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おとなこども

 就職活動を始めたのは大学3年の1月半ば。もう4年生になろうとしている頃。きっかけは1通のメールだった。
 「『入社志望書』と『課題』の提出締切まで、3週間となりました。」という文面を見て、これは運命だと確信した。わざわざ御丁寧に締め切りの3週間も前に連絡をくれている。しかも「エントリーいただき、ありがとうございます。」と感謝までされている。注意事項や連絡先が細かく記されているそれは、俺にはラブレターのように感じられた。
 集英社からの熱烈アピールを受け取った俺は、さっそくエントリーシートの作成に取り掛かった。締め切りまで3週間あるとはいえ、初めて書くためになかなか思うようには進まなかった。
 気分転換も兼ねて、とりあえず大学の入学式以来着ていなかったスーツをクローゼットから引っ張り出し、ネクタイを締め、近くの自動写真撮影機まで走った。雨が降っていたからスーツの上からモッズコートを羽織り、傘を差した。何か新しく始めようとする時、たいてい雨が降っているから、自分が映画の登場人物なのではないかと勘違いしてしまうことがある。
 アルバイトの履歴書用に何度も撮った証明写真ではあったが、スーツを纏っていたからだろうか、どこか浮足立っていた。走ったせいで息が上がったままボタンを押す。笑っているのか笑っていないのかも最早わからなくなった、ぎこちない微笑に笑えてくる。

 「就活は嘘つきが勝つ」とは言うが、そんなことはどうだってよくて、自分の書きたいように書くことを優先していた。好きな作品についての項目やあおり文の制作項目なんかは、出版社らしい設問で考えるのが楽しかった。課題作文の「私のおかげ」に関しても、良く見せようという気は一切なく、好きに書いた。自分のおかげで何かが成り立っていると考えるのは初めてで、何度も書いて消してを繰り返していたら、結局ギリギリの提出になってしまった。
 書類選考の結果は、2週間後の2月半ばに通知ということだった。結果が分かるまで随分と時間がかかるのだなと思った。それだけ例年の応募者が多いのだろう。決して自信があったわけではないが、集英社に入ると決めていたから、かなり前向きに発表の時を待っていた。今となっては綺麗事に過ぎないが、数社、数十社とエントリーするのは全く誠実ではないと考えていた。そのため、集英社が万一ダメならフリーターになろうと考えていた。

 2月17日木曜日。書類選考の結果通知が来た。「このたびは、集英社2023年度採用試験に応募くださいまして、ありがとうございました。慎重に選考させていただきましたが、まことに遺憾ながらご希望に添えない結果となりました。何卒、ご了承賜りますようお願いいたします。末筆ながら、今後のご多幸をお祈り申し上げます。」
 これが俗に言うお祈りメールか。これも初めてだ。就職活動は初めてのことだらけで疲れる。僅かであれ期待していた分、ショックも大きかった。国立大学の入学試験に落ちた時のような心臓になった。「ご多幸をお祈り申し上げます。」なんて文言は「ご多幸」と入力する途中の時点で予測変換されるテンプレ中のテンプレであるから、エンタメの一翼を担うならもっと工夫しろやと文句を垂れる。結果発表の前までは不採用でも大丈夫だと変に意地を張っていたが、いざ現実になるとそうでもないようだった。怒りではないが、限りなくそれに近い何かが沸々とこみ上げ、集英社作品など今後一切買うものかと心に決めた。しかしその翌日には、書店でジャンプコミックスをレジまで持って行っていた。

 集英社からの不採用通知を受け取った後、親戚と会う機会が何度かあった。進路について尋ねられても、大真面目に「フリーターやる」と答え続けていた。当然、彼らからは猛反対をされ、横で聞いていた両親も呆れ返っていた。家族のためにどうこうということも別にないのだが、無駄に親を悲しませる必要はないし、可能ならば避けたい選択肢ではあったから、とりあえず就職活動を続けるということで落ち着いた。とはいえ、3月の情報解禁まで特にやることはなかった。

 3月1日。火曜日。日付が移り変わるのと同時にマイナビを開く。こういうのって大体月曜日スタートだろと思いつつ、興味のありそうな企業を業種とエリアで絞り込み、いくつかピックアップしておく。思えば、あの日集英社からメールが来たのは、いつかの自分が既に登録か何かしていたからなのだろう。運命なんてことはなかった。
 ヘルマン・ヘッセではないが、就職活動をする以上、「編集者になるか、でなければ、何にもなりたくない。」という心意気だったため、出版関連に絞り込む。出版系の数はそう多くはないと踏んでいたが、出版と条件付けしてみると意外にも画面に現れる企業数は多く、余計な情報の山に埋もれ、さっそく何をしていいのかわからなくなった。広告系はもちろんのこと、学習塾や大学職員なども一緒になって出てくるため、ついでに目を通していったが、全く興味が湧かなかった。全部無視してやった。

 とりあえず10社程エントリーしてしばらく放置し、10日近く経った頃、何も進展がないことに気付きメールやマイナビを確認してみる。どうやらマイページの登録なりなんなりが必要だったらしく、エントリーシートの提出締め切りが過ぎている企業もいくつかあった。そういうのは先に言ってほしかった。社会人はホウレンソウじゃないのか。
 重くて痛い腰を上げて締め切りギリギリのエントリーシートを仕上げていく。スターツ出版、新潮社、高橋書店、ポプラ社、ShoProの5社に急いで提出した。高橋書店は学生時代に力を入れたことを400字でという項目のみで印象的だった。こんなもので何が測れんねんという感じだが、とりあえず書いてみる。「とりあえずとりあえず」で何もやっていない時間を減らしたかった。

 3月18日。アルバイト終わりの22時過ぎ、ふとメールボックスをのぞいてみると、2社から選考結果を知らせるメールが届いていた。スターツ出版と新潮社だ。
 ありがたいことに、どちらも書類選考通過を知らせるものだった。スターツ出版は録画面接をするから動画撮影よろしく、新潮社は1週間後に筆記試験を実施するから東京来てくれよろしく、とのことだった。よーしよしよし。中学生ぶりに自転車を両手離しで漕いだ。時代が時代なら上げハンにしていた。
 続く23日には高橋書店からも書類選考通過の知らせが届いた。1ヶ月後に説明会やるし、その翌週に筆記試験があるから東京来てくれよろしく、とのことだ。3社連続で書類選考を通過してしまうと、斜に構えて冷めすぎの逸話で地元を賑わせた俺でも流石に調子に乗りすぎてしまう。

