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東北大震災と復興 宮城県 松島湾周辺

宮城県松島湾

 2011年3月11日に発生した東北大震災から12年。巨大地震、そしてあの大津波と東京電力福島第一原発の爆発事故。東北地方のどこで、どんなことが起きたのか。それから今にいたるまでどうなってきたのか。
 地域によっては震災以前の衛星画像が残されている場合もある。公開されている範囲で震災について振り返り、復興の流れを時系列として見てみよう。
 当然のことだが、震災の影響は現在も続いている。今回は宮城県松島湾周辺の衛星画像を使って見てみよう。地図画像では宮城県を表示している。上は岩手県、左は山形県、下は福島県。右は太平洋。

 右の半島は牡鹿半島。仙台市が見える。中央あたりが松島湾。

 松島湾は日本三景の一つ。

 これは2023年3月8日の衛星画像。松島湾の左は塩釜市。その左下が仙台市。ズームイン。

 右上の鳴瀬川と左の松島湾を東名 ( とうな ) 運河がつないでいる。

 下側、左から桂島、野々島,寒風沢島、宮戸島。

東名地区

 このあたりの震災の被害を考察することがあったのだろうか。3種類の衛星画像がつないであるのでそれを利用して見ていこう。左半分は2011年5月3日、震災直後といってもいい時期だ。右上は震災前の2008年10月19日。右下は2010年10月25日。ズームイン。

 下に見えるのは東名浜漁港。左半分は震災直後、2011年5月3日。左の海上、陸地にはがれきが散乱しているのがわかるだろうか。右半分は震災前、2010年10月25日。右の東名地区の震災前の画像には、細長い漁港の入り江に沿って家並みが見られる。入り江には漁船がつながれている。おそらく、家を出てすぐさま自分の船に乗り込み漁に出るという漁師の生活から家がつくられていったのだろう。家並みは運河のほうまで伸びている。

 そして、震災から2年後、2013年8月14日の画像。最初に見たときは目を疑った。家並みが消えている。一方で漁港は整備されたようだ。しかし右側は海だったか?上の画像と見比べていただきたい。

 2018年4月13日。右側の農地は完全に浸水していたようだ。

 2019年4月16日。農地の排水が終わったのだろう。

 2019年8月5日。緑がよみがえった。

 2020年5月30日。

東名運河

 上半分は2008年10月19日、下半分は2010年10月25日、どちらも震災前の画像。住宅地帯と山林の変貌の様子を見ていただこう。

 震災後の2013年4月14日。東名運河の南側にあった住宅はなくなっている。北側の住宅も減っている。上の山林が切り開かれているのがわかる。

 2016年4月13日。住宅地の区画整理が行われているようだ。

2019年8月5日。住宅建設が終わっている。

宮戸島

 2010年10月25日、震災前の画像。ズームイン。

 砂浜は右から室浜海岸、大浜海岸、月浜海水浴場。ズームイン。

 室浜海岸と集落。右上は室浜漁港。

 震災後の2013年4月14日。集落の北の高台が切り開かれている。

 2016年4月19日。

 2020年4月8日。

 大浜海岸、漁港、集落。震災前の2010年10月25日。

 震災後の2013年4月14日。

 2016年4月19日。

 2020年4月8日。

 月浜海水浴場、集落、漁港。震災前の2010年10月25日。

 震災後の2013年4月14日。

 2016年4月19日。

 2020年4月8日。

 家の前は砂浜の海岸、漁港という漁村の風景。夏になると、子供たちは水着に着かえてそのまま海に飛び込んでいたんだろうな。津波はそんな漁村の生活をまるごと奪ってしまった。 

桂島

 見出し画像は震災直後の2011年5月3日、ここでもう一度見ていただこう。津波は外海側から押し寄せて、島の半分ほどを流していったようだ。左下にあるのは島の共同墓地じゃなかろうか。高台にあったので流されなかったのだろう。

 2022年6月4日。

 画像を見るたびに胸が痛む。何もかも流し去ってしまう津波の恐ろしさ。

注記)
a.
衛星画像は、欧州宇宙機関 ( European Space Agency : ESA ) が運用する EOブラウザからスクリーンショットしたものを使用しています。
b.地図画像・参考衛星画像は、Esri が運用する World Imagery Wayback からスクリーンショットしたものを使用しています。

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