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君たちはどう生きるか 〈葛西臨海水族園〉

(2022年7月)

そうだ、葛西臨海水族園に行こう。そう思い立ったのは、とある海の日のことであった。葛西臨海水族園といえばマグロだ。水槽のマグロが死に絶えたとニュースになった時期もあったが、現在は無事に復活しているらしい。いわゆるパヤパヤ系の水族館とは一線を画す、真面目で学術的なイメージ。コロナ禍で休園していたこともありなんとなく行きそびれていたが、マグロファンとしては一度は訪れねばと思っていた。久々の水族館としてはいいチョイスだと自画自賛した。


いつものように朝一の水族館をサクサク楽しもうと、鼻歌が漏れるぐらいのルンルン気分で開館5分前に到着した。ところが、である。エントランスには家族連れを主体とする長蛇の列ができていた。しまった。海の日だ。鼻歌を歌っている場合ではなかったのだ。オンラインでチケットを購入していたものの、このご時世に時間指定もなく入場制限もざっくりとしていた。そんな都内の水族館のしかも海の日を甘く見ていいわけがなかった。学びと同時にルンルン気分はプシューッという音を立ててしぼみ、開いた門に吸い込まれていく大行列をベンチに座ってぼんやりと見送った。

はたと、いつまでもこうしていると暑すぎて干上がってしまうということに気付いた。ひとまず行くしかない。意を決して門をくぐると、その先も入館手続き待ちの大行列。汗みずくになってようやく入館すると、館内は黒山の人だかりだ。

これはまずい。人込みの中をゆったり歩くことは私の最も苦手とする行為の一つである。生物を愛でるどころか、その水槽に何がいるのかを把握するためにしばらく並ばなければならない。ないないない。無理無理無理。完全に萎えた私は「もう帰ろう」と呟き、全ての水槽をスルーしてひたすら順路に沿って歩いた。なけなしの癒しは途中でチラリと見えたハリセンボンのはにかみ顔ぐらいである。

出口はまだかと思いだしたころ、突如アレが現れた。葛西のシンボル、ドーナツ型水槽である。そしてその中を葛西のアイコン、クロマグロが回遊している。

デカさとギラつきに圧倒され、その勇姿にイライラもクサクサも一気に晴れた。ほぉー、と、水槽の前で今日初めて足がしっかりとピン留めされた。数分見とれたのち我に返って見回すと、ドーナツの真ん中部分に水槽をスクリーンのように見渡せる座席が映画館のごとく配置されていた。素晴らしい。ど真ん中あたりの席を陣取り、しばしマグロを堪能した。この場所だけでも700円は安いと思える充実感だ。たまに水槽に近付いてはマグロの正面顔の撮影に勤しんだりした。ダイビング中にマグロを見かけることはあっても、こんなにじっくりと楽しめるものではない。

ちなみに水槽に貼られた黄金のテープはマグロがぶつからないようにするためのものらしい。マグロやカツオが大量死してしまった過去の悲劇からの学びなのだそうだ。マグロは中落ちを中心に大好物であるが、ここの子たちにはどうか健康で長生きしてもらいたい。君たちはどんな一生を送るのか…なんなら大往生まで見届けたい想いである。ここがクライマックスというか、ここだけがクライマックスで、小一時間の滞在時間中マグロ空間で優に30分以上を過ごした。

マグロに癒されすっかり満足したら多少余裕が生まれ、隣の水槽のイワシ玉を愛でたり、絵画のように配置された地域ごとの水槽を楽しんだりしながら出口を目指した。オノマトペとしてはスタスタ、がぴったりの軽快なスピードだ。

館内最後のお楽しみは毎度ワクワクが止まらないギフトショップである。おおむねどこも似たり寄ったりの品揃えではあるが、たいてい一角にその施設の〝推し〟が並ぶのだ。案の定ここはマグロだ。

以前から気になっていたマグロのぬいぐるみがずらりと陳列されている。どうしようか、欲しくてたまらない。不審者のように店内を3周ほどうろつき、ようやく意を決して諦めるものを諦め、海棲生物の3Dパズルとマグロラーメンを買った。そしてこれらは帰りに寄り道をしているうちに、あっけなく失くした。さようなら、そしてごめんマグロ。ぬいぐるみを買わなくてよかったと心から思った。


それにしてもこの水族館は広大だ。建物を出たあとも、出口までに水辺の自然が再現された庭園をけっこう歩く。この炎天下では歩かされるという印象になってしまうのだが、都内とは思ない光景が広がっており、春や秋ならばさぞ気持ち良いことだろう。本当に700円でいいのかと確認したくなる奥深さだ。次回は真冬の平日など閑散期を狙ってゆっくり訪れたいと思った。


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