 対面での面接はおろか、リモート面接すら未体験なのに、初めての面接が録画なんてどうにも信じがたい話だ。スターツ出版も粋なことをしてくれる。録画面接の内容としては、軽い自己紹介と志望動機、入社後にやりたいことをエントリーシートと同じでも構わないからそれぞれ1分半程度で話してくれというものだった。話す内容が紙に書いたことと同じで問題ないのなら、見られるのは表情や言葉の抑揚、身だしなみに背景といったところか。オープニングの挨拶でも用意しておけばよかった。

 3月26日。本来であれば毎週決まってアルバイトをしている曜日だが、就職活動のためご理解ください、と無理言って休ませてもらった。理解のあるご主人くんで助かる。遅刻してはいけまいと、開場時刻の1時間前、開始時間の1時間半前に会場に到着した。しかしそこには既にリクルートスーツを纏った、自分と同年代とは到底思えない屈強な戦士たちが参考書や自作のノートなどを手に列をなしていた。やる気の面で他の学生たちに負けていると感じ、重くてクソ邪魔という理由で参考書を家に置いてきたことを後悔した。
 並ぶにせよ、会場のビル前には黒の人だかりが形成されており、通行人の邪魔になっているのは明らかだった。知らない人たちに迷惑をかけてはいけないので、とりあえずは入場の合図があるまで川沿いで桜の幹を撫でることにした。
 開場後席に着くと、入場に手間取っているから試験開始を30分遅らせるとの連絡があった。毎年やってるのに何してんねん!と俺の3年と少しの関西生活で会得した渾身のツッコミが心の中で炸裂する。もう手元には桜はない。やることが無さ過ぎて他の受験生を観察することにした。
 1つの長机に2人ずつ。隣の席の子はいかにも真面目そうな女の子。参考書と自作のまとめノートをギリギリまで読み込んでいた。通路を挟んで隣の男の子は柄物の靴下を履いて顔を伏せている。その前の席の女の子は茶髪にピアスでネイルまでばっちり。家を出る前、父親に髪の毛が長いことを指摘されたが、あの会場が新潮社の筆記試験会場ではなく身だしなみ選手権の会場だったら、間違いなく俺はベスト16くらいには残っていたと思う。
 新潮社の筆記試験は全100問の一問一答形式だった。作文が出たらいいななんて考えていたが、どうやらこれが伝統らしい。文芸に強い出版社であるから文学問題はもちろんのこと、社会情勢に関する問題まで幅広い問題が出題された。ニュースは見ないし文豪で好きなのは夏目漱石くらいだし、正直全然わからなかった。数学や英語、国語の問題は大体わかったが、それぞれの出題数が少なく、合計しても全体の3割程度しかなかったため不安だらけだった。
 職には就いていないが帰路には就く。電車の中で試験内容を振り返る。英語の設問で、英文が説明するものを日本語で答える問いがあった。英英辞典の英②を問題文に、英①を日本語訳せよということだ。わかりづらいかもしれないがこれ以上の説明の仕方はこの世に存在しない。one pot dish で soy sauce base で boiled egg が入っていて white radish が入っていて......という感じの英文で、俺は自信満々に「すき焼き」と解答した。いやいやいや。めちゃくちゃ「おでん」だろ。直前に友人とキュウの第四回単独ライブを見ていたせいだ。
 取れていて5~6割というところだったが、出版社の筆記試験は5割取れていればよいという出版業界の七不思議を聞いたことがあったため、まあ合格か不合格のどちらかだろうということでマクドナルドへ向かった。

 月末には白泉社と双葉社にエントリーシートを提出した。白泉社のエントリーシートは実家滞在中に書いていたが、Wi-Fiがポンコツすぎて保存中に書いた内容が消えることが多々あった。5Gって人災?

 4月1日。良いニュースと悪いニュースがある。良いニュースから。新潮社の筆記試験を見事に突破。3週間後に一次面接やるからまた東京来てねよろしく。悪いニュース。スターツ出版の選考通過ならず。
 「このたびはスターツ出版の選考にご応募いただき、また録画面接に対応いただき、誠にありがとうございました。内容について、スターツ出版が求める要件、指向性について、慎重に検討させていただきました。結果、残念ながら、ご希望に沿うことが出来ませんでした。佐藤さんにおかれましては、ESの内容、録画の印象も良かったため、弊社としても残念ですが、今回、非常に多くの方からご応募をいただいており、その中で、弊社が求める「企画営業職の要件」での相対評価を行った結果となりますので、悪しからずご了承くださいますようお願いいたします。弊社業務に興味を持っていただき、弊社選考に取り組んでいただき、心より感謝しております。応募のためにお時間をさいていただいたことに、改めて御礼申し上げます。」
 おいおい。そりゃあないぜ。「企画営業職」となると企画だけでなく営業もできなくてはならない。俺のエントリーシートはかなり企画色の濃い内容だったから、録画と合わせて営業力がなさそうに見えたのだろうか。それともあれか。私服で撮影したからだろうか。「服装も自由です。必ずしもスーツでなくてかまいません。」という連絡があったから私服で撮影したのに。私服で営業する奴なんていないからか。スーツを着て営業できますアピールをしなければならなかったのか。でもおかしいよな。私服撮影がマイナスポイントだとしたら、企業側が嘘こいてることになるもんな。それはありえないもんな。エイプリルフールだから別にいいのか。やはりオープニング挨拶が必要だったか。でもまあ、俺よりも優秀そうな人がいたのだろう。ええやん。俺も営業全ッ然やりたないし。

 4月上旬。白泉社から書類選考通過を知らされ、ShoPro、ポプラ社から今後の活躍を祈られる。白泉社はエントリーシートの作成に時間がかかってしまった分、きちんと通っていて安心した。落ちた2社に関しては、志望度で言えばそこまで高くはないし、出版関係だから応募したようなものだし、別にそんなにはね、気にしてないって言うか、まあ、あれだわな、言い訳がましく聞こえるかもだけど、悔しくもないし、痛くも痒くもないけどね。痛くも痒くもないけど、少し悲しい。
 正直なところ、ShoProは自由課題に結構力を入れて取り組んだし、ポプラ社に関しても、エントリーシートの設問の脱字指摘するくらいには時間かけてたし、どちらかと言うとかなり残念ではある。でも高校生に毛が生えた程度の歳の奴に脱字指摘されたらそりゃあムカつくか。俺でも手出るもん。肘も出すかもな。

