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Cafe Sati | カフェ サティ

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#サティを入れる

放てば手に満てり

「放てば手に満てり」 道元の言葉で正法眼蔵に出てくる言葉だ。まずはこの言葉の意味をGPTに聞いてみたので載せるよー。 「放てば手に満てり」という言葉は、禅宗の開祖である道元禅師によって語られたもので、『正法眼蔵』に記述されています。この言葉は、禅の教えの核心を象徴するものであり、非常に深遠な意味を含んでいます。 この言葉を直訳すると、「放すと、手に満ちる」となります。ここでの「放つ」とは、執着や欲望、先入観などを手放す、すなわち放下することを意味します。一方、「手に満て

サティを入れる|ヴィパッサナー瞑想

「対象に気づく。→対象をラベリングする。」 この一連の過程を「サティを入れる」と言う。 対象が妄想であれば、妄想に気づいて、意識を現実に、今に、五感の感覚に戻す。そして「妄想」とラベリングする。 常に気づいている。常に気づいているように気をつけている。

「サティが入らない」とサティを入れる。

GPTとの会話。 私の発言 サティが入らない。妄想が止まらない。止めるのを諦めるか。妄想が湧くままにしておくか。消える消えないにこだわるのはやめるか。「サティが入らない」とサティを入れる。「サティが入らない」のを認知する、観察する。「サティが入らない」ありのままの状態を見る。サティを入れるのを諦める。←最後のも合ってる? ChatGPTの発言 サティ、つまりマインドフルネスや意識の在り方に関して、あなたが経験している困難は、瞑想やマインドフルネスの実践においては珍しく

サティを入れて思考の後続切断

対象→六門→識→受→想→尋→行 原始仏教が説明する認識のプロセス。 対象と六門(五感+意門(頭の中のイメージや思考を捕える感覚器官があるとブッダは説いている。))と識(認識する作用)が触れ合って受(感受作用)が生まれる。感受した内容から、概念やイメージが想起される。これが「想」。そしてより深く対象にフォーカスし(尋)、対象がなんであるかを知る。カラスの声を聞いたなら、「想」の段階で、「音」と分かり、「尋」の段階で、「カラスの声」だと分かる。そして「カラス嫌だなあ・・・」とい

サティを入れる | 人間の認識のプロセスを原始仏教が説明

サティを入れる。 「サティを入れる」とは「意識的に客観的に気づく」ということだよー。「サティ」はパーリ語で、和訳は「気づき」。英訳は「マインドフルネス」だよー。 ヴィパッサナー瞑想には、マハーシシステムやゴエンカシステムなどがあるよー。世界中で最も広まってるのはこのふたつだよー。 マハーシシステムではサティを入れるのにラベリングという技法を使うよー。ラベリングとは自分の心や体の状態を客観的に捕らえて言語化することだよー。 例えば、考えていることに気づいたら、そのことに

ヴィパッサナー瞑想の実践による気づき

妄想を嫌悪して排除しようとして苦しんでる俺にある先生が言ってくれた。「妄想を排除しようとしない。」これを聞いた俺はそれから数ヶ月後、自分が妄想をジャッジして嫌悪して排除しようとしていることに気づいた。そして、妄想をジャッジせず、価値判断せず、ありのままに見た。すると妄想が1秒以内にスーッと消えていったのである。妄想が溶解していった。 心を落ち着かせようと瞑想をするのは間違った態度らしい。渇愛らしい。ありのままを観察する。「怒ったら怒った。」「妄想したら妄想した」それだけ。ジ