安楽死が社会福祉(社会保障)削減の代案となる傾向は良くない
ですよね。
安楽死は飽くまで、
苦痛を取り除くものとして、
あるべきで。
仮に安楽死があるからと言って社会福祉・社会保障をどこまでも削って構わない世の中になれば、それは社会を支配している人たちからしたらとても都合の良い世の中になるわけですよね。
人間誰しも生存欲求があるから、
基本的には生きたいんです(全体の傾向としてね)。
そして生きるためには
食わなければいけない。
じゃあ働いて下さいね、
と無理な奴隷労働を強いる。
そして働けなくなったら、
ああ、じゃあ安楽死制度があるから、
さっさと死んでどうぞ。
(もうあんた用なしだから!)
と、暗に言ってしまえる。
……そんな社会、
最悪じゃないですか。
人間が生きる社会として社会福祉の充実は、安楽死関係ナシに目指さなければならない
……わけです。
安楽死は
社会福祉削減の代案にはなりません。
コスト云々で
安楽死を考えたらいけない。
コスト云々で考えると結局、
弱肉強食に拍車がかかるだけとなる。
……まあ、ただ、気持ちは
解らんでもない。
今の時点で社会にすでに疲弊し、絶望しきってる人たちからすれば、自分が安楽に死ねたら社会とかそゆのはどうでもいいんだ。
それになぜ社会福祉の代案で、
安楽死が来るのかというと(そう考え(追い詰められ)る人がいるのかというと)、
それは現在、そして将来的な
社会福祉に今既に失望しているから。
社会福祉が充実する世の中なんて、この先もうこないって思ってるわけ。それくらい政治や国家に幻滅してる。……私も割りとそう思う。
だから安楽死は代案というより、
妥協案なんだ。
どうせ人権が守られてない社会なら、
せめて安楽に死にたい、っていうね。