今日を生きられること。それで十分じゃないか。
昨日は父の実家、祖父母はなくなっているが、おばさん、従兄弟、再従兄弟やその家族が集まった。
その家の近くには、ちいさな観音寺があって、最近大きく改装してとてもオープンで綺麗なお寺になった。ここの尼さんもまた、とてもオープンな方で、昔飼っていたミニチュアダックスのマロンの供養もお願いしていて、時々遊びに(?)いくと、お茶やらチョコレートやら、はたまたお手製のイチジクジャムやらをいただく。で、お話に花が咲き、なかなか帰れない。
昨日も前回いただいた絵馬を持って、願い事を書きお参りにいった。とても居心地が良くて長居。父の実家から電話が入り、お暇することになった。
そして父の実家。わたしたちは本家(ほんや)とよんでいる。お盆や正月、そしてGWはなんとなしに集まる。特に普段は静かな父が心を解放して楽しんでいるので、とても嬉しい。(ビールも進んでた)。
昨年はそれでも亡くなった人もいた。理由があって離れていった家族もいた。でも、なんとか話し合いながら乗り越えてきた感覚がある。
昨日話していたのは「誰にでも寿命はあるし、それは仕方ない。今日目が覚めて元気にいられること、今日一日を大事に過ごすこと。それで十分じゃない」ということだ。
だれでもカラダを患ったり、命の危機に陥ることはある。その時その人は精一杯頑張ってるのだから、それ以上頑張れっていうことはない。なりようになる。見守る者は「大丈夫だからね」とどーんと構えて声をかけることだ。という話もしていた。
特に従兄弟のお姉さん。身内にいろんなことを経験してきた人で、話してくれる言葉がとても温かく力強い。
そして私は、帰ってきた。
なるようになる。今日一日を感謝して元気に生きられれば、それで十分。そういう心持ちで過ごしていこう。
家についたら疲れが出たので、窓を開けて風を浴びながら、寝転んでオーディオブックを聴く。
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