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悪魔の実験か?その2(CHATGptで宗教作ってみる。なんのこっちゃって話だが…)

続き…根本的に、私は無宗教なのだと思う。まあ、人並みに墓参りには行くが、自分の墓など要らないと思っている。初詣には行くが、それはなんとなく習慣で行くだけだ。高校はプロテスタントの高校だったので、毎週礼拝もあったし、キリスト教の授業もあった。けれど、偶々入った学校なだけで意味はなかった。信心する人の事は「ああそうなんだ」とか思うだけで、勧誘さえされなけければ、どうでも良い。

結局のところ、ある側面では宗教は人の支えになるけれど、半面では諍いの種にもなる。資本主義の世界では、宗教を支えるのには資金が必要なのだし、その為に信者数が必要だし…何かが間違っている気がする。これはずっと疑問に思っていた事なのだが、そもそも宗教ってなんなのだろうか?誰も会った事がない存在を崇拝する。その価値観を広める事が正義とされる。誰もが、宗教は統治に利用されてきた事を知っているし、その時々に都合よく修正されてきている事も知っている。

熱心なキリスト教信者の存在する博物館では、恐竜よりも前に人間が存在する展示が堂々とされているらしい。歴史(まあ、どこまでが本当なのかわからないが)的な、科学的な根拠すらそこでは無視されているのだ。なにせ、最初の生物は人間でなければいけないらしいから、仕方ないのだろうと思うがおかしな話だよね。

実は、暇な時にまた小説でも書こうかと思い立ち、二万文字ぐらい書いた。ただ、現実問題としてキーボードに向かう暇はなくて頓挫した。粗筋は出来てたんだけどね。根気が続かないのだよ。こんな感じのお話。

一人の天才的な頭脳を持つ小学生が、経済に興味を持ち、祖父に勧められて投資を始める。自分で作り出したアルゴリズムで投資の資金は際限なく増えてゆく。けれど、少年にしてみれば画面上で増えてゆくのは数字であって、大人の価値観とは違う。少年は疑問に思う。一瞬で増える画面の数字と、サラリーマンである父親の給与、パートで働く母親の時給とのギャップ。少年の疑問は、興味となり、社会や、経済や、イデオロギーに向かう。人は何故そうした事に振り回されるのか、人にとって生きる意味とは?そうして少年の興味は宗教へと辿り着き、やがて自分が宗教を始める事を思いつく。

こんな大枠だったんだよね。今回、遊びでCHATGptに質問した時に、この小説の構想とリンクしたんだよ。

クラウド上に「宗教」がそんざいしたって良くね?って


元経営者、某サイトで大賞→小説出版歴有り。現在、金融関連役員(中小企業)コンサルティングも行う何でも屋。証券外務員一種。基本…ただのオッサン