見出し画像

あるいは無法者の掟

 上記の記事の続きというか、上のような雑感を抱いている人間による「キヴォトス(ブルーアーカイブ作中世界)での感覚」についての妄想です。

 お題は「キヴォトスにおける罪の軽重について」。

 そもこの話について着想を得るきっかけになった、与吉さんによる記事(https://note.com/yokitimeira/n/nb68cb8f1c6df)に感謝を。こいつ毎回こんなこと言ってるな。

青春の蹉跌について

顔なじみの犯罪者たち

「銀行を襲うよ!」

ブルーアーカイブ メインストーリーvol.1 対策委員会編 1-13 出動!覆面水着団(1)

 ブルーアーカイブはよく、(笑い話として、ジョークとして、あるいは実際にシナリオを読んでの感想として)治安が悪い作品であると表現される。

 それは、登場する生徒たちがみな銃を持ち歩いていて、非常にカジュアルに発砲するから…ということもあるだろうが、それより何より、いちおうは登場人物たちは「先生が顧問をつとめる超法規的部活(なんだそりゃという話だが、学園都市キヴォトスにおける部活は団体全般を意味する名詞だ)」の部員ということになっているのに、その中に頻々と犯罪者が顔を出すことが見逃せない要素になっているのではなかろうか。

 それはたとえば、なにか漠然と「アウトローになりたい!」と一念発起し学校非公認の部活を立ち上げた結果、なんやかやでお尋ね者になったという便利屋68の面々であったり、都市に名高いテロリストである美食研究会、温泉開発部のメンバーや、電脳犯罪を繰り返す(私はクラッカー=犯罪者側だと自称するものまでいる)非合法部活動ヴェリタス、そもそもが脱獄囚の狐坂ワカモ…と、設定段階ですでに犯罪者である面々がごろごろしている。

 そればかりではない。メインシナリオの四篇を見てみれば、その展開の山にどれもかならず犯罪行為が入っている。あまり詳しく言うのは(もしや、本編プレイ前にこれを読んでいる変わり者の先生候補や先生がいる可能性もあるので)避けるが、銀行強盗行政府の襲撃要人の誘拐クーデター事実上の反乱など、それこそ現実に照らせばとても言い訳ができない、堂々たるラインナップが揃っている。

 そして、プレイヤーキャラクターである「先生」は、しばしば生徒たちが行う犯罪行為に加担する形になる

 いいのかそれは? となる人がいても当然の話しだと思う。先生は生徒を教え導くものと違うのか。堂々と犯罪を助長するのはどうなんだと。

 まあ、それはそうだとは僕も思う。が、これは「おはなし」だし、それを差し引いても、じつは「キヴォトスでは許されうる犯罪」というのが大量に存在しているのではないか…と、僕は勝手に思っているのだ。これが枕。

 では、その「許される犯罪」というのはどういう種類のものなのだろう?

真昼に踊る犯罪者

ふぅ……あのような美味しくない学生食堂をひとつ吹き飛ばしたくらいでこの騒ぎとは、ゲヘナの風紀委員会はよっぽど暇なようですわね。

ブルーアーカイブ グループストーリー 美食研究会の日常(1)

 個人的に、この話をするとき最高のサンプルだと思っている生徒がいる。黒舘ハルナ。美食研究会会長。学園都市全域に名高きテロリストだ。冒頭に掲げたのも彼女のセリフで、まあこれが「日常」だというのだからすごい。同じ部活動の生徒いわく「ハルナが爆破しなかったお店はお墨付き」らしいので、稀な行為というわけではなく、ごくカジュアルに店舗爆破を敢行しているのだろう。一応、彼女なりのきちんとした理由はある。

「ジュンコさん、例えばですよ?誰も使ってない流し台で水が流しっぱなしになっていたら、どんなお気持ちになりますか?」
「えっと……蛇口を締めなきゃって思うかな?」
「はい、その通りです。私は不味いものを出すお店を見ると、そんな衝動に駆られるのですわ。」

ブルーアーカイブ グループストーリー 美食研究会の日常(1)

 要するに「世に出るまずいものを減らすのは当然なすべきことであるからそれを粉砕する」というロジックで動いている。まあ危険人物だ。当たり前だが、たびたび風紀委員(作中世界における警察とか軍警察に相当する)に捕まってはブタ箱にぶちこまれている。

 たびたび。これがポイントだ。名高い犯罪者ではあるが、それだけ何度も爆破テロを繰り返しても普通に釈放されているらしいのだ彼女は。公式小説では、ゲヘナ学園の代表として、体育祭での競技に出てもらうために釈放を早める…というような話まで出ている。気楽である

