見出し画像

The Tower 第5話【創作大賞2024 応募作品】


 ……僕は、中学一年生から、不登校になりました。
 理由は、自分でもわかりませんでした。
 思い当たることがあるとすれば、国語の授業の音読です。
 クラス全員で順番に一文ずつ読んでいくのですが、僕が読む番になった時、つっかえてしまって、僕は黙ってしまいました。それで先生が僕のところを読んで、次の人に繋ぎました。
 その時、クラスの何人かの人が、くすくすと笑っていました。僕が詰まってしまったことがおかしかったんだと思います。
 それから僕は、国語の授業でまたつっかえたらどうしようと、毎晩考えるようになりました。
 そしてある朝、僕は起き上がれなくなりました。

 目は、開いているんです。いつも通りの時間に、目覚めたんです。でもなぜかどうしても起き上がれなくて、そのまま夕方になりました。
 お母さんは、「遅刻してもいいからちゃんと行くのよ」と言って、僕の朝ごはんをテーブルに用意して仕事に行きましたが、僕は一口も食べていません。

 夜になってお母さんが帰ってきて、テーブルの上のご飯を見て、びっくりしました。僕はその日、一歩も部屋の外から出ていませんでした。お母さんは怒らずに、僕に「どうしたの」と優しく声をかけてくれました。
 お父さんが帰ってくると二人で僕の部屋に来て、具合悪いのか、大丈夫か、と仕切りに声をかけてきました。
 僕は、何も答えることができませんでした。

 学校には、その日から行けなくなりました。まだ、数学のx、yも習っていない、一学期の最初です。
 先生が何度もうちに来て、その度にクラスのみんなが書いたという寄せ書きを持ってきました。そこには「早く元気になってね」とか「みんな待ってるよ」とか「また一緒に遊ぼう」といったメッセージが書いてありました。
 それを見て、僕は何もかもが嫌になりました。
 僕は病気じゃない。不登校を病気のように扱って、思ってもないことを書いて、自分たちだけ気持ちよくなってる。そう感じました。
 先生は僕に会うと、いつも「みんな心配してるぞ」と言いました。心配しているはずのクラスメイトは、誰一人として僕に会いに来ようとしませんでした。僕は、先生が持ってきた寄せ書きを、お父さんが持っていたライターを持ち出して、庭で燃やしました。お母さんは、そんな僕の姿を見て、泣いていました。
 そのうち、カウンセラーの人が来て、僕に「今思っていることをなんでも話してみて」と言いました。その人は週に一度やってきて同じことを言います。だけど僕には、話したいことなんてありませんでした。きっと声を出せば、また言葉がつっかえて、笑われてしまうから。
 僕はもう誰とも会いたくないし、喋りたくなかった。
 先生やカウンセラーが来ても、僕は会うのを拒否しました。お父さん、お母さんとも、最低限の会話しかしませんでした。
 僕は部屋の中にこもって、一人で国語の教科書の音読の練習をしていました。毎日です。でも、いつも同じところでつっかえてしまうんです。悔しいとか悲しいとか、何も思いませんでした。とにかく、読めるようになるまで練習を続けました。
 お母さんは、部屋から漏れ出てくる僕の呪文のような音読を聞いて、あの子は頭がおかしくなった、と毎日泣きました。お父さんはそんなお母さんに初めは優しかったけど、だんだんと「泣くな」と怒鳴る声がリビングから聞こえてくるようになりました。
 いつのまにか夏になりました。

 僕は中学校の内容がひとつもわからないままでした。
 心配したお父さんとお母さんが話し合って、オンライン塾を見つけました。塾にも行きたくない、家庭教師も嫌。通信講座ではこれまでの分を補填できるかわからない。オンライン塾は、両親にとって最後の希望だったと思います。
 オンラインなら、顔も声も出さずに、そしてリアルタイムで授業を受けられるかもしれない。
 正直僕も勉強への危機感はあったので、絶対に顔と声を非公開にすることを約束するなら、その塾に通いたいと言いました。お母さんは、また泣きました。嬉し泣きでした。

 僕は、そこで吉見先生に出会いました。
 出会ったと言っても、吉見先生だけが顔と声を出して、僕はすべてオフにしていたので、僕の方が一方的に知る形となりましたが。
 先生は、初めは当然戸惑っていました。先生が声で呼びかけるのに対して、僕が応えるのは画面上のペンタブを使って画面上に書く文字か、チャットだけ。最初は、文字ですらコミュニケーションを取りたくなくて、◯とか×しか書いていませんでしたね。僕が言うのもなんですが、先生は大変だったと思います。

