つよしと偏見

偏見はその人の生きてきた形跡だと思う。





話の流れで「お父さんって何歳?」とか聞かれたときに「お父さん会ったことないんですー」と返すと、

若い人はわりと「へーーそうなんだ」みたいな。
気を遣ってくれているというよりはそこに興味がないような。

年配の人ほど、「ごめんね。悪いこと聞いちゃったね」「差し支えなければ理由とか聞いてもいい?」

一番びっくりしたのは「辛いこと思い出させちゃってごめんね」って言われたとき。
苦労話なんてしていないのに。


これはとてもわかりやすい例。
ざっくり言うと女性の社会進出に慣れているかどうか。片親=不幸という考えがやはり年配の人には多い。
善悪ではなく、それは偏見だ。

そして意外かもしれないが、だからといって彼らに対して特に感情はない。批判するつもりもない。

偏見や差別に晒されたとき、悪意や極端な表現がなければ、危害さえ加えられなければ、
ただただ、そういった人がいない環境で生きてきたんだなあと感じる。


偏見のない人なんて絶対にいない。偏見は人が生きている間に経験したことの積み重ねだ。
自分にも他人にも「偏見が存在する」のを認識することが一番大事。






時々、「お父さんと会ってみたくないの?」と聞かれる。なんなら「生きてるうちに会っておいたほうがいいよ」とかね。


特に両親がいる人からしたら想像し難いことなんだと思う。
例えば、
あなたが生まれる前に母方の祖父母が離婚。祖母はどこかで再婚して音信不通。あなたは顔も年齢も知らない。
「母方の祖母に会ってみたくない?」

もっと極端なことを言えば、
あなたは一人っ子。
「(存在しない)お兄さんに会ってみたくない?」

と言われている感覚が近いような。


連絡、面識なし
容姿、年齢不明
生死も知らない
私の成長過程に一銭も協力をしていない

人にわざわざ会いたいと思うわけがないよね。
嫌悪ではなくて、みなさんの想像を遥かに超える「無」。

数年前、全く同じ状況の友人にこの話をしたら、
「え?会っておいたほうがいい?なんで?会って何するん?」
って、全く同じ考えだった。ちょっと安心したのを覚えている。






アルバイトで接客業をする中で、
「純日本人?ハーフ?」
よく聞かれていた。

「めっちゃ日本人ですよ!」
「北海道出身だから海外と言えば海外かも!」
「ちょっとだけヒグマとエゾシカの血が入ってますね!」
この3つのうちのどれかで答える。
つよし的には瞬発力とユーモアが大事だから。

正確には「私は知らない」だけど。


深堀りするつもりは今後もない。
あなたが想像しているほど興味がない。
あなたが想像するような苦労だってほとんどしていない。
その話題に触れないでという気持ちも全くない。







ただ、できるだけでいいから、
どうかあなたの偏見で悲劇のヒロインを創り上げないでほしいと切に願う。




早朝の浅草より。

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