 爆破テロの常習犯だぞ。

 それこそ「現実」で普通に考えれば、一生娑婆に出てこられないだろう。だが先生の判断のみならず、学園都市キヴォトス一般の基準に照らしても、留置場にぶちこまれるくらいの罪でしかないらしい。上には停学や退学やらの刑、あるいは矯正局(連邦刑務所みたいなものである)への禁固刑があることが明言されているので、留置所宿泊が格別重い刑でないのは明らかだ。所属する生徒の大半が犯罪者じゃないかという疑惑のあるゲヘナ学園の基準なのかもしれないが、それにしても微罪だということになる。

 余罪も山ほどある。たとえば主役を務めた季節イベントでも、ゲヘナ学園給食部の部長を誘拐する、それでも足らずに先生も誘拐するなど好き放題に暴れまくっている。

 だが、このへんのことはやはり常習的に繰り返しても許されている
 こうした描写の背後に一貫したルールやイメージがあるとして、いったいどのような内容になるのだろうか?

赦されざる罪

……人殺しになった私は、もう友達ではいられないだろう?

ブルーアーカイブ メインストーリーvol.3 エデン条約編 3-13 届かない向こう側

 逆に、先生が加担するかどうかというのは措いて、作中で非常に重い罪と認識されているもののことを考えてみよう。

 これは、迷うことなく判定できる。
 殺人である。

 たとえば(具体的な罪状列挙がネタバレになるので詳細は避けるが、現実で考えればひとつひとつの罪で終身刑だよというような代物が並ぶ中で)、もっとも重い罪が殺人未遂だという話が出てくる。

 これは、とにかく「現実世界の法に照らせば」違和感がある話だ。ただ、読んでいる最中に、あまり強くそれを意識することはないはずだ。それは、作中の人物たちがものすごく重いものとしてそれを扱っているからだ。

 ある人物は、「大事な人の死体を見つけたこと」が、二度と立ち直れないほどの重い傷になると言った。またある人物は、世界すべてのためにたった一人の命を奪うことが、世界の誰にも同意を得られないほどの重い決断だと考えていたようだ(少なくとも僕にはそう見えた)。

 強引というか、ぼくの見たところ、という一点から引っ張っている話だがつまりキヴォトスでは、自明の前提として人の命が現実以上に重いのでは?

 もしそうだとするなら、それは何故だろうか?
 その裏打ちに使えるような描写や設定は、作中にあるだろうか?

 結論から言えば、ある、と僕は思っている。

方舟という名の箱庭で

メカ、可愛い、動物

 まず、キヴォトスの住人たちのことを考えてみよう。プレイヤーたる先生以外、どうやらまともな「人間の大人」は存在しないらしい(少なくとも、画面にグラフィックが映ることも、そうした存在が語られることもない)。

 学園都市の主役は、もちろん生徒たちだ。だいたいが高校生であり、少女であり、銃を持ち歩いている。人間かどうかはわからないが概ねは人型で、共通して頭の上に様々なデザインの光の輪(ヘイロー)を備える。そして、とてつもなく打たれ強い

先生はキヴォトスではないところから来た方ですので……。
私達とは違って、弾丸一つでも生命の危機にさらされる可能性があります。
その点ご注意を!

ブルーアーカイブ プロローグ

近距離で5.66mm弾を丸々一弾倉分当てたから、1時間くらいはこのまま気を失ってるはず。

ブルーアーカイブ メインストーリーvol.3 エデン条約編 2-15 火蓋は切られて

 もはや打たれ強いという程度で済ませてはいけない気もするが、とにかくカジュアルに銃撃戦が発生するキヴォトスでは、そこらの銃(それこそ現実の人体に当てたら血煙になるような対物ライフルだろうが戦車砲だろうが)で一発撃たれた程度では大したことではない。爆弾だろうが似たようなものであり、焦げ目がついたり煤けたり、アフロになったりする程度で済む。

 とはいえもちろん、彼女たちも不死身というわけではない。

肉体に取り返しがつかない、致命的なダメージを与える……与え続ける。
(中略)
例えば、水や食料の摂取を長期間にわたって強制的に絶つ、呼吸ができない環境下に強制的に閉じ込める、身体機能が停止するほどの流血をさせる、体温が一定以下になるような状態でずっと拘束し続ける……
「死」に至らせる方法は、幾らでもあるはずだ。

