あなたたちの代わりはいくらでもいる

どうも、関東地方のどこかのメーカーでエンジニアとして働いている佐藤(偽名)です。
私は機械設計エンジニアとして働いているのですが、非常に日本法人の規模が小さな会社で働いているため、技術分野を問わず色々な業務をこなしています。
今回の記事は、私が自分で設計した製品の組立工程を導入したときの話をしていきます!

私は新製品の設計を終えた後にその組立工程を考えて、その組立手順書や品質管理指南書を工場の人たちに配布しました。
基本的に私は頭を使わなくて済む仕事を属人的にするのが非常に嫌いですし、そういった仕事こそ誰にでも出来るようにして、人件費の高い人が頭を使う仕事に専念できるようにするべきだと考えています。
しかし、そうした私の個人的な信条とは裏腹に、弊社の現場担当の人材には仕事をブラックボックス化して自分の存在価値を確保する人が少なからずいました。
特に何十年も組立工程を担当してきた人の中には、”俺がいないと会社は終わる”などと口走る人までいましたので、それを聞いた私は心の中にこのツイートに書かれているツッコミを入れました。

私の立場から言わせてもらうと、そうならないために組立工程を仕組み化していたわけですし、誰かが抜けたくらいで本当に仕事が回らなくなるなら私は何の意味も無い仕事していたに過ぎないです。
しかし、このツイートを発信してからしばらく経った後、私への共感の声と非難の声がTwitter内で沸き起こりました
当時の私への批判の声をリストアップすると以下の通りです。

・お前の代わりもいくらでもいるぞ
・自分はそんなにかけがえのない人材なのか?
・工場の人たちを見下している
・こんな事を思うのは相当仕事ができるか思い上がってないとできないね

こうした意見が届いてから率直に思った事があります。
むしろ私に対してこのような意見をぶつけてくる人こそ工場の人たちを下に見ているからこそ出てくる批判なのでは?

これも私の個人的な価値観なのですが、サラリーマンとして仕事をしている以上は自分の成果の対価として給料を得る事が大原則です。
求められている役割をこなせる人材であれば誰でも良いですし、誰かが辞めたら別の人にその役割を回せばいいだけの話です。
身も蓋も無い言い方をすれば、”自分はいなくても良い、自分がいなくても会社は困らないから存在価値を出せるだけの成果を出せるよう頑張る”という厳しい認識を持つのが被雇用者の価値観だと私は考えています。
いや、終身雇用が一般的な日本社会ではあまりメジャーではない考え方なのかもしれないですけど…

色々と書き連ねていきましたが、もし総合職の自分の方が現場担当よりもランクが高いとか工場の人間の仕事はレベルが低いなどと考えて、自分が会社から見限られる事を全く想定していないのであれば、それは大きな勘違いではないでしょうか?
ていうか、そんなのは"会社で働いている"のではなく"会社に飼われている"に過ぎないと思います。

ところで、この記事を書いている最中に私が5年ほど前に知り合った女子大生を思い出しました。
彼女はとても聡明で努力家だったのですが、人が良すぎて押しに弱すぎるところがあり、自分のやりたい事を犠牲にしてまで人からの頼み優先するところがありました。
彼女は就活が始まった時期にバイトを辞めなければならなくなったときにも、僅か数千円の報酬でマニュアル作成を懇願されて引き受けてしまうほどのお人好しでしたしね…
そこで私は彼女にプレゼントを渡すタイミングで、彼女が喜んで好きそうな本にこのように書いた手紙を挟んで彼女に渡しました。

人はそんなに自分の事は細かく見ていないし、しつこく頼んでくる人でも
一度本気で断ればまた別の人に矛先を変えていくものです。
いちいち恨まれたりしません。
自分の優先したい事を第一に考えて、人に都合良く使われないでください。

彼女がこの手紙を読んでどう思ったのかは全く知りません

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