 4月11日。白泉社の筆記試験をweb上で受ける。10:00スタートで、18:00までに指定のテーマで作文せよというものだった。そのテーマが、まさかの「異世界転生」。流行りだし予想できるテーマではあったため、まさか、というほどでもないのだが、個人的に一切通っていないジャンルであった。だから感覚的には「マジか」に近い。ざっくり説明すると、現世での強みを活かし転生先の世界で成功する話を書けというもので、要は自己PRと創作力・妄想力を計る試験であった。
 「成功」というものに憧れたことがなかったため、試験問題を開くボタンをクリックした時点で詰んでいた。どうしても自分が成功しているイメージを描けない。成功ってなんだ?寝る場所と椅子と本があれば成功だよ。「自分の子どもに臓器提供がしたい」と考えているクソキモ激ヤバ思考の俺の妄想力をもってしても、自分の強みと成功を結びつけることは難しかった。
 幸い、転生先の異世界と人物像は自身で設定できたため、どうにか都合のいいように書くことはできたが、その設定もありきたりなものではあるし、自信を持つということはない。

 4月15日。白泉社からの選考結果通知が来る。「【株式会社白泉社】筆記試験結果に関する重要なお知らせ」か。ドキドキドキドキ。
 「先日は、弊社の定期採用筆記試験を受験いただき、誠にありがとうございます。慎重に選考を行いました結果、なにぶん採用予定人員が少なく、貴殿は今回の選から洩れる結果となりました。折角のご志望に添えず誠に残念に存じますが、なにとぞ悪しからずご了承くださいますようにお願い申し上げます。多数の企業の中から弊社にご応募いただきましたこと、弊社作品に親しんでいただいていることを深く感謝致します。貴殿のより一層のご活躍をお祈り申し上げます。」
 しんどー。自信がなかったとはいえ、完全に諦めているということもない。やはり悲しい気持ちは山盛り。白泉社は面白い作品が結構多く、個人的に好きな出版社であったからちょっぴりナーバス。山盛りなのかちょっぴりなのか。自分でもよくわからない。
 筆記試験で書いた作文を今読み返してみると、なかなかなかなかよく書けていると思う。転生先の描写が丁寧だし、成り上がりの方法と強みの絡め方も自然だ。800字以内という字数設定の中でかなり上手くまとめ上げたなと自画自賛の嵐がこの町を過ぎ去らない。当時はテーマへの苦手イメージから作文の出来がイマイチだと考えていたが、実際はそんなことはなかったのかもしれない。
 作文が筆記試験の合否にマイナスの影響を与えていないとすると、同時期に受けていた適性検査が問題になってくる。出版業界は所謂エンタメ業界の一つであるから変化に敏感でなければならない。白泉社は「妄想」を大切にしている企業であるから、その中でも変化や独創性を好むほうだろう。となれば、俺の変化を嫌い、新しきを避け、創造性を欠いた正直な回答は嫌われるものだっただろう。でも嘘はつけないしなあ。嘘ついたら終わりやしなあ。さらに言えば、作文の出来は良かったとしたが、提出したものを見ると、一段落目の行頭にスペースが空いていない。提出時の注意事項として、段落の行頭に全角1文字分スペースを空けてくださいとしっかり書かれているのにもかかわらず。そのせいの可能性もある。何の取柄もない俺は、自身の強みに仕方なくその注意力や慎重さを挙げていたが、実はそれすらも備わっていなかったのかもしれない。
 しんど――。そりゃ受からねーわ。ドサッ。

