息子の再スタートの場所は私のほろ苦い思い出の地。(90+24)
昨日の投稿に少し続くような内容になるけど。
息子が通う学校のある地域は、実は私が中学2年間を過ごした場所でもある。よく学校を休んでいた当時の私がいた場所。
息子の新たな挑戦の場所に、この地を選んだことも偶然ではなく必然だったのかもしれない。もちろん、私が土地勘があることや友だちや親戚も住んでいるので、いざと言うときに頼れるかもしれないと言うこと。そして、一番の決め手は息子の幼馴染が住んでいることかもしれない。
息子の幼稚園時代からの幼馴染は、小学生の頃に家族でこの地にお引越ししていた。毎夏、お互いのうちをお泊まりして、ずっと交流を続けてきたけど、コロナをきっかけに途絶えてしまった。ちょうど中学生になるタイミングだった。
そして、久々に連絡をとって会ったのが、去年末。帰省したタイミングで4年ぶりに会ったのだ。まだ通信制高校に在籍していて、友達ができないことで悩んでいた頃。たった2時間だったけど、「昔と変わってなかった」という一言が物語っているように、当時と変わらない楽しい時間を過ごせたんだと思う。
そんなことも含めて、この地で学校を選んだ。息子の状態を考えると、自宅から通える方がいいのか悩んだけど、息子自身が同級生がいる地元は嫌だと言うので、最初から選択肢にはなかった。結果的に、一つ下の学年にしか編入できないとわかったので、この選択で良かったと思う。
同じ県内なので、これまでも何度か遊びに来たことはあるけど。息子のことで先月から何度も往復することになり、その度に私自身いろんなことを思うようになった。
その中で、ふと浮かんだのが母の顔。私も親元を離れてこの地で生活していた。
私が学校を休むと、居候させてもらっていたお家のおばさんが母に連絡を入れる。そうすると、心配した母が2時間運転して私の様子を見にくるのだ。
でも、体調が悪いと休んだ私が、けろっとした顔しているのを見て、母は拍子抜けする。せっかくきたからと、お昼ご飯を一緒に食べたりして。「頑張ってね」とまた2時間かけて帰っていく。
弟たちが学校から帰ってくる時間に間に合うように帰っていたから、滞在時間なんて短かったと思う。それでも、来てくれていた母。
ふと運転していて、そんなことを思い出して、自然と涙が出る。
あの時、母は何を思っていたんだろうか。今までそんな話をする機会がなかったから、聞いたことがない。息子のことがなければ、私も思い出すことがなかったかもしれない。
先月。久々に母に会った。その時に、息子のことを報告する。
「東京より近いし、安心だね。良かった良かった。これからまだ色々と大変かもしれないけど、頑張って。」
いくつになっても、母の「頑張って」は心に沁みる。どんな場面でも、こうして応援してくれた。私のわがままで親元を離れたのに、父のことも説得してくれたのに。私はその期待に応えることもできなかった。そのことで、母との関係がぎくしゃくした時期もあった。当然だと思う。でも、当時の私は子どもすぎて、母の態度に逆ギレしていた。それでも、最後はちゃんと受け止めてくれた。母の愛は強し。
そう考えると、本当にそこから全部が繋がっていると思う。息子のことがなければ、当時の母の愛に改めて気付かされることもなかっただろうし、自分が母親になった今だから感じることもある。
そして、ほろ苦い思い出があるこの地も、息子を通して新たな思い出の地となるだろう。
人生って何があるか、わからないですよね。当時の私は、33年後に自分の子どもが同じ地域の学校へ通うだなんて、思っても見なかったはずだから。自分が母と同じように運転してくるだなんて思っていなかったはずだから。
改めて、お母さんありがとう。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
ひとりごと
私の住んでいた地域とは離れているので、知らない景色だなと思っていたら、聞き慣れた地名が。実は父の会社の営業所があった地域で、うっすらとその景色も思い出したのです。いやぁすごいな、絶対偶然じゃないなと思ってしまいました。息子のおかげですね。
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