 それでも、先生は僕と向き合ってくれました。be動詞と一般動詞の違いすらわからなかった僕に、一から丁寧に教えてくれました。どれだけ簡単な問題でも、僕が正解できるとすごいすごいと言って褒めてくれました。
 僕が宿題をやってこなかった時は、「そういう日もあるよな。俺だって宿題嫌いやから」と言って、叱らずに宿題を一緒に問いてくれました。
 それから先生は、授業に入る前や合間にいつも「関西は今日は暑いで」とか「大学でこんなことがあってな」と、世間話をしてくれました。
 なんでもないような話ですが、それが僕には嬉しかった。だって、これまで僕に会いに来る大人はみんな、僕を病人扱いして、慎重に選んだ建前の言葉だけで話す人たちしかいなかったから。
 僕は、勉強がわかるようになって、先生との授業が楽しみになりました。1年ぐらい経った頃には、まだ顔出しはできませんでしたが、チャットで雑談をするようになりました。
 ある日、授業の真っ最中にも関わらず、僕は「先生の趣味はなんですか」と聞きました。先生は解説を書く手を止めて少し考えてから、「読書やな」と言いました。
 高校時代から近代文学が好きで、特に太宰治の『斜陽』と三島由紀夫の『金閣寺』がお気に入りだと言っていたのを覚えています。
 そして、僕に、読書はいい、家の中にいるだけで物語の中を旅できるから、と言いました。
 不登校だからって駄目なことはない。不登校でも、本を読めばいくらでも旅ができる。勉強もできる。学校に行ってるくせに遊び呆けてたり、本も読まずくだらないYouTubeやエロ動画ばっかり見てるやつより、家に引きこもってたくさんの本を読んでるやつの方がよっぽど賢くなれる。広い世界を知れる。人に優しくもなれる。
 先生は、そう語ってくれました。

 僕は、その日から狂ったように本を読み始めました。お父さんが読んでいた村上春樹や宮部みゆきの小説を持ち出しては読み耽り、家中の本を読み尽くしました。
 読む本がなくなると、お母さんになんでもいいから本を買ってきてほしいと頼みました。お母さんは泣きました。和人が私に何かをお願いしてくれるなんて、と。
 本に詳しくないお母さんは、話題の新刊や芥川賞受賞作などを見繕って買ってきてくれました。そのうち、先生が教えてくれた近代文学の小説も買ってほしいとお母さんにねだりました。
 本は僕をいろんな世界に連れて行ってくれました。時代も場所も超えて、僕はいろんな人に出会い、いろんな景色を見ました。
 どうして、家から出ず、テレビもネットもほとんど見ない僕が、本の中で出会う人たちの表情や、美しい景色の色彩や、街の様相を脳内に浮かべることができたのでしょう。素晴らしい作家の操る言葉には、そういう力があるのだと知りました。

 本を読むようになって、僕は、いい学校に行きたいと思うようになりました。
 先生が言っていたように、本をたくさん読んで、僕は遊んでるやつより賢くなれた気がしました。でも、世の中にはもっともっと賢い人たちがいる。そういう人たちは、本当の世界に出て、本当の世界を知っている。僕もそうなりたい。そのためには、なるべくいい学校に行くことだと思いました。
 その思いを先生に伝えようとしたんですが、チャットでは上手く言えそうになくて、結局言えませんでした。僕にできることは、とにかく勉強を頑張ることと、本を読むことでした。

 中3の夏、僕は先生に何も言わず、塾を辞めました。
 理由は、両親の離婚です。
 お母さんが、学校の先生と不倫をしていたんです。
 お父さんは怒って、お母さんを殴り、先生を蹴り付けました。お母さんは唇から血を流しながら、ごめんなさい、と謝りました。先生は、蹴られた腹を押さえながら、ひたすら土下座をし続けました。
 お父さんは僕を連れて家を出ました。そして、お父さんの地元の大阪に引っ越しました。
 お母さんは実家へ帰ったそうです。うちは賃貸だったから、みんな出て行って、今は新しい住人が入って、僕が生まれ育った家はもう、消えてなくなりました。
 僕は本当は、お母さんについて行きたかった。お母さんは、僕に本をたくさん買ってくれて、ご飯を作ってくれて、そしていつも話しかけてくれました。お父さんは、お母さんが僕のことで悩んだり、泣いたりするたびにうるさいと言って怒りました。お母さんは、お父さんに相談できない代わりに、学校の先生に相談していたそうです。それで、ある時、一回だけセックスをしたそうです。それがどういう訳かお父さんにバレて、離婚に至ります。

