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映画『夜明けのすべて』感想 助けることで助けられること

※映画のネタバレを含みます


好きな作品の実写版に好きな人が出るの、うれし〜! という気持ちで映画館に足を運んだ。
原作を読んだのは2020年12月のこと。

このとき書いた感想はえらく抽象的だけど、読後感は映画を見て受けた印象とほとんど同じで、その感じがうれしい。原作に忠実なストーリーではないにも関わらず、原作の要素を大事にしてくれていることは十分伝わった。改変したところがあっても、そのことで間違った伝わり方をしないように、丁寧に気を配ってくれているのがわかる。そして何より、あのふたりを変えないでいてくれた。実写化にあたって恋愛要素を足されたりしたらどうしようかと思ってたから!笑 杞憂に終わってよかったです。

好きな瞬間はいくつかあったけど、PMSの症状が出始めた藤沢さんを山添くんが会社の外に連れ出す場面で胸が詰まった。山添くんはこれまであまり人助けらしい人助けをしてこなかったんじゃないかなと想像するけど(勝手なイメージです)、そんな山添くんが藤沢さんの苦しさの原因について知ろうとして、考えて、行動しようとした、その事実は時間をかけて二人の人生に効いてくるんだと思う。日曜日に藤沢さんが会社に来て再び社用車を掃除し始めたとき、何かあったんだろうなと心配しつつ、あのときのあれは無意味じゃなかったんだなあ、と山添くんは思っただろうし。
たとえば山添くんがもっと対人コミュニケーションがうまくて器用な人だったら、藤沢さんに対する接し方ももっと上手で、スムーズに立ち回れたはず。でも、助け方がスムーズすぎるのもちょっと嫌だよね。素直に受け取れなくなりそう。
じゃあ藤沢さんは器用なのかというとそういうわけでもなくて、普段は人に気を遣いすぎているし、対山添くんになると逆におせっかいを発揮する(いきなり押しかけて自転車あげたり)。そういう感覚ってちょっとだけわかるんだよな。相手との親しさ度合いに関わらず、「この人に何かしてあげたい!」って直感する瞬間、生きていたら何回かある。この作品ではたまたまそれがいい方向に向かっただけで、結局おせっかいはおせっかいだから、相手のためにならないこともあるんだけどね。

そう考えると、助けられることはある、っていう言葉がすごく響いてくる。助けることはできる、じゃなくて、助けられることはある、なところがいい。その人の全部を救えるはずだと思ってしまうと、傲慢さが滲み出たり、押し付けがましくなったりする。だから、助けられること「は」ある、くらいがちょうどいいんだろう。こんな自分でも誰かを助けられることはあるよなあ、助けられないことのほうがたくさんあるけどなあ、くらいでいい。
これは私の場合だけど、他人を助けることでかえって自分が救われることがある。たとえば人の相談に乗ったとき、「ありがとう! すっきりした!」と言ってもらえたら、私まですっきりしたような気分になる。しんどさの真っただ中にいるときはさすがに、今は自分のことで手一杯だよ! と思うけど、しんどさがちょっと和らいだタイミングを見計らって誰かのための行動をしてみると、不思議とほんのり楽になれたりする。たとえば募金をしてみるとか。理由はたぶん、無力感が和らぐからじゃないかな。自分を助けるために他人を利用するみたいでもあるけど、でもそれって、お互いさまじゃない? みんながそうやって生きていけばいいと思う。
藤沢さんと山添くんだって、相手のことを大切に思っているから助けようとしたわけじゃない。ただ目の前に人がいたから何かしようと思った、それだけのような気がする。そういうゆるやかな繋がりを持てることが羨ましい。

あとは私、自転車に乗る山添くんがすごく好きなので、自転車に乗る山添くん(実写)が見れてうれしかった。実写化が決まった段階からずっと自転車を楽しみにしてた。なんでだろうな。電車に乗れなくなった山添くんの世界を広げてくれたのが自転車だからかな。理想を言うなら、もっと必死で自転車をこぐシーンが見たかったかな!

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