ブルーアーカイブ メインストーリーvol.3 エデン条約編 3-1 ポストモーテム(1)

 彼女たちの不死性(プレイヤーの間では、どうもヘイローの加護的なものがあるんじゃない?と囁かれている)には特徴があり、一過性の衝撃・侵襲にはすごく強いが、長時間えんえんと傷つけられ続けるような状態になるとそのまま命を落とすケースが出てくるらしい。

 さて、この先が忘れられがちな話で、生徒以外のキヴォトスの住人たちのことである。ロボット知性化動物がそれにあたるのだが、実はヘイローを持たない彼らもまた、生徒たちに準じるような強烈な不死性を持っている。スナック感覚でぶっ放されるアサルトライフル弾やら、市街地をなぎたおす爆弾の被害に巻き込まれても、生徒でない住人たちも案外ケロっとしているのだ。怪我をして病院に担ぎ込まれる描写などはあるが、少なくとも死者は出ていないらしい。甚だしくはショットガンを弾切れまで撃ち込まれても、笑い事(気絶)で済んでいるような描写まであったりもする。

 つまり総じて、キヴォトスでは人を殺すことが難しいと言えるだろう。

 それが言えたからなんだよ、という話ではある。別に難しいから罪になるなんていう話は、この世のどこを探してもない。物語の中にだってそうそうないだろう。だいたいそれを言い出したら、現実ではしごくあっさり人殺しになれてしまうから、罪が軽くなるんですか? みたいな馬鹿な話も出る。

 そういうことが言いたいわけではない。僕が想像しているのは、学園都市という場の特性と、この「人が死ににくい」という事実が、強く結びついているのではないかということである。

誰が背負うのか

責任を負う者について、話したことがありましたね。

ブルーアーカイブ プロローグ

 ブルーアーカイブという物語の、一番最初に語られる言葉がこれだ。
 この言葉の意味については、それこそメインストーリーでたくさんの尺を費やして語られることになる。その端的なものが、おそらくこれだ。

"あの子たちの苦しみに対して、責任を取る大人が誰もいなかった。"
(中略)
大人とは「責任を負う者」、そう言いたいのですか?

ブルーアーカイブ メインストーリーvol.1 対策委員会編 2-15 大人の戦い

”子供たちが苦しむのは、その子のせいじゃない。”
"子供たちが苦しむような世界を作った責任は、大人の私が負うものだからね。"

ブルーアーカイブ メインストーリーvol.3 エデン条約編 4-25 大切な人

 主観人物である(主人公とは、あえて言わない)「先生」の言葉だ。
 大人は、子供の苦しみを救うために、責任を負うもの
 これは明に暗に語られる、強い主張の一つだと僕は認識している。

 では、苦しみとは何か? 子どもたちは何に苦しむのだろうか?

神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。
それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

コリントの信徒への手紙二 5:21

 苦しみ(passion)の最たるものといえば、やはりキリストであろう。

 ブルーアーカイブに、聖書のモチーフがたびたび持ち出されていることはよく知られている(ちょっと調べてみると驚くほど多数出てくる)。それにライター陣の母国たる韓国はキリスト教国である。なので、まあこれは偏見かもしれないが、そこから苦しみの概念を援用してくるのはどうだろう?

 なぜ苦しむか。雑駁に掻い摘めば、苦しむのは罪のゆえである。

 ということは、先生は子供たちが罪を負う必要はないと考えている。

 ある人物は、先生が「主人公」であると評した。キヴォトスは、「先生が主役の物語」であると。では、さらに大胆に話をひっくりかえしてみよう。キヴォトスという世界について、こう考えることはできないだろうか?

 キヴォトスはそもそも、子供たちが罪を負うことが困難に造られている

子どもたちの国

 さて、駄法螺を畳みにかかろう。これまで出してきた話をまとめると、

  1.   キヴォトスでは殺人が非常に重い罪である。

  2.   キヴォトスでは非常に人を殺すことが困難である。

  3.  ではキヴォトスそのものが罪を負いにくくデザインされているのでは?