 ……お母さんは寂しくて、退屈で、満たされていなかったんですよね、きっと。息子は引きこもりで、他のクラスメイトの親からも腫れ物扱いされて、夫はそんな自分を庇いもせず、泣くたびに怒ってくる……。
 それで、私欲を我慢しろだなんて残酷です。ギュスターヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』のエンマも、満たされない結婚生活の反動で不倫に走りました。お母さんは苦しかった。だから、一回ぐらい仕方がない。僕はそう思います。それでも、お父さんは怒りました。だから、僕はお父さんが嫌いです
 だけど、お母さんを苦しめていたのは、お父さんではなく、本当は僕なんです。僕が学校に行きさえしていれば、こんなことにはならなかった。
 僕が一番嫌いなのは、僕自身です。

 離婚や引っ越しのゴタゴタで、しばらく僕は塾に行けませんでした。そして、いつのまにかお父さんが塾を解約してしまいました。僕は泣いて怒りました。オンラインだから、引っ越しても変わらず受けられるだろう。どうして勝手に解約するんだ、と。
 お父さんはうるさいと怒鳴りました。どうせ、お前は高校には行けない。塾に通っても無駄だ。中学を卒業したら定時制に行きなさい。そう言って、お父さんは学校の資料を僕に見せました。
 お父さんは僕がどれだけ吉見先生の元で勉強を頑張っていたか知らなかったんです。どうせ、基礎レベルのことしかできないだろうと思っていたみたいです。
 僕はお母さんと吉見先生を同時に失ったショックで、引っ越し先でも引きこもりました。一応転校はしたけれど、一度も学校には行きませんでした。
 お父さんは、そんな僕に何も言いませんでした。ただ、ご飯は毎日作ってくれました。
 そして、毎月1日になると、1万円の入った封筒を部屋のドアの隙間から差し込んでくれました。そのお金は、1円も使わず貯め続けました。

 中学を卒業し、僕はついにただのニートになりました。勉強の意欲も湧かず、ただ毎日本を読んで過ごす日々でした。
 1年が経った頃、お母さんが僕に会いに来ました。お母さんは僕を外に連れて、大阪の梅田にある喫茶店でコーヒーを奢ってくれました。お父さんに何度も何度もお願いして、やっと会えたんだと嬉しそうに言っていました。
 僕は外に出るのは怖かったけど、お母さんと一緒なら大丈夫でした。お父さんとなら嫌なのに。
 お母さんは、僕に頭を下げて謝りました。ごめんねと言って、泣きました。そして、少ないけど、これで学校に行ってほしいと言って、10万円の入った封筒と、高卒認定試験の勉強ができるインターネット講座のパンフレットを渡しました。その講座は10万円では足りなかったけど、お母さんはどうにかまた工面するから、と言って弱々しく笑いました。
 お母さんは、お父さんへの慰謝料や引っ越しの費用ですっかりお金がなくなってしまったと言っていました。顔も疲れていて、少し老けていました。
 お母さんは、僕が高校に行っていないことをお父さんから聞いていました。どうにか学校に行ってほしかったお母さんは、お父さんに相談しても聞いてもらえないと思って、僕に直接言いに来たのです。
 お母さんは、僕にせめてもの償いをしたかったと言いましたが、それは違います。
 お母さんを苦しめてしまった僕ができるのは、勉強していい学校に行くことだ。そう思いました。
 僕が1年間貯めた12万円と合わせれば、講座の費用を払える。だから、お母さんはこれ以上工面しなくていい。そして、いつか必ず、このお金は返す。
 僕はそう言って、お母さんにありがとうと伝えました。お母さんはやっぱり、また泣きました。
 どうして、悩みの種だった僕と、怒ってばかりのお父さんと離れることができたのに、お母さんはちっとも幸せそうじゃないんだろう。僕も悲しくなりました。

