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SatL参加者の感想ノート 「女はつらいよ」の回について香具山雨さんより

SatLの『女はつらいよ〜これってセクハラ?〜』という回。

対話の冒頭に、ハラスメントには二種類あるという話が出ました。

①最初から、相手を傷つけるつもりのハラスメント(発する側に悪意あり)

②ただのコミュニケーションのつもりが結果的に相手を傷つけるハラスメント(発する側に悪意なし)

「前者がダメであるのは自明として、難しいのは後者だね」という話題に。無意識にハラスメントをしてしまう人は、自分がしていることの善悪の判断さえできていないことが多い。要するに、コミュニケーション不全に陥ってしまっている。

なんでそんなことが起こるのか?

そして年々、ハラスメントの種類は多様化している。(セクハラ、パラハラ、モラハラ、マタハラ…etc)この事実は何を反映しているのか?当日の話し合いを受けて、わたしなりに考えてみました。

・『日本人は無意識のうちに、あらゆる宗教観からくる常識にさらされている』ことと、『日本特有の全体主義』が複雑に絡み合って、一人一人の『タブー』が見えづらくなってしまっている。

→神道、仏教、儒教、キリスト教…などなど、歴史のなかで多くの宗教を受け入れてきたという意味で、日本は素晴らしい国なんだと思います。それは文化の多様性を発展させることに繋がったので、胸を張って誇っていい。

問題は、『日本が宗教的・文化的に多様性のある国であることに、わたしたち日本人が無自覚であること』ではないでしょうか?

日本に根付く全体主義が、この多様性を隠蔽しているように思います。もっと言えば自分自身でさえ、アイデンティティなるものの道筋が見えておらず、人に説明できるほどの確かさを獲得できていないのではないか…。

(例えば、わたしの家は仏教でしたが学校教育はキリスト教で、般若心経も暗記しているしキリスト教の祈りも暗記しています。

表向きには、宗教によって祈りを変えることで対応できるのですが、仏教とキリスト教という異なる2つのアイデンティティを幼少期に受け入れるというのは、なかなか難しく混乱しました。

様々な宗教が複雑に根付いているからこそ、『これこそわたしの人生の指針だ』と主張できることが1つに決められないのです。)

わたしはまだ、2つの宗教を比較しながら自分を語れるから分かりやすいかもしれません。

なかには、『自分のベースの価値観を形作っているマクロな概念が何なのか?』全く見当がつかない人も多数いると思われます。そんな中で自分の感覚を他者に伝えるのは、至難の技です。

その複雑な背景の上に、全体主義というベールがかかると複雑さに拍車がかかります。

個人の主張よりも、全体の調和を良しとする日本社会。『暗黙の了解』という言葉があるように、日常生活のなかで自己主張をすることは未だにハードルが高いです。

このような空気のなかで育つので、隣にいる人が本当は何を考えているのか?それすらも分からない。

恐ろしいことに、全体主義は他人の多様性どころか自分の多様性さえ覆い隠してしまいます。

他者の背景を理解するための対話の中でこそ、自分の背景が見えてくるのに、その機会を根こそぎ奪ってしまうから。

多様な文化を抱え込みがちな歴史を持ち、経済的にも転換点を迎えている日本という国で、わたしたちが具体的にできることを考えると…。

まず、全体主義からくる同調圧力を上手くかわし、個人を個人として尊重する工夫を。

そのためには、他人と自分は違う考えを持った別の人間だということを自覚し、考えを強要しないことから始めれば良いのではないかと思います。

そして、少しでも疑問に思うことは何でも質問すればいい。質問された側は、模範解答を棚に上げて、今の自分の気持ちをしっかり伝えること。自分を包み隠さない勇気が、いま一番求められているのではないでしょうか。

(「そんなことやってたら会社で居場所がなくなるわ!」という意見もごもっとだと思います。

でもわたしは、自分に正直になることで居場所がなくなる場合、そこはもともと自分の居場所じゃなかったんだと考えるタイプです。

年齢を重ねれば、関わる人や居場所が変化していくのは当然のことだとも思っているので、積極的に新しいコミュニティを形成していくことこそ、最も大切な生きる知恵だと思います。)

そういう意味でも、SatLは良いかんじの規模と距離感で人と関わることができる希少なコミュニティです。日常生活のしがらみから少し抜け出して、まだ見ぬ自分自身の心の声を聞く機会を与えてくれています。

(誰も同調圧力なんかかけてこないし、『人の話を最後まで聞く』というルールもしっかり守られています。この2つが備わってる場は、なかなかないですよね。)

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