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祖父の「儚さ。」

 文を綴る。そしてこの文は私の祖父の話だ。             祖父は元気だったころ、水彩画とメジロを愛した人だった。幼少期の私は水彩画を描く祖父の大きな背中とボードの横においてある、小さな見本の写真を見ながら絵を描く動作が祖父との大きなイメージであった。

 また、もう一つ大きな祖父のイメージがある。季節が訪れると自作の鳥小屋にオレンジを設置してメジロがそのオレンジに寄って来た時に捕獲してすこしの期間飼っていた。籠の周りにメジロが寄ってきた際には当時幼かった僕を呼んで一緒に籠の中に入る瞬間を見届けていた経験を今でも覚えている。そんな趣味とひたむきな彼が印象的だ。

 そんな、祖父(じいちゃん)はもうそのイメージとは大きくかけ離れてしまうほど変わってしまった。こないだまでは老人ホームに見舞いに行っていたが、いまでは大きな病院。面会時間もいまの状況から10分以内しか与えられない。酸素ボンベをつけ日々戦っている。自分は年をたつにつれすることが多くなっていき、その同じ時に誰かは自由がなくなっている。同じ「時」という流れに押し流されているようだ。

 そんな中、祖母はほぼ毎日病院に面会に訪れる。行き帰りの送迎は自分が手伝い祖父の面会をしに病院に向かう。送迎を頼まれた際にはどこからか来る「めんどくささ」と祖父の面会を満足に参加できなかった「後悔」をしたくないので一つの親孝行だとしてしている。祖母は自転車だと15分かかるからすごく助かると言ってくれているが自分でできるものは送迎ぐらいしかないのだ。

 家族の死という出来事は小さいころに一度会った僕だが、今は21歳。当時の僕には考えることのなかった価値観などといったものが当時の僕と比べ何倍もある。それらが心からこみ上げ、何かが沸きあがる。まるで、祖父の好きだった水彩画が祖父の横たわるベッドの上空に彼のタッチで描いた作品たちが動いて彼を囲んでいるように見えた。ベットで寝たきりになっていることから足は細くなり、骨と皮だけになり使わなくなった筋肉は蒸発したかのように確認することはできなかった。その時に僕は、人生の儚さや死の身近さを実感し、この先どのように自分の親にしていくべきか。また、どのように自分と向きあっていくかなどといった感情に胸をかきむしられた気がした。

 これからの人生は、出会いと別れの繰り返し。身近な存在も瞬く間に違う存在となってしまう。何が起きるかも誰も知らない。そんな出来事に未来の自分は向き合っていくが、どうか間違った選択は決していないでほしい。


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