 4月21日。気を取り直して新潮社の一次面接に向かう。早めに出発し、集合時刻の1時間半前に会場近くのカラオケ屋に寄る。普段他人と喋らない生活を送っているため、面接時に声が出ないと困る。喉慣らしにスピッツの『チェリー』を3回歌い、喉が十分に枯れたところで、休憩がてら質問されそうなことを考えておく。
 歌う事にも面接練習にも飽きたため、まだ少し時間があったが退出することにした。受付に行き会計を頼むと、しっかり一般料金を請求された。そんなにスーツ姿が様になっていたのだろうか。フッ。まだまだ学生をやらせてもらいたいもんだぜ。お金はないが、訂正するほうが学生証を見せたり謝られたりと色々面倒なため、そのままの値段で支払う。
 会場に着き、検温と消毒を済ませ、案内に従う。受付で名乗りを上げ、事前に準備していたQRコードを読み取ってもらう。エラー。エラー。エラー。何度やってもエラー。まだ春なのに汗が止まらない。日付を間違えたのだろうか。時間を間違えたのだろうか。名簿に名前はある。なら何がいけないのだろう。せっかく緊張もせずに来たのに台無しだ。目の前がグラつきながらも、バタバタ動く担当者の回答を待つ。
 すみませ~ん。遠くから声が聞こえる。どうやら読み取る機械の不調で、俺のミスではないらしい。いや、毎年やってるのに何してんねん。まあええわ。どうにか冷静さを取り戻し、指示されたパイプ椅子に座る。
 椅子の上にはA4の紙が1枚と、新潮社が出版している『波』が置かれていた。そのプリントには、筆記試験の段階で受験者を600人程に絞り込み、この一次面接でそこからさらに200人に絞ると記されていた。つまりは現時点で総志望者の内の上位600人まで残ったということだ。600人って凄いのか?凄いか。周りの受験者を見てみると、流石にもうピアスネイルフル装備のような人間はいない。
 1フロアを面接用に6分割くらいにしたようなブースに、名前が呼ばれた人から順に案内されていく。それぞれの面接の様子は仕切り板で見えないものの、会話はかなり聞こえてくる。大学で編集活動をしている人、街頭で数百人にインタビューした経験のある人、実際に小説を書いている人など、経験値だけで言えば自分とは雲泥の差である。もちろん俺が泥。流れてくる音で身体に疲れがたまる。
 順番になり入室する。「失礼いたします、よろしくお願いいたします。」と挨拶を済ませ、面接官の指示のもと、着席する。男性2人組。男性と女性の面接官が1人ずつと聞いていたが、そこまで気にすることではないか。自己紹介を済ませた後、早速質問が飛んでくる。「京都から来てるんだね。何で来たの?新幹線?」という、何てことはないアイスブレーク的質問が最悪の事態を招く。京都と実家の往来について話したいことが積もりに積もっていたのだ。話が終わらない。新幹線ではなく夜行バスで来たこと、夜行バスの隣の席の人がめちゃくちゃ太っていて座れる部分がほとんどなかったこと、少し前までは感染症対策で隣が空いていることが多かったのに最近は全席埋まっていること、京都から実家に帰る時は夜行バスを使うことが多いこと、反対に京都に戻る時は新幹線を使うことが多いこと、行きで隣の席が最悪だと帰りは隣に誰も座らないが、行きで隣が空席だと帰りは変な人が隣に座る傾向があるということ、だから今回京都に戻る時は隣に誰も座らないことなど、移動手段の話題だけでとにかく喋り続けた。腕時計を見てみると、開始から7分も経過している。7分というと短く感じるかもしれないが、この面接の持ち時間は12~13分と事前に伝えられている。つまり、大事な面接の半分かそれ以上の時間をどうでもいい話で消費しているのだ。そしてこの時点で面接官に伝えているこちらの情報は、所属大学名、氏名、移動手段だけなのである。気まずすぎる。
 面接官も気まずかったのか、俺が見せた少しの隙をついて質問を変え、志望動機を尋ねてくる。面接後半にする質問じゃなさすぎるが、完全にこちらに非があるために何も言えない。『デミアン』をきっかけに小説を読むようになり、それが中学時代の救いだったという熱意ある志望動機を、これもまた2分近く時間をかけ説明する。ここでようやく面接らしく掘り下げた問いが飛んでくる。志望理由はかなり文芸が好きな風に受け取れる割に、エントリーシートの希望部署は芸術新潮編集部だが、これには何か理由があるのかというものだ。これはかなり痛いところを突かれた。嘘をついても仕方がないため、正直に打ち明ける。
 「こんなことを言うと選考に響くかもしれませんが」と保険をかける。面接官が首を横に振る。その反応に安心して「確かに第一志望は文芸です。しかしその文芸において、愛にできることはまだあるかもしれませんが、僕にできることは何もないと思ってしまっています。」と答える。つい数分前まで受付前で放心状態だった人間が面接中にボケをかませるのだから人体構造は本当に不思議である。
 残り時間も僅かになり、逆質問の機会を与えられた。特別聞きたいこともなかったが、チームで動く中でこれは自分がいなければ成立していなかったことがあれば教えてほしいと頼む。集英社の課題作文のような問いを投げかけた。面接官の一人が、自分は乗り物が好きだから、東日本大震災の取材時に最も早く現地に到着する手段を提案し、実際に他の取材班よりも早く取材することができたという何とも素晴らしい話を聞かせてくれた。震災は11年前だから、この人は少なくとも入社して11年は経っているのか。となると、終始この11年選手にタメ口なもう一人の面接官はそれより上の先輩ってことになるな。ん?おかしいな。事前連絡では面接官は入社5年程度の年次の若い者が担当するという風に記載されていたと思うが勘違いだっただろうか。話が違い過ぎるな。出版社の面接は、面接担当者が自分の希望する部署の人間でないことも多い。全く希望していない部署についての質問をされることが当たり前とされている。どの担当に当たるかは運次第とも言われている。俺も運が悪かった部類なのだろう。確かにバスの隣の人めちゃくちゃ太ってたもんな。
 面接ブースを抜けエレベーターを待つ。同じタイミングで終わった女の子と乗り合わせたため、どんな話をしたのか聞いてみる。彼女は趣味や特技について長い時間聞かれたらしく、その流れでInstagramのフォロワーが多い話をしたと言う。「あんまそんなこと面接で言わんほうがええやろ」と、ごく自然な関西弁でお節介ムーブをかまし、会場のビル前で別れを告げる。移動手段の話で勝手に盛り上がっていた奴の発言とは思えない。別にそんなこと面接で言ってもいいしな。

 4月23日。面接から2日後、新潮社から選考結果についての連絡が来る。
 「このたびは弊社の選考にご参加いただき、ありがとうございます。厳正に選考をさせていただきましたが、残念ながら、今回の選考では貴殿のご希望に添いかねることとなりました。何卒ご了承くださいますよう、お願い申し上げます。佐藤様のより一層のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。」
 めちゃくちゃ選考に響いてますやん。俺が保険かけた時否定してたじゃあないですか。やっぱり話と違い過ぎるな。こんなことならカラオケ料金学割にしてもらえばよかったな。

 4月27日。高橋書店の筆記試験。適性検査、IQテスト、SPI&一般常識の3種類が実施された。白泉社での失敗を活かし、適性検査では嘘をつきまくった。根暗な部分をひたすら隠し、未来に希望だけを持った理想の人間のふりをした。IQテストは正直よくわからなかったが、心理学部に所属していると心理検査なるものを何度かやることがあるため、まあ似たものかと気楽に受けた。全然似てないけど。
 おそらく3つの中で最も比重の大きいSPI&一般常識の試験は、嘘をこくよりは容易だった。ほとんどが漢字や計算、英語の簡単な問題で構成されており、常識問題に関しても変に難しい問題もなく、取り立てて悩むものはなかった。MISIAのスペルくらいか。出題ミスが1問あったような気がするが、それを抜きにしても8割は取れたはず。これで不採用なら相当IQテストが悪いか、適性検査が下手糞かのどちらかだろう。

 5月9日。高橋書店人事部の方からの電話を取り、筆記試験通過の知らせを受ける。俺は適性検査とIQテストのセンスあり、と。IQテストってなんやねん。すんなよ。1週間後に一次面接を行うとのこと。すんなよ。

