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元気になりたい時に観る番組:クイア・アイ

こんにちは、さちこです。普段は、外国の方に第二言語としての日本語を教えています。どうぞよろしくお願いします。

数年にわたるコロナ禍で、なんとなく気持ちが停滞したまま晴れないことが増えた。毎日の職場での馬鹿話や、ちょっとした買い物、休日のお出かけで、
知らず知らず発散・リフレッシュしていたのだと知る。
リモートワークが増えたので、特に日々のちょっとした馬鹿話の欠如が痛い。

そんなうつうつとして、気が晴れなくなった時、
最近は、Netflixで『クィア・アイ』を観るようになった。

『クィア・アイ』を見つけたきっかけは、何だったのか忘れてしまうぐらい、
たまたまだった。

にもかかわらず、今ではすっかり魅了され、新シーズンが始まるのを心待ちにし、
終わった途端に次シーズンが待ち遠しくなるというのを繰り返すほどである。

2018年にシーズン1が始まり、2021年が6シーズン目。
2019年には日本版も撮影・放送されている。

クイアという言葉の意味は、

規範的異性愛以外のあらゆるセクシュアリティを指すのに用いられる言葉。本来の語義は「奇妙な」で、かつては日本語の「変態」に近い否定的な意味で使われていたが、アメリカでは1980年代末ごろから、性的マイノリティがこの言葉を自らに対して肯定的に使い始めた。マイノリティが自分に投げつけられる侮蔑語を逆用して新たな意味に転じさせた注目すべき例である。

日本大百科全書(ニッポニカ)「クイア」の解説の一部 https://kotobank.jp/word/クイア-248793

日本では最近、LGBTQ+という言葉をよく聞くようになったが、
クィアという言葉もそのうちそうなるのかもしれない。

『クィア・アイ』は、クィアである5人(ファブ5と呼ばれている)が、
家族や友人、同僚などから「変身させてほしい!」と推薦された人を訪ねて変身させる、いわゆるリアリティ番組である。
リアリティ番組、どちらかというと苦手だった。リアリティとか言いながら、台本とかがあるんじゃないのと疑うくらいには性格が悪いのである。

けれども、「4年連続で構成のあるリアリティ部門作品賞を受賞するなど、これまでで合計9つのエミー賞に輝いた」という紹介文に、好奇心をそそられた。

クィアであるファブ5は、各自がファッション・美容・インテリア・料理・文化のエキスパートである。彼らは専門家としての腕をもって、家族や友人、同僚などから推薦された人、つまり家族や友人、同僚にとって大事な人、心配な人、ちょっと困ったちゃんだけど大好きな人、を変身させるのである。

当初はファブ5の賑やかすぎるノリについていけなかった。騒々しいというか、ギャーギャー騒いでいるというか、そんな風にしか感じられなくて、慣れなかった。
それがシーズン6を重ねた今となっては、明るくポジティブな波動として、
愛らしくすら思えてしまうのだから、まったくもって不思議だ。
なぜこんな変化が我が身の心に起こったのだろう。

この番組を観続けた一番の理由は、
変身させられた人が、変身後の自身の姿を初めて見た瞬間の、「表情」である。
もしこれが演技だとしたら、ものすごい俳優・女優だろうと思うほどに、
圧倒的な変化で、圧倒的に素敵な表情に変わるのである。
こんな一瞬に、こんなに艶やかに変わるのかと思うほど、圧倒的である。
自身がこれほどに変われるのだということを知り、
「自分で自分を変えよう」と決めた、そんな表情に見える。

ほんの1週間ほどの短い期間に、一人の人間に、なぜこれほどまでの変化が生ずるのだろうか。また、なぜ他の人を、これほどまでに変化させることができるのだろうか。

それは、ファブ5が徹頭徹尾、明るく、そして相手が大好きで、なにより信じているからかもしれない。

『幸せになる勇気』に、

教育、指導、援助が「自立」という目標を掲げるとき、その入り口はどこにあるのか。(p.40)

答えはひとつ。「尊敬」です。

役割として「教える側」に立っている人間が、「教えられる側」に立つ人のことを敬う。尊敬なきところに良好な人間関係は生まれず、良好な人間関係無くして言葉を届けることはできません(p.41)

「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである」。

「尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである」。(p.43)

青年: ありのままを認めれば、あの問題児たちが変わりますか。
哲人: それはあなたにコントロールできることではありません。変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。しかし、あなたの尊敬によって、生徒たち一人ひとりが「自分が自分であること」を受け入れ、自立に向けた勇気を取り戻すことになる。これは間違い無いでしょう。取り戻した勇気を使うか使わないかは、生徒たち次第です。(p.44)

岸見一郎・古賀史健(2016)『幸せになる勇気』ダイヤモンド社

とある。
ファブ5の面々はまさに「尊敬」によって「自立」を促したように見える。
あの圧倒的な「表情」は、「自立した時の表情」に思えるのである。

毎回推薦される人が変わる、1話完結型の番組で、本当に様々な人が登場する。
彼らの抱える問題や悩みに、共感することもあるし、
現代アメリカ社会の抱える様々な問題を垣間見ることもある。
それは時に、日本社会が抱える問題と重なる。
自己肯定感の低さやゲーム依存、カミングアウトをするか否か、夢追い人、
黒人やアジア人に対する差別、信仰による対立、教育格差、医療格差、
コロナ禍、いじめ、女性差別、LGBTQ+に対する差別、貧困、汚部屋…

実は、ほとんど毎回のように自分の中にも似たような部分を見つけてしまい、
ぎくりとしたり、恥じたり、おもいっきり自分のようでいたたまれなくなる。
表面は多種多様でも、人間の核は似ているのかもしれない。
そして、ファブ5との関わりによって変わっていく姿を見て、
自分も変われるかもしれないと勇気をもらうのも毎度のことである。

ファブ5と変身させてほしいと依頼された人との対話を通して、
徐々にファブ5自身のことも明らかになってくる。壮絶ないじめ、養父母からの非難の目、黒人差別、東洋人差別…。

人に優しい人は、悲しい経験・苦しい経験をしている。
と何かで読んだことを思い出す。

「尊敬」って「優しさ」ではないだろうか。

ファブ5は、優しい。
無理強いをせず、待ち、理解に努める。
つまり、「強く」もあるのだ。
そして、底抜けに明るい。
「そして」じゃなくて、「だから」かもしれない。

知らんけど。

※お読みくださり、ありがとうございます。



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