人と会いたいのにまた人との誘いを断る大学2年の春休み

とにかく人と会いたい。

人と話したい。人と酒を飲みたい。人とご飯を食べたい。マスクをしないで友達と喋りたいし、リップを塗りたいマスクで隠れなくていいメイクをしたい。旅行に行きたいし、カラオケにだって行きたい。

それなのに私は、椅子に座って無気力に全てを投げ出して、毎日涙を流しながら死にたい死にたいと呟いている。

原因は、コロナウイルスによる外出自粛だ。

東京都の感染者数が本当かどうかわからないけど少しずつ少なくなってきて、ニュースでは連日医療従事者のワクチン接種が始まったと言っている。誰も今日の感染者数を気にしなくなってきたし、なんなら終息をしているのではないかと錯覚するくらいに遊びに行っている人もいる。

だが、まだ早すぎやしないか。

医療従事者へのワクチンは、大学生である私たちには関係がない。感染者数の減少だって怪しい。なにより、世間のムードとは関係なく、コロナウイルスは感染するときは感染するのだ。マスクをとって15分以上話したら濃厚接触者というあまりに強烈で、痛烈で、レッテルのような言葉を張られる世の中で。わざわざ飲食店でマスクを外したら黙らなければならない窮屈な環境の中で。感染したら知らないうちに働いている両親、学校に行く妹に私が、他でもない私がうつしてしまうかもしれない状況で。
油断なんてできないし、まだまだいつものような日常に移行するには早すぎる。

少なくとも、私はそう思っている。

それなのに、「ご飯に行こう」だの「カラオケに行かない?」だの。

その言葉がLINEで送られてくるたびに、腹の底がぐずぐずになって、怒りに似たような、悲しみのような、虚無感のような。表現しようがない体中のざわめきを覚える。こんな私なんかを誘ってくれる相手のいるありがたさ。ほんの1年半前までは二つ返事で誘いに乗っていた状況への郷愁。さまざまな感情が渦を巻くみたいに血液と一緒に循環して、何も言えなくなって、震える手で、

「自粛中だからいけない💦ごめんね🙇」

と打って、送信ボタンを押す。
送った後は申し訳なさと、やるせなさと、「ああ、また友達がいなくなってしまったな」という感覚にコーティングされて、手足を投げ出す。無気力感がまた一層募っていく。

行きたい気持ちは100000%くらいある。なにより人と話したい。友達と笑い合いたい。ご飯はおいしいし、カラオケは楽しい。そんなことは知っている。

それなのに、頭の中で赤ランプを点滅させながらビービーと警告音を打ち鳴らす。脳みその理性の部分的な、臆病で小さな時から先生の言うことを忠実に守ろうとする感情が、「人と会ってはいけない」と幻聴のように言い聞かせる。

いつしかそれは、強制的な恐怖心となって私の心を蝕んでいる。

人と会わないほうがいいという考え方は、いつしか人と会ってはだめだ。に変わり、人と会うことは恐ろしいことだ。と、さなぎが自然に蝶になるように私の頭の中で羽化をする。強迫観念なのかもしれない。

人と会わないことは当たり前になってしまった。

先が見えないものが怖いから、LINEもできない。もともとコミュニケーションに難があるから、zoomで話すことも断っている。そもそも、zoomは誰かが一方的に大勢に向けて喋るか、ごく少数人数で話すためのものだと思う。言葉と言葉がぶつかりあってしまうから特定の人間しか言葉が発せないようにできている。複数の話題を持ち上げることは不可能だし、常に人の顔を見ている、見られている状況が苦痛だ。会話で主導権を握れない私は、ただ笑いを浮かべておしまいになってしまう。オンラインでの会話はできるだけ避けたい。
そんな、持ち前のコミュ障と不安症と鬱気質によって、コロナウイルスが蔓延した後は、人との関わりが徹底的になくなった。周りが今何をしているのかわからない。自分が今何をしているのかわからない。自分の存在意義の無意味さや、不安感が心の中を漂って、消えない。

私は今、大学2年生の春休みだ。本当だったら友達と旅行に行くはずであったし、3年から始まるゼミ生同士での合宿もあるはずであった。遊びやカフェや博物館にもたくさん行きたかったし、好きなカラオケも何回も行くはずだった。1年生の時にやって楽しかったイベントの単発バイトも何個もしようと思ってた。友達と遊ぶつもりであったし、趣味のこともやろうと思ってた。

それが今は、人と顔を合わせることさえできない。外に出る気力さえない。

どうして、こんなことになってしまったんだろう。

私は今、何をしているんだろう。

うなだれた目線の先に見えるのは、狂いそうなほど見た自室の壁しかない。大学で講義を受けたい。教授に質問したい。友達と笑いながら話し合いたい。一人で座る自室の中では、なにもかもが叶わない。もしかしたら今までの人生の方が嘘だったのではないかというくらい、今は虚無感にあふれている。

コロナウイルスは怖い。それは事実だ。

病床は減ってきている。家族は濃厚接触者になって、生活を奪われる。後遺症も脱毛、味覚嗅覚の喪失、集中力の低下など、絶対に避けたい辛く地味に嫌なものばかりだと聞く。私のせいでいろんな人に迷惑をかけたとすれば、その瞬間に申し訳なさで自殺をする。大げさな表現ではなく、わりとまじで思っている。

命に代わる大切なものはない。一人一人の行動が、みんなの命を救う。

だがしかし、生きる意味を見失い、なにもかも無気力になってしまった抜け殻の1年間の補填は、誰がしてくれるというんだろう。人生100年時代の内の、1年間は、もうどうやったって戻ってこない。この1年間はなんだったんだ。

20歳にもなって、孤独を感じて死にたいと思うだけなんて、もう本当になんなんだ。自分が情けない。授業を対面で聞きたかった。同じ机で資格過程の人の発表を聞きたかった。

「思い出のロスジェネ世代」

どこかでそんな言葉を目にした。

人と会わないと言うと、「えらいね。自粛ちゃんとしているんだね」と言われる。このご時世では、人と会わないことは正義で、善で、推奨されるべきことなのだ。ウイルス感染は怖い。人とご飯を食べるのは飛沫が怖い。私がLINEで誘いを断ることはなにも間違っていない。家に一人で閉じこもることは、何も間違っていない。その変わり襲い掛かる無気力、無関心、自殺願望。楽しいこととはなんだったのか、忘れてしまった。

とにかく人と会いたい。遊びたい。

でも私は、誘われても断る。

そうやって、1度きりの大学2年の春休みを消耗し続けている。

待望の対面授業が再開しても、そのころには私を誘ってくれる友達はいなくなっているんだろうなと思う。


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