 5月18日。高橋書店の一次面接に向かう。正直なところ、筆記試験の1週間前にあった会社説明会での体育会系な印象から、全然行きたくなかった。体育会系とか無理無理。俺声小さいし通らないし。行きたくねー。行きたくはないけれど、行かなければ色々とダメになってしまう気がした。
 面接会場は説明会や筆記試験と同じ場所だった。前回、前々回と同じように電車に乗る。駅に着いたら降りる。改札を抜け、会場に向かう。そのはずが、改札を抜けた先は俺の知る景色ではなかった。降りた駅は間違っていない。間違えたのは改札口だ。今までの2回は中央口から出て会場に向かっていたのだが、今回は何故か西口から出ていたのだ。
 突然だが、俺は偏食なんだと思う。食べ物にあまり興味がないため、毎日同じものを食べることが多い。例えば、コンビニであるパンを買う。数日または数週間、そのパンを食べ続ける。そしてある日、いつも通りコンビニにパンを買いに行くと、そのパンが姿を消している。たまたま売り切れていたのか、生産が終了してしまったのかはわからないが、毎日食べていたものがない。こうなった場合、俺はよく混乱してしまう。今日これから何を食べればいいのかがわからなくなってしまうのだ。挙句、その日は何も口にしないということがほとんどだ。1日くらい何も食べなくても死にはしないし、たいていの場合、次の日には別のものを食べているため大きな問題ではないのだが、変に習慣化してしまうことで時々面倒なことになる。
 話を戻す。俺は中央口ではなく西口から出てしまった。これはパンと比べるまでもなく大問題なのである。俺の中では、過去2回の経験から、高橋書店の試験会場までの道のりは中央口から始まると習慣化されていた。つまり、習慣の中から意図せず外れてしまったことで、会場までどのようにして向かえばいいのかわからなくなってしまったのだ。面接に間に合わない。面倒なことになった。嘘をつくとろくなことがない。
 とりあえず習慣の中に戻ることを優先する。中央口に行くならぐるっと周ればいいだろうと考えるも、何故だか西口に辿り着いてしまう。今度はスマホでマップを開き、確認しながら中央口を目指す。指示通りに進んだはずが、全く知らない場所に着く。スマホ壊れてるかも~。余裕のあった時間も徐々に失われていき、面接開始時刻を西口で迎える。
 その後も無駄な抵抗を試みたが、ただただ時間だけが過ぎていき、シャツにも汗が染みてきた。言霊の存在を確信しながらベンチにうなだれた。本来であればゼミに参加していた日であることを思い出し、急遽zoomを開く。他のことでも何かやっていなければおかしくなりそうだったのかもしれない。
 俺以外のゼミ生は対面で参加している。汗だくでボロボロの自分だけが教室のスクリーンに映し出されている様子を想像するとどうにも情けなくなり、カメラとマイクをオフにした。ゼミのルールで毎回発言をしなければならなかったが、その日は一度も口を開かなかった。
 授業時間も終わり、思い出したように水を飲んだが、勢いよく口に含んだせいか、むせてしまった。そこで初めて自分がうまく呼吸できていないことに気がついた。
 行かなければ色々ダメになってしまっていたかもしれないが、行けなくても色々ダメになってしまった。

 6月半ば。面接の合間に応募していた秋田書店と編集プロダクションから書類通過の知らせが届いた。特段行きたかったわけでもないのに、高橋書店の面接に間に合わなかったことで、就職活動に対してかなり絶望していた。様々な出版社に応募してきたが、集英社を筆頭に、漫画編集が第一志望であった。この2社が駄目だったら諦めようという思いで応募していたこともあり、素直に喜びが溢れた。

 6月20日。編プロのWEB面接に臨む。この日のためにパソコンスタンドも買った。京都の6月は流石に暑いが、それでもやはりまだ6月ということもあり、冷房をつける気にはなれない。余計な音が入らないように弱風の扇風機を止め、窓も全て閉める。開始15分前から画面の前で正座をする。額には既に汗が滲み出し、苦い思い出がよみがえる。
 面接が始まり、軽い自己紹介を済ませる。一次面接にも関わらず面接官が3人もいたことに少し驚いたが、どうにか平静を保つ。早速志望動機を尋ねられる。漫画への熱い思い、編集者への熱い思いを語り、またもや長くなってしまう。新潮社での経験から、話が長くなってしまうことを気にしていたが、もう治し方もわからない。
 人柄重視の面接ということもあり、影響を受けた漫画などの話だけでなく、私生活のことやエントリーシートの項目にあった自身のキャッチフレーズなどについても聞かれた。また、学生時代に経験した面白い体験についても聞かれた。編集者には必要なのだそうだ。必死の思いで臨んだ面接だったが、声を出して笑いながら聞いてくれることもあり、自分の話が長いことなんて不安はもう忘れてしまっていた。
 予定されていた15分という時間をあっという間に迎え、最後に「漫画編集者としてこれだけは他の人に負けないという強みはありますか」と尋ねられた。一番苦手な質問だ。強みなんてものが自分にあると思ったことがない。ひねり出した慎重さも白泉社にへし折られている。楽しかった空気が急速に冷えていくのを肌で感じた。
 今更嘘をつくのも馬鹿らしく、正直に「ありません」と答えた。
 「ただ、それは編集者になってから様々なことを経験し、吸収し、見つけ出していけばいいことであり、現時点で誇れるようなものはありません。それは漫画においても同じで、もちろんすべての漫画を読んでいるわけではないし、あまり読まないジャンルだってあります。漫画の知識で誇れることなんて1つもありません。漫画の考察を投稿したり、ストーリー展開や技法について熱く語っていたりする人たちに比べたら、僕自身はそこまで深くのめり込んでいるわけではないのかもしれません。そういう人たちが漫画家なり編集者なりになって業界を盛り上げてくれればそのほうが良いなんて思うこともあります。しかしながら、同時に、なんでそいつらのために自分が夢を諦めなければいけないんだと、会ったこともない人間に怒りの矛先を向けることもあります。編集者になりたいかも不明な奴らにどうして道を譲らなければならないのかと疑問に思うこともあります。僕はただ、大好きな漫画を消費し続けるのではなく、生み出す側の人間として生きていきたいという思いだけで、こうして編集者の門戸を叩いています。強いて誇るのであれば、そこかもしれません。」と続けた。
 実際にはこれほど綺麗にまとめられてもいないし、スラスラとも言えていない。大いに脚色を加えている。話が長くなったことだけは確かである。

 翌21日、電話にて一次面接を通過したと伝えられる。自信のなさを自信満々に語っていただけだったため非常に不安だったが、一先ず安心である。二次面接に向けて、漫画の企画書を用意するよう言われた。ムズっ!

