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DICKENS|墓地の誘惑 ディケンズが惹かれた「嫌悪の魅力」

Text| Megumi Kumagai

ハイゲート

 ディケンズほどロンドンの墓地を愛した作家もめずらしい。
 ロンドン旧市内にいくつもお気に入りの墓地を持っていたディケンズは、その抗えない魅力を作品に書き残している。

 1860年代に掲載されたエッセイやスケッチをまとめた『無商旅人』は、商用目的ではなく「非商用」の旅人である語り手(ディケンズであってディケンズではない)が旅をしてそこで見聞きしたものを綴るという構成になっている。ディケンズのペルソナである語り手の旅人が扱うのは「ファンシー・グッズ」(小間物に空想の意味を掛けている)である。

 『無商旅人』の中の一編「人気(ひとけ)のない街」(“The City of the Absent”)では、夏の週末の人気(ひとけ)がなくなったロンドン旧市内の墓地を語り手が仕事のご褒美として嬉々としてめぐる様子が語られている。

 その中でも印象的なのは冒頭に描かれるディケンズお気に入りの墓地についての風変わりなエピソードである。

 語り手のお気に入りの墓地の一つとして紹介されているのは、実際にディケンズの「最愛の墓地」であった、ハート・ストリートにあるセント・オレイブ教会の墓地である。旧市内の中心部にあり、鉄門に髑髏と交差した大腿骨が飾られたその小さな墓地は、ディケンズの心を捕えて離さなかった。

 「人気(ひとけ)のない街」では、語り手の旅人が、雷が鳴り響く深夜にお気に入りの墓地を目にしたい衝動を抑えきれずに、貸辻馬車で出かけて行く様子が語られる。稲妻が走る中で目にした鉄門の髑髏は公開処刑を思わせ、その不気味さと恐ろしさに大いに心満たされた語り手は、その興奮を分かち合うために帰りの馬車の御者に語って聞かせ、相手を恐怖で蒼褪めさせる、という話である。

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 この強烈なエピソードは、ディケンズのゴシック趣味とエキセントリックな人柄をよく表している。

 ディケンズは、この作品において、旧市内の墓地にどうしようもなく惹かれる気持ちを、「嫌悪の魅力」(attraction of repulsion)という独特の表現を用いて語っているが、これはディケンズの作品を考える上でも重要なキーワードである。
 実際に、長編、短編を問わず、ディケンズの作品には墓地や幽霊が非常に多く登場する。ディケンズがそうした超自然的なものを含めたおそろしいもの、不気味なものに生涯魅了されていたのは間違いない。

 しかし、ここで語られる「嫌悪の魅力」とは旧市内の墓地や超自然的なものに限定したものではなく、ディケンズの価値観を反映したものとも言える。特に、作品でロンドン旧市内の墓地について語られるように、ディケンズのロンドンに対するアンビヴァレントな感情を反映したものだと言えるだろう。

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 ヴィクトリア朝ロンドンの代名詞として用いられることの多いディケンズだが、彼はロンドン出身ではない。幸福な子供時代を過ごしたチャタムとは違い、家庭の経済状況がひっ迫し、児童労働で酷使された苦しい記憶を持つロンドンは、ディケンズにとっては決して心休まる故郷ではなかった。しかし、ロンドンを時に嫌悪し、時には激しく渇望するという、相反する強い感情を抱き続けたディケンズにとって、光と影のコントラストが色濃いロンドンという巨大都市は、まさに彼の言う「嫌悪の魅力」が詰まった場所であり、実際に世界のどこよりもディケンズを魅了した場所でもあった。
 そして、そんな「嫌悪の魅力」の虜となったディケンズが描くロンドンは、その多くが語り手の旅人と同じように「ファンシー(空想)」のフィルターを通して描かれているにもかかわらず、そのことによって逆に、ヴィクトリア朝前半のロンドンを奇妙なほどのリアリティを持って映し出す唯一無二の鏡となっている。

 ロンドン旧市内の墓地、それはおぞましくも美しいがゆえに惹かれてしまう、ディケンズを魅了した「嫌悪の魅力」が凝縮された場所である。

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