翌日の朝食は母のお赤飯
本日も下書きに溜め込んでいた記事を投稿します。
昨日実家へ遊びに行ったので、夕飯を食べて帰ることにしました。
母が準備してくれたご飯を食べるのは、どんなメニューでもやっぱり美味しくて懐かしくて、一気に幸せに包まれます。
実家を出てから自分や旦那のご飯を毎日作るようになり、ご飯のメニューを考えることの大変さ、買い物の重い荷物、面倒な洗い物でカサカサになる手のことがやっとわかりました。
そして母のご飯の美味しさと暖かさにも気付けました。
実家にいたら毎日当たり前のように出てきていたあったかいご飯。
誰かにご飯を作ってもらえることがどれだけ嬉しくてありがたいことなのか、作る側になるまでわかりませんでした。
私の好きだったものを作っておいたよと、冷蔵庫を開けてそれを取り出す母。
ナスと玉ねぎの揚げ浸し。
昔母がそれを作っていると、私は台所へつまみ食いしによく行っていました。
たまに帰ってくる娘に好きだったものを用意しておいてくれる母の優しさに、勝手に癒された娘でした。
私はお赤飯が大好きなのですが、多分母もかなり好きなようで、よくお赤飯を作ってくれます。
小豆を時間をかけて茹でたりと、ひと手間をめんどくさがっている私は自分でお赤飯を炊いたことはありません。
昨日の夕飯もお赤飯でした。
実家に住んでいた時、台所から漂うお赤飯の香りで「今日はお赤飯なんだ!ラッキー」と思っていました。
帰り際に母がお赤飯を一食分ほどですが持たせてくれました。
「これで明日の朝ごはん楽でしょ」と。
このちょっとしたお土産にもまた母の優しさを感じたのです。
そして翌朝にお赤飯を温めて食べるとき、再び幸せに浸るのでした。
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