 6月29日。秋田書店の面接に向かう。寝坊しても間に合うよう、時間帯を遅めに設定していたが、一番暑くなる時間帯と見事にマッチしてしまい、会社に着くまでに疲れてしまった。プラスマイナスで言えば大幅にマイナスだろう。
 会社に着くとエントランスでの待機を命じられる。近くのテーブルでは会議のような、はたまた雑談のようなものが繰り広げられており、野球談議に花が咲いていた。3人中1人の若めの男性だけ、野球に興味がないのか、居心地の悪そうな顔をしていた。野球に興味がないという縁からか、こちらまで居心地が悪くなってきた。天井が鏡張りなのもこの妙な緊張感に関係しているのかもしれない。
 いよいよ面接室まで案内される。俺より後に来た学生たちが先に案内されていたため、また何かミスがあったのではないかと、ここまでの道程を振り返っているところだった。部屋の前で一呼吸置く。扉をノックしたつもりが2回ほど空ぶる。焦りから、入室許可の合図を待たずに入ってしまう。いきなりやらかすにも程がある。
 面接官の様子を窺ってみるも、俺の暴挙に顔をしかめているようには見えない。自己紹介と志望動機、希望部署を尋ねられ、頭がパンクしそうになる。一度に3つもやらせないでくれ。希望部署を言い忘れ、指摘された。
 次に、好きな漫画について、それを読んでない人に向けてその魅力をアピールするよう言われた。それくらいの質問は想定していたため、準備せずともその場でどうにかなるだろうと、特別練習したことがなかった。
 『HUNTER×HUNTER』について話そうと思ったが、どう言葉にしていいのかわからず、秋田の出版物である『セトウツミ』について語った。個人的にうまく話せていたか自信がなかった。しかし、王道系でなかったことが印象的だったのか、編集部の面接官からなかなか良い反応をもらえた。
 販売部の面接官からは、書店での売り出し方についてどのように考えているか、また、編集部志望だが販売部についてはどう思うかの2点を尋ねられた。書店の経営は現状厳しいものがあるというのは感じていること、出版社が売り出したい本と書店が置きたい本がかみ合わない場合があること、Amazonという脅威の存在が大きすぎることなど、思うことを話した。とりわけ何か深みのあることが言えたわけではなかったため、あまり良い感触はなかった。
 その後、漫画以外の趣味や誰かとぶつかり合った経験などについて聞かれたが、その頃にはもう緊張感もなく難なく答えることができた。最後に、口が乾いていたりマスクをしていたりで聞き取りづらかったかもしれないことを謝罪し、面接を終えた。ノックの回数や入室許可を無視したことは謝らなかった。

 秋田書店での面接を終えた2日後、京都に向かう新幹線の中で一次面接通過の知らせを受けた。やはり俺のやらかしはバレていなかったのだ。ラッキー。素直に嬉しい反面、お金がかかって仕方ないとも思った。

  7月4日。2度目の編プロのWEB面接に臨む。結局、企画書案は4つ考えていたのだが、一番きれいにまとめられた1つを提出した。漫画の企画書だけでなく、何かの企画書を書いたことすらなかったため、何を書いていいのかわからず、探り探りで進めていった。仮タイトル、テーマ、企画意図、キャラクター設定などをWordに書き込んだ。
 7月になったことでようやく冷房のスイッチを入れた。面接が始まるとすぐに、お馴染みの自己紹介と志望動機を求められたが、前回のウケが良かったこともあり、落ち着いて話すことができた。志望動機を話す時、本当にこんなものが動機になるのだろうかと余計なことを考えながら話してしまうため、毎度途中で何を喋っているのか混乱してしまっていた。それがなかったのは、これまでの散々な面接経験が少しは活きているということなのだろう。
 前回同様、私生活のことに触れた後、最近読んで気になっている漫画や、漫画以外で他人よりも語れるものを紹介するように言われた。一次の時点で自分が他人より優れているとは思わないという話をしていたため、なんだこの鬼畜生共はと思ったが、『ルリドラゴン』についてと、仕方なく衣服について少しだけ語った。
 衣服の話もなかなかに反応が良く、安心していたところで、いよいよ企画書についての話題に移った。企画案のジャンルとしては「青春×コメディ」の日常系を提案し、シュールな笑いを意図した。面接官にもその意図は伝わったらしく、シュールな笑いが心地よくて面白いと嬉しい言葉をもらった。
 企画書に既に書いてあることについては特に質問はなく、どこから構想が生まれたのか、影響を受けた漫画や映像作品はあるか、エントリーシートの好きな漫画作品はほとんど王道だが何故王道を企画しなかったのか、掲載媒体や作家などについて深堀りされた。質問内容は、自分の中で答えが出ているものばかりだったため、難しく考えることもなく自然に答えることができた。

 翌日には二次面接通過を知らせる電話が鳴り、大はしゃぎをした。これまでどこも一次止まりだったため、その先に進めることが本当に嬉しかった。
 他の業界のことはよく知らないが、出版業界の面接は3回4回は当たり前なようだ。書類や筆記試験なども含めればその選考回数は異常と言っていいだろう。周囲の人間がたったの1度や2度の面接で内定をもらっているのを耳にすると、より自身の置かれている状況の厳しさを実感する。二次面接の突破なんてものはただのスタートラインに過ぎないのだ。

 7月7日。再び東京に出向き、秋田書店の二次面接に向かう。前回同様、天井鏡張りのエントランスで待機することになったのだが、今回は個別ブースのような場所へ案内された。
 しばらくそこで待つよう伝えられたものの、前回と別の場所に案内されるというイレギュラーから緊張感が増し、急いで上座下座を調べた。
 10分程待機していたところで扉が開いた。こんな狭い場所で採用面接が始まるのかとドキドキしていたが、完全に俺の早合点勘違いだったようで、ただの待機ブースから前回と同じ面接室まで案内された。恥ずいわ。
 一次面接での反省を無駄にしないために、扉を壊す勢いでノックをした。「どうぞ」と、今度は入室許可の声が聞こえた。
 入ると同時に面接官の3人と目が合った。流石に言い慣れた自己紹介と志望動機を早々に済ませ、質問を待つ。
 「ジャンプは読むか」という質問がいきなり飛び込んできた。明らかに敵対心を剥き出しているのが伝わってくるが、めちゃくちゃ読んでいるため、めちゃくちゃ読んでいますと答えた。その流れで、普段どのような漫画を読むのか尋ねられ、5つほど作品名を答える。
 秋田書店は不良漫画が強いと言われているようで、不良漫画は読むかと聞かれた。『ROOKIES』が不良漫画に分類されるのか悩みながらも、深掘りされるのも面倒なので、あまり読まないと答えた。面接官の表情が少し暗くなったように見えたが、その後の秋田作品で読むものについての質問には問題なく答えられたため、それは一瞬だけのことだった。
 秋田書店の書類選考では「漫画と○○」というテーマで800字の作文を提出する。俺は「漫画と本棚」というタイトルのもと、自分と本棚の関係、電子書籍への危機感を書いた。一次でも二次でもそれについての質問がなかったことを疑問に思っていたところ、電子書籍は読むかと質問される。待ってましたと言わんばかりに作文と絡め発言をするも、あまり響いていない様子だった。
 面接も中盤に差し掛かり、編集者になってこういう漫画がやりたいという案はあるのかという話題に移る。直前まで編プロの課題用に企画を練っていたこともあり、実際に企画書として提出したものに加え、腕試し的な意味も込めてもう1つ考えていたものを説明する。
 編プロの場合は「書」という形でまとめられていたから良かったものの、今回は口頭であったために思うように説明できず、相手に上手く伝わっている様子もない。身振り手振りを加えたり、詳細な設定を適宜付け足すも、余計に説明が長くなるだけだった。
 一通り説明が終わったところで相手のターンになると、開口一番「話が長いよね(笑)」「原作者志望なの???(笑)」と言われた。鼓動が速くなるのを感じる。いよいよ実際に直接言われることとなったわけだが、そんなことはどうでもよくて、語尾に全角括弧の「笑」が付いていたことがどうしようもなくムカついた。半角ならまだしも全角となってくると話は違う。あれは誰がどう聞いても全角だった。そういえばお前さっきから頬杖付いてるな。冷やかしなら帰ってくれよ。あと原作者志望をバカにするのは話が変わってくるぞ。
 続けざまに、もっと簡略化してほしいだの、テーマだけでよかっただのと文句かアドバイスかわからないことを言われたが、笑って頷くしかなかった。その後、卒業論文のことや浪人時代のことについて触れられたが、真面目に答えたのか適当に答えたのかもよく覚えていない。
 終了時刻が近づいてきたため、最後に質問や言い残したことがあればお願いしますと、悪あがきの時間をもらった。
 「万が一にでもご縁があればよろしくお願いいたします。」とだけ伝え、主に全角に向かって挑発をした。幼稚すぎるかもしれないが、売られた喧嘩は買うのが不良だろうが。
 退出すると、受験者案内をしている方に面接の様子を聞かれた。「話が長い言われましたわ」と言うと、「出たとこ勝負じゃないとね、あんまり準備しないほうがいいよ。」と助言された。この人とは話が合わないかもなと思いながらエレベーターのボタンを押し、エントランスでありがたく交通費をいただいた。
 駅に向かう途中、ジャケットを脱ぎながら茶封筒を開けてみる。中には綺麗な一万円札が入っており、あの悪態は天の川に流すこととした。実際には新幹線代にもなりはしないのだが。

