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動けなくなった時のおまじないの言葉「仮固定」

哲学者の千葉雅也さんの著作を読んでいると「仮固定」という言葉が頻繁に出てきます。
知らない方のためにどういう意味の言葉なのか、簡単に説明すると……って哲学者が紙面を割いて解説するような言葉なので、到底私がざっくりこうと言えるようなものではないんじゃ!そんなこと出来てたら私が哲学者じゃわい!

ということであくまで私個人が理解した範囲で、なんとなく自分の言葉にしてみると「移り変わり絶えず変化していく物事を一時的にこうと固定すること、一旦決めること、しかしこれはまた移り変わりうる、しかし一旦結論とする」みたいな感じで捉えてます。(これが私の「仮固定」という言葉の仮固定です)
20世紀のドゥルーズさんという哲学者の考え方を元にしている言葉らしいです。

ここ数年、この言葉をことあるごとにお守りのように唱えています。
仮固定仮固定仮固定仮固定……

私はとにかく行動が出来ないタイプです。悪い意味で真面目すぎる。ちゃんとしなきゃ、恥ずかしくないように、ちゃんとやれならやらない方がいいまである、謎の呪いという重りを身体中につけられているよう。
これは逆にいうと決めたことは絶対であるので、昔は、結論の出ない問題は結論を出さずにふわっと抱えたままでいることが誠実であると思っていました。
そういう風に生きていくとどうなるのか、これを突き詰めると「何も出来なくなる」が実体験です。生活するとは、なにかを決めたり、答えのない問題にとりあえずの対処することの連続です。それが出来ないとなると、引きこもり、一日中ぼんやりと寝るだけ、何かしたと思えることをとことんやらなくなり、果てはセルフネグレクトです。

そこから紆余曲折あって、今は一度決めることの重要性を痛感しています。日常はいちいち結論を決めなくてもなんとなくそのままふわっと流れていくではないか、という側面もあり、それは確かで、何も出来なかったときも私は間違いなく生きていました。
しかし今は、一度こうと決めることでしか先に進めない領域がある。一度私はこうであると断言することで見えてくるものがある。と考えています。私はそれを見たいのです。

この考え方が固まっていくときに出会ったのが、千葉雅也さんの「仮固定」という言葉でした。

今も私は相当行動が鈍い!とにかく未来を保留したがる。動くことや決めることが不安で怖い。そういうとき、おまじないの言葉を唱えまくります。変化していく中で一度決める、そしてまた変化していけばいい。決めることは正解を選ぶことではなくて、決めること自体から見えてくる地平がある。そう思って「仮固定仮固定」とつぶやいています。

そしてこのnoteも仮固定の練習なのでした。
よーし!仮固定ったぞー!

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