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数学的にデューラーを

関数とは写像である

大学院の試験勉強をしているときにこの考え方に出会い、衝撃を受けました。線形代数や複素関数などで写像という概念を漠然と扱う中で、写像とは、Aの集合→Bの集合に写すもの程度だと考えていたため、大学に入るまでに扱った関数という概念が写像の一種であるという考えにたどり着けませんでした

例えば、y=f(x)を考えたとき、f(x)という関数はx(入力)をy(出力)に写す写像となる。具体的には、

y = f (x) : xを入力値として、yを返すとしたとき、
f(x)=x^2+x+3であれば、x=2はf(x)を介して、9にうつる

ここから当時少し考えたことですが、初めて写像=関数がつながったときに同時に世の中のあらゆるものは写像ではないかという疑念が生まれました

物理/数学に近い分野の例として、工学的なシステムは入力を既定し、フィードバックをかけたりしながら、出力を得る。このフィードバック制御自体はロボット制御や衛星の軌道制御など、工学的な制御ではよく使われる概念です

もう少し、この写像という概念を拡張してみる。たとえば、人の考えや思想(入力)を言語(関数)として伝えることで、人に伝えること(理解、共感、反感など)も写像となりうる。とくに言語だと、どの言語で伝えるかによって、出力結果は面白いように変わる。それは言語自信が独自の文化的な背景などを関数に含んでいるからである
「恋に落ちる」、ことを英語やスロバキア語などの言語で、全く同じニュアンスで表せる適切な表現がないのと同じである。英語だとfall in loveが近いけど、直訳的なニュアンスだとlove≠恋なので、表現としては微妙に違う


さてさて
前置きは長くなりましたが、今日は宇宙飛行士の勉強の中で、絵画史を勉強した時に思ったことを書きます。

デューラーという画家のことはご存知でしょうか? 結構有名なドイツの画家ですが、この年まで私は知りませんでした笑


デューラーについて(wikipediaより)

彼の描いた絵の中に自画像を描いたものが数点あります。その中でも1500年に製作された彼の正面の自画像を描いたものに衝撃を受けました。この絵は一般に3つの点で特徴的です

1.正面の自画像を描いている点
この15世紀というのは、ルネサンス期にあたり、中世まで主題として扱われていた宗教画の流れとギリシャ・ローマ時代の写実主義などが合わさり、新たな芸術思想などが各地で起こった時期です。これまで自画像としては、3/4正面図が主流であり、正面図は不遜であるという考えが主流でした。その芸術界の流れを破るかの如くのこの正面図。いろいろと見事です

2.キリストを似姿として自信を描いた点
正面図の話にも関連しますが、芸術史を絵画とともに見ていると、デューラーの正面図で「!??」となります。これまで正面図は宗教画が常識とされる中、いきなり、あまりに精緻に描かれた正面の自画像がルネサンス期のドイツに現れるからです。1500年制作のデューラーの正面の自画像は、キリストの似姿を表現したと言われ、自身をキリストに見立てているという説があります。サルヴァトール・ムンディの図像伝統に重ね合わせたて描いたなどの話もあり、芸術家としての自信の表れがでているとも言われています。
真偽は定かではありませんが、宗教画に自分を重ねてしまうというのはすごいですね。そこまで何かに自信がもてるのはすごい。悪く言えば、ナルシストですが。

3.遠近法などのルネサンス特有の画法を自画像に取り入れた点
この自画像自体には遠近法はないですが、デューラーの画法はルネサンス期のイタリアから学んだ技法をふんだんに取り入れてます。自画像では髪の一本一本にわたる精緻な描写から絵の完成度のすさまじさに圧倒されます。

画像1

Space portができる県の海岸



あれ、前置きの写像関係なくない?

いえいえ、そんなことはないです。ここからです

最初に言語も写像となりうるのではと話しました。人の考えや思想といったものを誰かに伝えるとき言語というのは関数であり、写像となるのではという内容です

そこで、次の疑問ですが、言語以外も人の思想を伝えるための写像(関数)となりうるのではないか?と。言語が通じなくてスポーツや音楽を通じて他国の人と通じあえるという話はたまに聞きます。これもスポーツや音楽が写像として思想や感情の表現を具象化する役割を少しでも担っているからではないかと

さて、絵画はどうかというと、絵画も一種の写像であると私は考えます。個人的な見解ですが、ギリシャ・ローマ自体の作品、中世の宗教画はどちらかという写像としての要素は薄いものだと感じていました。多少、作者の思想が表現に現れていますが、他者の権威や宗教性などの本人以外の要素を強く感じました。他社の権威などを象徴するという意味では、ある意味、関数的な要素はありますが

しかし、ルネサンス期、とくに、デューラーの自画像から、絵画の写像としての役割、作者個人の思想を写しだす要素が強くなったように感じました

具体的なイメージとしては、
y = f (x) : xを入力値として、yを返すとしたとき、
f(x)=絵、x=作者の思想、はf(x)を介して、自信の芸術家としての自信(キリスト的な創造主としての画家)


無理やり感はありますが、写像という概念を自然科学だけでなく、人文科学に適用させることで、世界の見方もまたちょっと違うものになるなというのが本日の結論です

バロック期や印象派の時代など、今後はより絵画が思想を写しだす関数としての機能を強くもっていくんでしょうね。続きの勉強が楽しみ。

今回は宇宙飛行士の試験勉強の休憩がてら、絵画史を数学的に考察してみました

ではでは




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