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資本主義を超える

2022年元旦の日本経済新聞は「資本主義 創り直す」から始まっている。

今の日本社会が、格差を超えていくことや失敗を許容することが困難であることが示唆されていた。私たちは資本主義という発明によって幸せになったのだろうか?
産業革命に代表されるように、物質的豊かさを私たちの社会にもたらした歴史は枚挙にいとまがない。ただ、ブルシットジョブという言葉に代表されるように、その先に空虚を感じているのも否めない。また、度重なる自然災害、格差の増大。環境汚染や貧困の影響は、発展途上国と呼ばれる国々が背負っている事実。

この会の始まりは、コロナウィルスの影響による生活の一変により、本当の豊かさを見つめるようになったことだった。

することもなく、散歩に出かける。
花は咲き、川は流れている。つがいの鴨が川におり、水をつついて、羽ばたいていった。木々が風にそよぐ。

対してメディアをつければ、そこにはコロナウィルスで大切な人を無くした人。終わりが見えず疲弊している医療に携わる人。子どもがいる中でリモートワークで過剰なストレスに悩む人。仕事ができず、生活に喘ぐ人。

世界では大変な異変が起こっているのに、私の周りは驚くほど静かだった。

「私たちは何を目指していたのだろうか?」

コロナ禍でも家族と何気ない会話で笑い、子どもが外で楽しそうに遊んでいて嬉しいなと思い、ご飯が美味しくて、安らかに眠りにつく。そんなことで、あぁ、今日もいい1日だったと思う。

私はたまたま、物質的に問題ない家庭で育ち、教育を受け、仕事をし、家庭を持った。そこには独力で得られたものなど、一つもない。そこにあるのは偶然、そして、これまで脈々と受け継げられてきた先人たちからの宝物によるところが大きい。
民俗、資本分化、分業と技術革新、様々な努力の恩恵を私たちは受けながら私たちは自分たちの幸せを模索している。中でも資本主義の発展が私たちの物質的豊かさを押し上げてきた。

「私たちはこれから何を目指すのか?」

資本主義というOSに慣れすぎて、その先にあると思っていた豊かさは幻想だったのか。いや、資本主義を否定すること自体に、何も意味がない。

岸田新政権は「新しい資本主義」と題し、「成長と分配の好循環」と「コロナ後の新しい社会の開拓」を目指している。

資本主義を超えた先にあるもの。

それを色んな人たちと考えていきたい。


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