 翌日の8日。最早確認するまでもないが、秋田書店からの合否結果に関する通知が届いた。
 「先日は当社の選考にご参加いただきまして、誠にありがとうございました。佐藤様について厳正なる選考を重ねましたところ、今回はご期待に添えない結果となりましたので、ご通知申し上げます。多数の企業の中から弊社を選び、ご応募頂きましたことを深謝致しますとともに、佐藤様の今後一層のご活躍をお祈り申し上げます。」
 
 7月14日。編プロの三次面接に挑む。一次二次とWEBでの面接だったが、今回は対面でとのことだった。服装は私服でとも連絡があり、一気にハードルが上がる。スターツ出版での気がかりがあるし、何より二次面接での俺が意気揚々と衣服について語ってしまっているのだ。馬鹿野郎。
 会場が神保町ということもあり、少し早めに駅に着いた。浪人時代に何度か来ていた場所ではあるが、久しぶりに訪れるとまた違って見える。生憎の雨で、書店の中に入ることは叶わなかったが、神保町に並ぶ書店は外から眺めるだけでも十分に楽しい。せっかくの勝負服も雨に濡れているが、仕方のないことだと割り切れる。
 時間になり会社に入ると、すぐに待合室に案内された。机の上には週刊誌から月刊誌まで、様々な漫画誌が並べられていた。勝手に読んでいいのかわからず、餌を目の前に待てを指示されている犬のようだった。
 小学生の頃、兄の漫画を無断で読むとよく怒られていたため、本を触らずに表紙や背表紙だけをじっくり眺めるということをしていた。大人になった今でも同じような状況に立たされていることを不思議に思った。
 面接官の元へ案内され、入室する。これが本当に最後だと意気込み、扉の前で眉間に皺を寄せては戻すを繰り返す。
 面接官の手元を見ると、他の受験者のものも含め、かなりの量のエントリーシートと企画書が積まれていた。採用ページには選考フローは三次面接までしか記載されていなかったため、もう残っている受験者も少ないだろうとどこか安心していたが、ここで振い落されることを想像し、緊張の波が押し寄せる。
 いつもの通り自己紹介と志望動機を済ませる。面接の回数を重ねる度、何故か志望動機の文量が増えている気がする。話を短くすることはできないが、長くすることはできる。得意を伸ばすとはこういうことなのだろうか。
 私服指定はハードルが高くて逆に迷惑だったと冗談めかして言うと、別にスーツでもよかったのにと笑われた。就活界における服装自由の謎について話題を広げてみると、何故だか盛り上がった。採用側にも意味がわかっていないのだとすると、あれはいよいよ何なのだろうか。
 雑談が終わると、真面目な話が始まった。電子書籍やWEB漫画について、企画書案を実際に漫画化するとした場合の広告の打ち出し方について、一次面接の頃から読むジャンルは増えたかについてなど、漫画に関する様々な話題が飛び交った。話の流れで、めるる(生見愛瑠)のファンであることがバレた。なんで?
 面接時間の半分を逆質問に割いてくれていたのだが、あまり用意していなかった。少し動揺してしまったが、運転免許やその他資格が必要かどうかや、途中から担当編集に加わることが実際どのような感じなのかなど、現実的な質問からフワフワした質問まで、いくつか尋ねた。
 最後に、他社の選考状況を聞かれた。この企業は一次面接の時点から他社の状況を尋ねてきていたが、いつも秋田書店の状況を答えていた。そのため、話が長くて落ちましたと言うと、確かに長いかもしれないけど具体的でわかりやすいからそのほうが良いよと、笑いながらも真面目に応えてくれた。
 面接が終わり、退出しようとすると「卒業だけはしてね」と声をかけられた。卒業の話題が出るとほとんど内定というような話を聞いたことがあったが、実際卒業できるか不安なところがあった。マスク越しでもわかる変な表情をしていたのではないだろうか。
 退出後肩の力が抜け、面接室の壁に少しだけもたれかかると、「面白かったね」と声がした。興奮状態で聴こえた幻聴だったのかもしれないが、ずっとかかっていた霧が晴れた気がした。夢心地でエレベーターを待っていると、次の女の子の大きな声が聞こえ、現実に引き戻された。

 7月15日。昼頃に編プロからの電話が鳴り、内定を前提とした最終面接をすると伝えられた。昨日の幻聴が幻ではなかったことを確信し、就職活動中ただの一度もしたことのなかったガッツポーズを初めてした。やはり初めて尽くしだ。嬉しいものの、それが顔に出るのが嫌だったため、斜に構えて親には報告しなかった。