 その日、お父さんと話をして、僕は高認の講座に通わせてもらえることになりました。お父さんは最初はあんなやつから金を受け取るなんて、と怒りましたが、最後には承諾してくれました。お父さんも、僕に学校に行ってほしかったんです。でも、それが自分ではなくお母さんの勧めで決められたことが嫌だったんだと思います。
 でも、費用の半分は、お父さんが毎月くれた1万円の貯金です。お父さんとお母さんのおかげで、僕はまた勉強ができる。そう言うと、お父さんはちょっとだけ泣きました。初めて見るお父さんの涙でした。

 通信講座は、担当のアドバイザーがいて、その人が僕に合った授業計画を考えて、あとは授業はすべて映像授業で受けるというものです。授業がわからない時は、質問コーナーに書き込み、後日アンサーが返ってきます。つまり、担当アドバイザー以外と顔を合わせることはないのです。お母さんが僕に合わせて、選んでくれた学校です。
 担当とオンラインで面談をした時も、こちらの声と顔はオフでいいと言ってくれました。お父さんが事前に電話で相談してくれたと、後から聞きました。
 担当者は三島さんという人で、前に塾の教室長をやっていたけど、激務で身体を壊してやめてしまったそうです。だけど、教育の仕事に関わりたくて、この会社に転職したと言っていました。
 三島さんは僕の学力や理解度に合わせて熱心に授業計画を考えてくれて、僕も安心して授業を受けられました。いつもチャットで調子はどう、と呼びかけて、気にかけてくれました。
 僕は、再び勉強を頑張りました。ただでさえ1年の遅れがあるのに、いい大学に行くには、とにかく時間をかけることでした。
 毎日10時間くらい机に向かって、寝食を忘れて勉強しました。お父さんは身体を心配してくれたけど、毎日ご飯を作ってくれたので、僕は健康でした。
 3年間死に物狂いで勉強した僕は、京大を受験しました。

 結果は、合格でした。今年の3月のことです。
 お父さんがその夜、お寿司に連れて行ってくれました。久々の外出でした。お店に着くと、お母さんがいました。お父さんが呼んだのです。お母さんは僕の顔を見て、泣きました。おめでとう、おめでとうと繰り返し言いました。
 泣いてるお母さんに、お父さんは怒りませんでした。一緒におめでとうと言ってくれました。
 お母さんを殴ったお父さんのことを、完全に好きにはなりきれない。
 学校の先生と不倫をしたお母さんのことも、本当は心のどこかで憎んでいました。
 それでも、僕は二人を許していかないといけないと思います。憎んでも嫌っても、許していかなければいけない。僕は二人に迷惑をかけて、迷惑をかけられ、そして、幸せを与えてもらいました。
 その晩、布団の中で、僕はなんのために生まれてきたのかを考えていました。
 それは、誰かを不幸にし、誰かに不幸にされ、その分、誰かを幸福にし、誰かに幸福にされる。それを繰り返していくことなのだと思いました。

 大学では、文学部の中国文学科に入りました。日本文学と迷いましたが、僕はもっと広い世界を知りたいと思いました。それに、中国の文学を研究することで日本文学への影響も知ることができると聞き、決めました。今は中国文学の面白さに夢中になっています。
 友達もできました。大学の授業で同じグループになった男の子が、ご飯に誘ってくれました。初めて、家族以外の人とご飯を食べました。
 今は大阪を離れて大学の近くで一人暮らしをしています。もう外に出るのも、人に会うのも怖くないです。まったく怖くないというと嘘になりますが、以前より、はるかにましです。外の世界は、本の世界ほどドラマチックじゃないけど、でも、現実のほうが面白いです。
 この半年で、僕の世界はあまりに急激に広がっていきました。
 僕はお父さん、お母さん、そして三島さんに、この喜びと感謝の気持ちを伝えました。僕のこれまでを支えてくれた人たちです。
 でも、あと一人、感謝を伝えなければいけない人がいました。それが、吉見先生です。
 先生と出会わなければ、僕はあんなに勉強を頑張れなかった。先生が僕と向き合ってくれたから、本を読むことを教えてくれたから、たくさんお話してくれたから、僕は今ここにいます。

 あの日、駅前を歩いていると、このお店に入っていく先生の姿を見つけました。授業を受けていたのはもう何年も前だし、画面越しでしか会っていなかったから、先生かどうかわからなかったけど、でも絶対そうだと思いました。
 そして僕は店に入り、先生に声をかけました。