 だいたいこのような塩梅で整理することができる。

 こうなると、話はまた頭に戻る。なぜ、殺人が特に重罪であるのか

 ここに僕は、前回の記事の話を始めたい。最初に、続きみたいなものだと言いましたしね。前回の記事、自説を開陳する上で、ざっくりというならばブルーアーカイブの基本形になっている美少女ゲームはキャラクターを軸にジャンル遷移を起こすことが基本の形式となるコンテンツ体系である(https://note.com/satmra/n/n501448d0d6c4#079e0a3f-7f52-4bb2-aa23-a08d9f9cfecd)という話をした。それから、そこにおける主人公とヒロインの関係が、先生と生徒(相手に対して、責任を持つもの)という関係に転換されているのではないかという話を。

 ジャンルを遷移させるためには、模索しなくてはならない。色々なことを試してみて、自分に合うかどうか、合わなくてもそちらへ進む道を決めるかどうかというところで揺れ動かなくてはならない。だがその試みのためには誰かを巻き込み、何かを犠牲にする必要がある。そして、それが罪である。そして先生は、その罪の責任を負う立場にある。

 もう少し噛み砕こう。

 新しいことを始めるためには、失敗だってするだろう。誰かに迷惑だってかけるだろう。それは大人がやってしまったら訴訟沙汰になる。けれども、子供にも杓子定規にそれを当て嵌めてしまえば、子供は何もできなくなる。なぜならば、子供は大人に対して未熟なもので、失敗して当たり前だから

 モラトリアム、というやつだ。自分がどこへ進むのか、何をしたいのか、それをしたら、全力でやってみたらどうなるのか。それを確かめる権利が、子供にはある。それを許してやるのが大人だ、ということ。

 だが、ここで忘れてはいけないのは、人間は一人ではないということだ。またキャラクターの話に立ち戻ると、あるキャラクターが色々と試すことで他のキャラクターの可能性が奪われることがあってはならない。その最たる形、つまりいかなる試みをも停止させる行為が、殺人である

 だからこそ、生徒/子供/キャラクターたちの活動の場であるキヴォトスでは、極端に人が死ににくくなっているのではないだろうか?

 また、「人が殺される条件」がどれも非常に時間がかかり、不測の殺人が起こらないようになっているというのも、その繋がりに見えはしないか。

砂場で遊べ、子供たち

 ぼくが想像しているのは、こういうことだ。キヴォトスでは、それこそ銃やら交通事故やらで人がやすやすと死なず、バカバカしいドタバタギャグやちょっとシリアスなアクションだって試せるような土壌がととのっている。なぜなら、キヴォトスは学園青春ものと色々なジャンルを行き来することを基本として作られた世界だからだ。爆発オチだってやり放題だ。

 つまり、ぼくが思うところのキヴォトスの本質とは、サンドボックスだ。でたらめをやってみて、それがどうなるか、何度だってためしてみることができる場所。自分が進みたい先や、やりたいことを探すことができる場所。だからこそ、グルメテロリスト・黒舘ハルナは存在を許される。なぜなら、彼女は全力で自分がやりたいことをやるとどうなるか模索しているからだ。その過程で他人を巻き込むが、巻き込むこともまた青春である。人と人とが関わって生まれる、それを友情物語というのだ。(ラブコメかもしれない)

 そして重要なのが、ほんとうにいざとなれば途中でいまの物語を降りて、やり直しをするのが許されることだ。進んできた道がどうやら間違っていて引き返したい、やり直したいと思ったとき、それが妨げられてはならない

 たとえば、普通に(大人の基準で!)考えたら、一生、獄に繋がれて当然のようなことをしたとしよう。誰かを傷つけてしまったとしよう。それでも傷つけた相手が許してくれたのなら、その罪はもう問われるべきではない。なぜなら生徒たちは子供で、過つことが許される立場なんだから。

 ただ、先生も生徒にお説教をすることはある。たとえばこんな塩梅で。

 ”いい加減にしないと、本当に怒るよ?”
「もう、あたしは派手で目立つカッコいいことがしたいのに、
 先生は毎回ダメって言うし……。」
「他の人に迷惑をかけなくて、派手でカッコいいこと……?
 そんなのあるの?」
 ”みんなが好きそうなことをするのはどう?”

絆ストーリー 小塗マキ 「怪しいハッキング」

 他に道がないと思い込んで、どこにも行けず立ち往生してしまっている。どうも話を見ている限り、そんな子供に対してだけは、軌道修正の助け舟を出したりもするようだ。僕からは、どうもそのように見える。

 それはイタズラにかぎらず、もっともっと重大で、自分を責めて責めて、自縄自縛で動けなくなってしまっている子供にだって、そうなのだ。

雑想の結論めいたもの

 キヴォトスは、モラトリアムという概念をそのまま形にした世界である。
 だからこそ殺人は重く、逆に殺人以外の罪は概ね、反省すれば許される。

 まあ、僕が勝手に言ってるだけだということは、どうかご承知ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?