 7月20日。編プロの最終WEB面接を受ける。今までは背景をどうするのが正解かわからず、何もない壁を映していたのだが、内定が前提されているということで、本棚を背中にした。
 面接とは言いつつも、内定を確約されているということもあり、入社意志の確認と、待遇などについての質問がないかなどの話が主だった。気になることをいくつか質問し、無事にその場で内定をいただいた。例え秋田書店から内定が出ていたとしても内定を出していたという言葉をかけられ、お世辞だったのかもしれないが、思わず口角が上がった。

 次の日には入社承諾書が同封された封筒が届いた。17時を過ぎていたため、翌日に速達で返答をした。 
 これにて俺の就職活動は終了である。

 終わってみればそこまでの達成感はなく、なんだかヌルっとした最後だなというのが正直な感想だ。
 でもまあ、終わり方こそヌルヌルしているものの、憧れの職業に就けるということで、リトルサトウは俺に隠れて小躍りをしていると思う。進路が決まり、少しだけ大人になった今なら、挑発にも簡単には乗らないかもしれない。子どもから大人になる瞬間はいつなのだろうか。



 戦績、というと自分でも吐き気がしてくるほど気持ちの悪い表現なのですが、全員が一度で理解できる他の言葉が学のない僕には思いつかないので、そう表現します。改めまして、戦績は1勝14敗でした。何社も志望するのは不誠実だと綺麗事をぬかしていたにも関わらず、いざ蓋を開けてみると15社も受けていました。これが多いのか少ないのかは判別がつきませんが、そんなことはどうでもいいか。
 その内面接まで進めたのは半分ほどで、残りは全て書類落ちでした。面接も二次以降に進めたのは先に書いた2社だけでした。
 選考が思うようにいかない時、特に面接会場まで辿り着かなかった時なんかは、どうにか現状を変えようと、数撃ちゃ当たる戦法でエントリー数を増やそうと考えていました。それこそ20社30社と。誠実さの欠片もありませんが。
 それにも関わらず、最後に漫画関係の2社に絞ったきっかけがあるとすれば、面接帰りにある友人とばったり会ったことかもしれません。
 彼とは小中高と学校が一緒で、中学の部活や通っていた学習塾なんかも同じでした。かと言ってそれほど話し込む仲でもありません。中学生の頃は会うたびに肩を組まれ、歩きづらくなるから嫌いだったことを覚えています。自分の荷物を他人の自転車のカゴに許可なく入れるような身勝手な奴です。
 彼は大学に現役で進学していたため、一般的な考え方をすれば今年の4月からどこかしらに勤めているはずでした。そんな人間が平日の真昼間からボケ〜っと自転車を漕いでいたので、思わず声をかけました。
 何をしているのか聞くと、司法試験の勉強をしに図書館に行く途中だと言います。何を言っているのかよくわかりませんでした。確かに、彼は都内の有名私立大学に進学しているからそういう道に進むのは頷けます。しかし、学部は教育学部だったはずです。その点について尋ねると、卒業後に一から学んでいると言うのです。また、就職活動はしなかったのかと聞くと、2社から内定が出ていたが、どちらも断ったと言い出しました。
 こんなにもめちゃくちゃなやつが近くにいたのかと驚くと同時に、少しだけ勇気が湧きました。もちろん、彼と僕とでは環境が違います。住んでいる場所も違えば、家族の寛容具合も違うでしょう。ただ、どうせめちゃくちゃをするのであれば、納得のいく終わり方をしてからにしようという、ある種の覚悟のようなものを勝手に受け取りました。自分勝手はお互い様です。ありがとう。
 無理にエントリー数を増やさなかったのはそれが大きかったように思います。その判断が正しかったかどうかは、今後の僕の働き次第ではありますが、現時点では良い判断だったと信じています。
 思えば、小学生の頃は彼の家へ遊びに行き、積まれたジャンプの山を漁っては読んでいました。相当な数があり、彼の母親から持って帰ってくれないかと言われ、実際に持って帰ったことも何度かあります。その度に母親に叱られたことは記憶に新しく、その点においても彼のことは嫌いです。
 しかし、漫画編集者としての一歩を踏み出そうとしている僕と彼との間にも漫画の存在があったと思うと、やはり運命というものを信じずにはいられません。僕と女の子は運命という言葉に弱すぎるかもしれませんね。気をつけましょう。でも運命ってありますよね?



 最後に、本記事内で具体的な企業名を出していますが、もちろん直接許可を取っているわけではありません。万が一問題があり、企業関係者様から申し出があった場合、本記事は公開停止致します。また、一部面接官の方に対して不適切な言葉をぶつけています。不快に感じられたことと存じます。申し訳ございません。あくまで当時の私が思い感じていたことです。人格等を否定するつもりは一切ありませんので、失礼を承知ですが、ご容赦いただければと思います。
 しかしながら、何も考えなしに具体的な名称を出しているわけではありません。この記事は、私自身が就職活動をしていたという記録としての存在が第一目的であり、他の誰かの何かになればというのは次点での目的に過ぎません。本来であれば、記号やイニシャル等で企業名を隠すことが暗黙のルールなのかもしれませんが、自己満足のために堂々と掟を破っています。表現の自由というやつですね。
 また、仮にこの記事を読んでくれた方の中に同業種志望の方がいれば、具体的に記述することで、一つの例としてイメージしやすいのではないかという思いも込め、執筆しています。さらに言えば、企業名を明示することで、執筆者である私自身の当時の記憶や感情も鮮明に思い出されるという点があります。臨場感はないよりあったほうが読み物としてより面白みが増すと考えています。素人が書いた長い文章が一切面白くないというのは最悪すぎますからね。以上が、本記事において具体的な企業名を出している理由です。

 話の早い人は会社名が具体的に出ていない時点で編集プロダクションに入社するのだろうと気づいていたと思います。実際に勤める先を具体的に出すと色々問題が起きるかもしれないので避けました。読む人が読めばわかるかもしれないですが、わかったとしても秘密にしておいてください。俺との約束だ。

 それではこれから出会う漫画家さん、編集者さん、印刷所の方々、その他諸々の関係者様方、わからないことだらけ、知らないことだらけの不束者ですが、どうぞ末永くよろしくお願いいたします。

 漫画大好き!漫画最高!
小説も最高!
図鑑とか教科書とかも!
本って最高!!
(完)


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