見出し画像

ウクライナの戦場 バフムトの戦闘・撤退 破壊された街並み

ウクライナ

「邪魔者は消せ」「裏切り者には死の報いを」・・・
 暗黒街、無法者の掟を公然と国家規模で実行しているのが今のロシア政府じゃないだろうか。
 ウクライナへの軍事侵攻後2年がたち、ロシア大統領選挙が近づくにつれてそんな事件が相次いでいる。ニュースとして知るだけでも恐怖心を覚えてしまうのだが。

 このあたりの地図をつくづく眺めてみるとわかるよね。上の方からバルト三国のエストニア、ラトビア、リトアニアそしてポーランド、ウクライナ。隣のロシアからの脅威を感じている国々だな。ベラルーシはロシアの同盟国、ほとんどロシアだからね。
 地図画像ではバフムトを中央に設定。

 ウクライナとロシアの国境。左上に首都のキーウ ( Kyiv ) 。

 中央にバフムト ( Bakhmut ) 、ドネツク州。右はルハンスク州、そしてロシア。

 バフムトはルハンスク州境に近い。

バフムト

 衛星画像は、2024年2月17日。中央右寄りにバフムト市。ズームイン。

 冬の光景だ。

 水色で川、池などの水系を表示している。川はバフムトカ川。また主要な道路を白っぽく表示している。中央にバフムト駅、上から下に鉄道が通っている。
 人口は7万人、だった。

戦闘の経過

 ロシア軍は2022年5月から砲撃を開始。7月、市内への砲撃が激しくなる。8月、東側から包囲するように攻めてきた。空爆も。10月、ロシア軍の主力は民間軍事会社ワグネル。塹壕戦が始まり、こう着状態に。
 衛星画像は、熱源を検出するデータ処理を行い戦闘地点を表示している。戦場が東から西へ移動していく様子がわかると思う。ロシア軍が攻め込んでいるわけだ。

2022年

 7月2日。バフムトに戦火が迫っている。

 7月7日。

 8月1日。

 11月29日。画像を拡大。

 12月19日。ロシア軍は主要道路を通ってきている。

2023年

 米欧からはバフムト撤退を求める助言が続いたが、ゼレンスキー大統領は徹底抗戦を主張した。3月、ロシア軍がバフムトカ川の東側を制圧。5月、バフムトの95%を制圧したと、ワグネルのプリゴジンが宣言。ウクライナ軍は西へ移動。
 
  3月4日。すでに市街戦に。

 3月14日。

 3月24日。市内が制圧され始める。

 5月3日。

 5月13日。

 5月18日。この後ワグネルは撤退し、代わってロシア軍が全域を占領した。

街並み・郊外

 ウクライナ軍はバフムトを撤退したが、双方ともに多数の死傷者を出す消耗戦となった。ウクライナ軍は6月以降おもに南部で反転攻勢を開始、バフムト周辺でもロシア軍を撃退した。
 ここでは激戦地となった街並みがどれほど破壊され、廃墟と化したのか、見ていこう。マーカー地点でバフムト市、郊外の注目場所を示している。5ヶ所で戦争以前と戦闘後の街の状況を比較していこう。
 参考衛星画像は、
戦争以前:2021年7月13日
戦闘後 :2023年8月29日
である。
 2本の道路が合流する地点

 左上、左下は民間企業。中央は高層住宅。

 バフムト駅の西側

 左上と中央は学校。集合住宅地。

 バフムト駅の東側

 左上はバフムト駅。中央は公園。右上はスポーツ複合施設。

 街の北側

 西郊外の畑

 砲撃の跡。ウクライナ軍の塹壕と思われる。西進してくるロシア軍を防御するためのものか。

 今後ウクライナの惨状がますます明らかになってくると思う。ひどいもんだろう。一方で、復興するために明確な未来を描けないのも現実だ。苦しい、苦しいよね。

注記)
a.衛星画像は、欧州宇宙機関 ( European Space Agency : ESA ) が運用する COPERNICUS ブラウザからスクリーンショットしたものを使用しています。.
b.地図画像・参考衛星画像は、ESRI が運用する World Imagery Wayback からスクリーンショットしたものを使用しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?