 先生、僕は中卒です。一生懸命教えてくれた先生を裏切って、突然塾を辞めて、そして高校に行けなくて、すみませんでした。
 でも、大学に行けました。先生のおかげです。
 ありがとうございました。


 楠村は、何度もつっかえたり、言葉と言葉の間で沈黙したりしながら、長い時間をかけて匡之に話した。
 話し終えると、楠村は氷がすべて溶けて薄くなったアイスコーヒーを飲み、息を吐いた。その表情はぐったりとしていた。こんなに長く話し続ける機会は、彼にはそうないはずだろう。
 「ありがとう、話してくれて」
 匡之はそれだけ言うと、黙り込んだ。この話をどう受け止めて、何を言えばいいのかわからなかった。
 あまりにも、壮絶で、この歳で重ねる苦労にしては重すぎる……。
 彼の人生に対して、俺が軽々しく何かを言ってはいけない。匡之はそう思っていた。

 言えることがあるとすれば、ふたつだけだった。
 楠村が京大に合格したのは、俺のおかげなどではなく、紛れもなく彼自身の努力によるものだということ。
 もうひとつは、今の俺は、君が思っているような素晴らしい人間ではないこと。
 俺は、君のお母さんのように、ふと魔が刺して一度きりの過ちを犯してしまったのとは訳が違う。
 俺は卑劣で、歪んだ人間なんだ。やはり、もうこれで終わりにしよう。
 「……大変やったな。よく頑張った。俺は、君が裏切ったなんて微塵も思ってないし、君が勉強を頑張っていたなら、それが何よりや。君が感謝を伝えるべきは、やっぱりお父さんお母さん、それに、その三島という……」
 匡之は、そこまで言うとハッとして言葉を切った。
 「……なあ、その三島って人、下の名前はわかるかい?」
 匡之が聞くと、楠村はええと、と言って頭を掻いた。
 「三島、虎之介、だったと思います」
 この子は、何回俺を驚かせたら気が済むのか……。匡之は心の中でつぶやいた。
 三島虎之介。間違いない。そんな変わった名前は、あの人しかいない。
 何より楠村の話に出てくる姿が、俺の知っている人とまったく同じだ。
 しかし、そんな偶然があるなんて……。
 匡之は、最初の配属先の教室長であった、三島虎之介の後頭部を思い出した。保護者にいつもぺこぺこと下げていた、あの頭。生徒の授業計画を毎日遅くまで作っていた、隈の深い目元。それでもいつもにこやかで、生徒が、子どもが大好きだと言っていた、あの笑顔。
 そうか、三島さんが楠村くんを……。

 「先生、どうしましたか」
 楠村に声をかけられ、匡之は我に返った。
 「いや、なんでもない、なんでもないんだ」
 匡之は明らかに動揺して目を泳がせながら言った。あの三島がまた教育に関わる仕事に就き、そして楠村を担当していたという事実は、匡之を強く揺すぶった。
 先程、三島と楠村の邂逅について偶然だと表現したが、きっと偶然などではないだろう。二人は、巡り合うべくして出会ったのだ。
 匡之は、窓の外に目を向けた。
 「楠村くん。あのタワーが見えるか?」
 そう言って匡之は、向こうに見える京都駅の壁面を指差した。楠村は身体を捻って外を見ると、
 「え、タワー? どれですか?」
 と尋ねた。
 「あれや、壁に映ってる、あのタワーや」
 「……ああ、はい。鏡になってるんですね」
 「うん。楠村くん、あのタワーは、俺やねん」
 匡之の言葉に、楠村は窓の外を見ながら首を捻った。
 「意味がわからんかもしれんが、それだけ覚えておいてくれ」
 匡之は、楠村の白髪と薄くなった頭頂部を見つめて言った。そして伝票を取って立ち上がり、二人分の会計を済ますと、楠村に向かって、
 「会えてよかった。それじゃあ、これからも頑張って」
 と言って、出て行った。楠村は、困惑した目で匡之を見つめていたが、一言も言葉を発することはなかった。
 外に出るともう夕方で、鋭い西日が大通りを貫き、行き交う人々の影を路面に濃く写しているのが見えた。匡之は晩夏の街の空気を大きく吸い、吐くと、無数の影法師の合間を抜けながら家路を辿った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?