通じるのは
「自分が責任を取らない事に関しては口出ししないのが当たり前」
という前提のはずです。
これは着物に限った話ではないはずです。

赤の他人の着るものに口を出す人は、
この「責任」という観点が欠如していると言えないでしょうか?



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無責任な人々の実態


この「責任」に関して無頓着な人、
SNSを中心に、若い人でも結構たくさんいると思います。
その多くが、
自分が発言している内容が何を意味しているのか、理解ができていないように見受けられます。

「浴衣にサンダルでもいいと思うけど、クロックスは合わない」
「着物はもっと自由でいい!けど、成人式に花魁はナシ」

こんな具合ですね。笑

浴衣にクロックスでもいいじゃないですか。
成人式に花魁着付けでもいいじゃないですか。
だってその人たちはそれを自分で選び、
その責任は自分で取るんですから。

ナシだと思うなら自分が実行しなれば良いだけです。
着物に限った話ではないのに、
着物の事となると、こういう発言が多々見受けられるのはとても残念な事です。

正しい着物のあり方=お上品
という呉服業界の昭和マーケティングが、
令和となった現在も功を奏している結果でもあるのですが、
この殻を破らなければ
ファッションとしての着物の浸透なんてありえないと思いますし、
ファッションとしての着物の浸透を目指さないなら、
衰退する以外の道はないと思います。

自己決定が許されないファッションなんて、私は聞いた事もありません。

もっと着物の自己決定を当たり前にしませんか?