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DICKENS|ユージーン・レイバーン 世紀末を予感させる「ディケンズのダンディ」

Text| Megumi Kumagai

「倦怠に心を動かされやすいという点では」この立派な人物は答えた。「僕が人類の中で最も首尾一貫した人間であると保証するよ」

チャールズ・ディケンズ|著
熊谷めぐみ|訳
『互いの友』より(以下同)

1893年版 PB BL ユージーン暖炉の前

 ユージーン・レイバーンは、小説『互いの友』に登場する人物である。

 『互いの友』は1864年から65年にかけて月刊分冊形式で出版された作品で、ディケンズ最後の完成長編小説となった。
 テムズ川に浮かんだ死体の発見から始まるミステリー要素の多い物語で、二組の若い男女の恋を中心に、塵芥で築いた財産をめぐって社会のあらゆる人々が「互いの友」を通じて交錯する模様が描かれる。ディケンズは、小説の時代設定を執筆時よりも過去に設定することが多いが、『互いの友』は執筆当時(1860年代)のリアルタイムなヴィクトリア朝ロンドンが舞台の現代小説となっている。

1893年版 PB BL OMF 月間分冊表紙

 作品の中心人物の一人であるユージーン・レイバーンは、上流階級出身の物憂げで無気力な弁護士である。皮肉屋で軽薄な物腰、いつも憂鬱に沈んでいるユージーンは、同じような境遇のパブリック・スクール時代からの親友モーティマー・ライトウッドと怠惰な日々を過ごしている。

 法廷弁護士になってから七年間一度も仕事をしたことがないユージーンと、事務弁護士になってから五年間ほぼ仕事をしたことのないモーティマーは似た者同士で、同じ憂鬱を分かち合っている。二人は上流階級出身のダンディらしく、労働を忌避し、無気力に沈んだ生活を送っている。

「ねえ君、僕は何の計画もしていないよ。何についてだって計画しないさ。そういう才能がまったくないんだ。もし計画を思いついたとしても、その実行に疲れ果てて、すぐに投げ出すことになるだろうね」

 興味深いことに、ディケンズはこのような怠惰な生き方をするユージーンを批判的に描くことはせず、内面に優しさを秘めた人物として好意的に描いている。悲劇的な人物の話を娯楽のネタとして消費する社交界の人々に怒りを覚えるなど(その怒りの表し方はデザートナイフを凶暴な手つきで扱うことであるが)、軽薄な態度とは裏腹に、ユージーンが優しく誠実な性格を有していることが作品の随所で語られる。

1893年版 PB BL ギャファーの最期

 そうしたユージーンの人間性は、貧しい境遇から努力で道を切り開き、立身出世を体現した典型的なセルフメイド・マンであるブラッドリー・ヘッドストーンが、利己的で暴力的な人間として描かれることとの対比によって、さらに際立つことになる。
 『互いの友』においてディケンズの共感は、自身もセルフメイド・マンであるにもかかわらず、勤勉だが抑圧された激情をもてあますヘッドストーンではなく、怠惰で無気力だが心に優しさを秘めたダンディのユージーンに向けられている。いつもぎこちないヘッドストーンに対し、ユージーンの気楽でさりげない物腰、皮肉屋でふざけてばかりのマイペースな様子は、生き生きと魅力的に描かれている。

1893年版 PB BL ジェニーの父と

 また、ディケンズはユージーンがこのような倦怠に陥った理由を彼の本来の資質ではなく、生まれ育った環境と結びつけている。上流階級の家で五人兄弟の四男として生まれたユージーンは、生まれる前から絶対的な権力を持つ父親に人生を支配されている。一家に一人必要だという理由で弁護士になるという生き方を定められたユージーンは、人生のはじめから意思を奪われて生きてきたために、自分の意思がどういうものなのか、果たしてそれが存在するのかどうかもわかっていない。
 ユージーンは、辞書にある言葉の中で行動(energy)という言葉が一番嫌いだと言うが、一方的に行動(energy)という概念を社会に押し付けられたところで、価値を見出せるものの探し方もわからなければ、怠惰に陥り憂鬱に悩まされるしかない。

 ユージーンの恋の相手リジー・ヘクサムは、テムズ川を浚って生計を立てている(水死体が主な対象)男の娘であり、社会の中で底辺に近い存在である。しかし、情熱や気力がないと言いながらも、ユージーンはリジーに対してだけは行動力を見せ、長年の友人であるモーティマーを驚かせる。リジーははじめ階級の違うユージーンと距離を置こうとするが、ユージーンのさりげない物腰と押しつけがましくない優しさに惹かれて、徐々に心を開いていく。

1893年版 PB BL リジーとユージーンの別れ

 それにもかかわらず、ユージーンがリジーに対して決定的な決断や行動をすることができない理由は、リジーとの階級格差や、ユージーンに絶大な影響力を持つ父親がすでに結婚相手を用意しているという問題だけではなく、自身が継続した情熱を持てる人間かどうか信用できないでいるからである。自分の意思を奪われて生きてきたユージーンが一番の謎(riddle)と口にするのは、ユージーン・レイバーン、彼自身である。
 労働を忌避して怠惰な日々を送るユージーンは、ヒロインを堕落させる誘惑者のジェントルマンの伝統的なタイプとして描かれてもおかしくはないが、本作では、無気力に溺れながらも、自分自身の内面と向き合い苦悩する優しさを秘めたダンディとして好意的に描かれ、主役の一人を演じている。

 皮肉屋で本心を語らないユージーンだが、親友モーティマーには唯一心を許している。二人で共同生活を営むなど、この二人は強いホモソーシャルな絆で結ばれている。ユージーンはモーティマーに対しては彼なりに誠実であろうとし、モーティマーもまた、自分だけが例外的な扱いを受けていることをわかっている。さらに、ユージーンがモーティマーを大切に思う以上に、モーティマーがユージーンを強く慕っている様子が語り手によって何度も言及されており、二人の絆の強さは作品において際立っている。

オスカー・ワイルド2 PB BL

 ディケンズと頽廃的なダンディというのは一見結びつかないように見えるかもしれないが、ディケンズの作品の中にはこうした魅力を持つキャラクターが実は少なくない。中でもユージーンは、頽廃的なジェントルマンとしての魅力が光り輝くキャラクターである。
 ユージーンやモーティマーを19世紀末的なダンディの先駆けと考える研究者もいる。また、ユージーンと、オスカー・ワイルドの戯曲『真面目が肝心』のアルジャーノンとの類似性を指摘する研究もあるなど、ディケンズが1860年代にすでに数十年後の世紀末的空気を読んでいた、あるいは先取りしていたと考えることもできる。

オスカー・ワイルド1 PB BL

 ディケンズと頽廃、ディケンズと19世紀末という、一見遠い存在に思えるものが意外にも近くに在ったことは、怠惰で無気力で物憂げで、だからこそ魅力的な、ユージーン・レイバーンという「ディケンズのダンディ」が証明している。

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