もちぐささやか

主体的マゾ。毎日の生活の中で目に映るものを描き留めます。

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最近の記事

引っ越した街はいい加減だった

大都市の外れ、多摩川のほとりに越して来ていつの間にか3ヶ月が経った。 この街はどうやらかなりいい加減だ。 暑い日は多摩川沿いを歩くと3人は上半身裸の人を見かける。ベンチには誰かのマックの食べ殻が散乱しているし、案の定カラスがやたら電柱に止まっている。その根元には嘔吐のかすれた模様を見ることも少なくない。 過疎高齢化が極まっている地元や、今まで住んでいた郊外の街とは違って、昼間からふらふらと歩いている謎の大人が多い。 そんな街に出ると、私はちょっとほっとするのだ。私の人生に

    • もんじゃはおいしく描きにくい

      豊洲でのコンサート帰り、ついでだから月島に行ってみようと歩いてもんじゃストリートへ。 通りにだーっともんじゃ屋さんが並んでいて、歩いても歩いてももんじゃもんじゃもんじゃ。ストリートってくらいだから並んでるんだろうなとは思いましたが、この規模だとは思わなくて驚きました。 一軒に入って、定番のもちめんたいもんじゃと、いかすみもんじゃを頼みました。先にもちめんたいが来て、店員さんのチャキチャキしたヘラ使いを楽しんでいると、あっという間に鉄板の上に明太子のどろっとした海が出現しました

      • 私は命をもちぐされている

        絵日記を上げているマガジンの名前「もちぐさ日記」の由来を書きます。 大元は学生時代親のお金で買ってもらったノートパソコンにつけた名前「よもぎ」でした。せっかく親に買ってもらってちゃんとしたスペックを持っていたのに、ネット見るくらいというごく一部の機能しか使っていなかったので、私には宝の持ち腐れでした。そこで、もちぐさ=餅草=よもぎという名付けになりました。 思えばいつも私は持ち腐れていると思ってきました。ネットやニュースで見聞きする競争社会の厳しさ、家族関係の難しさ、性別

        • 新しい街の新しいサイゼ

          3月にこの街に引っ越してきて、初めて行く店舗でした。扉を開けて入ると予想外。空間が青い。サイゼというとベージュや黄色の空間に、天使や女神の大きい絵がぺたっと描かれているものだとばかり思っていたのに、その店舗は壁紙がくすんだ青。絵は小さい額に入って、ゆるく上下にずらしながら並んでいます。卵形の青いガラスのランプが吊り下げられていて、その下の大理石ちっくな模様のテーブルに案内されました。 いつものファミレス感が薄くて少し落ち着かない気持ち。今までに何度も頼んでいる料理が届いたら

        引っ越した街はいい加減だった

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        • もちぐさ日記
          6本
        • 書く描くための試行錯誤
          1本

        記事

          動けなくなった時のおまじないの言葉「仮固定」

          哲学者の千葉雅也さんの著作を読んでいると「仮固定」という言葉が頻繁に出てきます。 知らない方のためにどういう意味の言葉なのか、簡単に説明すると……って哲学者が紙面を割いて解説するような言葉なので、到底私がざっくりこうと言えるようなものではないんじゃ!そんなこと出来てたら私が哲学者じゃわい! ということであくまで私個人が理解した範囲で、なんとなく自分の言葉にしてみると「移り変わり絶えず変化していく物事を一時的にこうと固定すること、一旦決めること、しかしこれはまた移り変わりうる

          動けなくなった時のおまじないの言葉「仮固定」

          なんかかきたいが無視できない

          なにかをかきたい欲求だけずっといつもあります。 「なにを」なのか「どう」なのか全く分かりません。ただなにかをかいて出したいという欲求だけがいつもずっとあって、消えません。 なにかをかきたいという欲求は、対象や手段を示さないんですね。 なんか食べたいに近いかもしれないです。なんか食べたいのになにを食べたらいいか分からなくてコンビニをひたすらうろうろぐるぐるするときのような、「なにを」が分からないのにぼんやりとした不足感が無視することができない。 かきたいが無視できない。 何

          なんかかきたいが無視できない

          多摩川さんぽ

          最近散歩にハマっている。 多摩川の土手を1時間くらいただ歩く。 気持ちよくて気持ちよくてお風呂みたいです。