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Day11:「オールド・ロンドン・ブリッジ」ロンドン橋について②

おはようございます。
今日もみっくみくにしてやんよ。Sato39です。
毎日更新ボドゲレビュー11日目。

昨日に続き、ロンドン橋の歴史についてです。
ついに完成したオールド・ロンドン・ブリッジ!
この後、どうなっていくのでしょうか。

どうぞお楽しみください。



【中世後期のロンドン橋: ピーター・デ・コールチャーチ橋】

中世のロンドン橋はまるで賑やかで繁栄した村のようだった。橋の上にいるときは水の上に立っていることを想像もできなかったが、両側に張り出した家の窓から外を眺めると、渦巻く川の流れを見渡すことが出来た。

中世のロンドン橋はゴシック様式のアーチが急峻にカーブして橋脚を形成しており、また広い土台がさらに水の流れを阻害していたため非常に流れが急であった。このため船でこの急流を通り抜けようとする行為は「Shooting the Bridge」と呼ばれ、溺死する者が絶えなかった。

このことから、「賢いものは橋の上を渡り、愚か者はその下を通る"for wise men to pass over, and for fools to pass under."」という諺が生まれている。

しかしこの速い水の流れをうまく利用し、穀物を粉砕するためにアーチの下に水車を設置し回転させていた。その後、1582 年にはピーター・モリスによって巨大な水車が建設され、ロンドン市街に最初の水道水が供給されている。

またこの頃の橋は、川を渡り買い物をする以外に裏切り者の生首を晒す場所でもあった。南のゲートハウスには30以上もの頭がスパイクに突き刺されており、南のサザーク地区から北のロンドン市街に入るには、このゲートの下を通らなければならなかった。


【ジョージアン様式のロンドン橋: ピーター・デ・コールチャーチ橋】

橋上の建築物はたびたび火災に見舞われた。
1212年、橋の両端から同時に火災が発生し、大火は橋上の人々を閉じ込め3000人が亡くなったとされている。

1633年、メイドが木製の階段の下に灰のバケツを置き忘れ、大火事となった。この火事で 43 棟の家屋が焼失し、多くの商店も焼けて消えた。しかし両端の家が崩壊していたため、33年後に起こったロンドンの大火からは甚大な被害を免れることができた。

大火の後、ロンドンは再建を余儀なくされた。ロンドン橋も新しい建築様式であるジョージアン様式が採用され、古代の木造家屋は屋上庭園のある近代的なブロックに置き換えられている。


【新しいロンドン橋】

ロンドンが発展するにつれて橋はますます混雑するようになり、渋滞を制御するため、1722 年に市長は橋の左側通行を命じた。そして1763 年までに全ての家屋が取り壊され、橋は拡幅され中央のアーチが広く再建された。

しかしこの再建により水の流れが一点に集中し、圧力により橋脚が損傷、橋が不安定になってしまう。そして1821年、橋が不安定になったことと、600年の月日による老朽化から新しい橋の建築が決定され、コンペが開催されることになった。


【レニー橋】

コンペでは、ジョン・レニー (John Rennie) による 5 つの半楕円形のアーチを提案する計画が支持を勝ち取り承認された。
新しい橋は 1831 年に完成し、ウィリアム4世とアデレード王妃の出席のもと開通式典が行われている。


【ビクトリア朝のロンドン橋: レニー橋】

新しい橋は広々としていたが、ロンドンに鉄道が開通し、ロンドン橋のすぐ南にロンドン・ブリッジ駅が開通するとすぐに混雑するようになってしまった。

毎日、何千人もの人々が橋を渡っていたため橋はすぐに拡張する必要があり、1902年から石造りのブラケットを差し込んで幅が広げられた。橋の両端には川に降りる階段のある広場が作られ、川船や汽船も使用された。


【アメリカのレニー橋】

壮大な計画にもかかわらず、ジョン・レニーの橋はピーター・デ・コールチャーチの橋ほど長くは存続せず、橋は完成時にすでに12インチ沈み、8年ごとに1インチずつ不均一に沈み続け、現代の交通に対応できなかった。

レニーのロンドン橋は基礎の沈下のために取り壊されることになったが、美しい橋梁はまだ使用可能であり公募にかけられることになった。

結局、アメリカの起業家でアリゾナ州の創設者であるロバート・マカロックが、 この橋を自分の街のランドマークにしたいと考え落札し、アリゾナ州レイク・ハヴァス・シティの橋を移動して再建された。


【現代のロンドン橋】

今日のロンドン橋は、全長283メートルのコンクリート橋であり、1973 年 3 月 17 日に英国女王エリザベス2世によって開通され、現在に至っている。


参考:
London Bridge Museum & Educational Trust
ロンドン橋 - ウィキペディア



オールド・ロンドン・ブリッジと呼ばれる中世のロンドン橋は、ピーター・デ・コールチャーチ司祭によって建築された後、600年もの長きにわたり人々の生活を支え愛されてきたことがよく分かりましたね。

明日からは、いよいよこのオールド・ロンドン・ブリッジをテーマにしたボードゲームをレビューしていきますよ。お楽しみに。

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ではまた明日。

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