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産後の恨みは一生、らしい を見た

Xを見ていて目を引くポストを見つけた。
「産後の恨みは一生」ってのはマジだった から始まり、元記事が引用されつつ内容が紹介されていた。

子供を三人持つ家族であり、夫はサラリーマン、妻は専業主婦である。
長女が20歳になったタイミングで夫が「ようやく“育て上げた”って感じがするなぁ」と妻に話したところ、妻は不機嫌になる。
妻は夫に「夫と育てたという感覚はない。自分が育てたような気持ちになるのは不愉快」と伝える。
その根拠として「妊娠中体調がすぐれない中で夫が飲み会に行ったこと。」「夜泣きがひどい中で夫が寝ていたこと。」「子供が泣き喚いていた中でテレビを見続けていたこと。」を挙げる。
夫としては、上記に関しては自分が悪いと認めた上で、自分は仕事をしながらでもできる限りの協力はしていたし、それらの失敗だけで「夫と育てたという感覚はない。」とまで言われることに理解できない様子であった。

さらに後日談として、原因について語られている。
夫は二人の間で「育児」というものに認識違いがあったと考えている。
夫は金を稼ぐことも含めて「育児」と認識し、
妻は子供を育てることそのものを「育児」と考えている。
夫は金を稼ぐことで間接的に育児をしていると考えていたのである。
また、夫は「妻の認識する育児」を妻と同程度とは言わないが全くしていないというわけではなく、その点でも妻のみが育児をしていた納得がいかなかった。

いつか子供が欲しいと思っている私にとって非常に興味惹かれる内容であった。

書いている内容をそのまま受け取ると、

  • 妻は子供を育てる行為そのものを「育児」と考えた。

  • 夫は子供を育てるための金稼ぎを含めて「育児」と考えた。

  • 妻は「妻が認識する育児」を全くしていないと夫に指摘した。

  • 夫は「夫が認識する育児」は十分に行っていたし、「妻の認識する育児」もできる限りの範囲で手伝っていたため、全くしていないは言い過ぎと考えた。

ということになるだろう。

では、妻と夫と話し合って二人の「育児」認識合わせすることで、お互い「育児」を頑張ったねという結論になるのだろうか。
個人的は妻が不機嫌になった原因は別のところにあると考える。

私は「妻が本当に苦しい状況下において、夫が子育てを手伝わなかった経験」にあると考える。
育児の認識違いや夫が育児を行なっていたかの正否はあまり重要ではなく、自分が辛い時に手助けをしてくれなかったことが、妻の中で大きなウェイトを占めているのではないだろうか。

夫は仮に家事や金関係の貢献度を算出する必要がある場合、重み付けはせずに単純に計算するような人だと思う。
例えば、皿洗いしたら+1、ご飯を作ったら+1、ご飯代を出したら+1というような具合で貢献度を計算感じだ。
このように計算すると夫は実際に育児を行なっているためある程度の貢献度はあると考える。
一方、妻にとっての貢献度は条件によって重み付けが発生するのではないだろうか。
自分に余裕がない時に育児をすると+100(むしろしないとマイナス)、余裕がある時に育児をすると+1みたいな計算方法になると、いくら育児の回数をこなしても条件によっては全然貢献度が貯まらない。
これにより、妻としては夫は全く育児をしなかったと考えたのではないだろうか。


私は上の事態を防ぐために「貢献度が高くなる(辛い状況である)時にお互い助けを求められるような環境を作ろう」と考えた。
多分私は自分の妻の気持ちを正確に把握できない。
それは逆もしかりだろう。
それを認めた上で、余裕がない時は「今余裕がないから代わりに家事、育児をやってくれないか」と相手に伝え、伝えられた人は自分の余裕具合に応じて代わってあげることが重要なのではないかと思う。

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