浸透する思い 「庭とエスキース」
庭とエスキース
奥山 淳志
人を知りたいという願いが高まると「想い」に変わるということをこの本から知った。
写真家である著者が、北海道新十津川で、自給自足の生活を営む「弁造さん」を訪ねることから本書は始まる。「弁造さん」は、「北海道の開拓時代の最後に生まれ、絵描きを目指して挫折して、進んでいく時代のなかで自給自足を志して、小さな丸太小屋に暮らして、庭を造り・・」(p285)続けた人で、ユーモアーにあふれた人として書かれている。
著者の奥山さんは78才の「弁造さん」と出会い、92才で亡くなるまで、「弁造さん」のもとに通い続け、その言葉に耳を傾け続けた。「弁造さん」を思い続けた。
本書は、「弁造さん」の自給自足にまつわる日々の生活と庭の描写が端正で読んでいて心地良い。北海道の寒さに抱かれた自然描写は秀逸で、風の音や湿度、温度、雪の重さまでも感じることが出来る。季節ごとの変化が手に取るよう分かり、その場所に立ちシャッターを押し続けた著者の思いが心に浸透してくる。
25歳の著者が「他者の生きることに近づきたい」(p229)という思いから「弁造さん」に興味を持ち、「弁造さん」を通して、「他者」を理解しようとする。他者を知るとはどのようなことか、本当に知ることができるのか、その問いと答えが繰り返し自問自答されている。奥山さんのすごいところは、「弁造さん」を観察するのではなく、「弁造さん」を自分のもとに引き寄せ、自分の生を通じて、弁造さんを理解しようとしたことである。時折意見が衝突したり、議論をしたり、「弁造さん」に絵を描くように迫ったりしているところが微笑ましい。他者とは何か、人を知るというのはどのようなことか、という問いにこの本は、逡巡しながら、ゆっくりと近づいていく。その過程が羨ましいぐらい芳醇な北海道の自然と共に描写されている。
そして、40点の写真が素晴らしい。写真から奥山さんの温かい眼差しが、文章からは真摯な心が伝わってくる。人への思いに溢れたお薦めの一冊。何度読んでも新しい発見があり、どこから読んでも内容の伝わる素晴らしい編集だ。
本書は「みすず書房」の本で、あいからず佇まいが美しい。紙の質も内容に合っている。頁を繰る感覚が心地よい。
遠い昔、大阪東梅田の旭屋書店にみすず書房の書架があった。ずらりと並んだ白い背表紙が輝いて見えた。帯の色も美しい。みすず書房の本を買うだけでテンションがあがった。本の装丁が良い分少し価格も高かったように思う。
書店で待ち合わせをして、書店を巡ることが好きだった。人文はこの書店、美術所はこの書店、岩波ならここと、書店ごとに個性があった。
『庭とエスキース』を手に取りながら、改めて私は本が好きなのだなと思った。