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"高卒"という単語について。

 この炎上案件、言葉狩りの本質が見えているのでnoteに残しておきたいな、と思ったのだ。

 僕は、"高卒"という言葉を高卒でない者が使う場合、概ね侮蔑のニュアンスが含まれると思っている。誰かが誰かに「あなた、高卒ですか」と言った場合、そこだけ聞けば「大卒ではない」(イコール、大学に行けない階層の出身だ)という意味に解釈される可能性が高い。
 例えば求人の応募者への面接でも、「高校を卒業されたのですね」とは言うが、「大学には行かれなかったのですね」とは言わない。
 だから、この言葉を使う場合は誰しもが慎重になると思っていた。

 蓮舫氏は、"高卒"という言葉自体の否定的ニュアンスを、どうも理解できていないようだ。また、今回の発言内容を見ても、高卒自体を侮蔑する意図はなかったのだろう。であるので、謝罪でも"高卒"と言ってしまったと感じた。
 僕なら、この謝罪は「大学卒業を目指している学生らが、経済的理由で挫折することを懸念していた、学歴差別をする意図はなかった」くらいに留め、誤解を与えた言い方を撤回する程度に留めるだろう。

 ところで、この駄文を頷きながらここまで読み進めていただいた方々。
 「高卒」って、いつから侮蔑語になったんだ?

 そう、よく考えれば高校卒業=大学非進学というのは、本来的には侮蔑に値する意味は全くない。
 昭和29年頃の大学進学率は、男性で13%、女性で2%だ。その頃は高卒で当たり前、むしろ高卒なら高学歴の部類に入っていただろう。それが徐々に進学率が増え、昭和46年では男性の30%が大学へ進学するようになっている。僕が大学をやめた後の平成7年では、男性40%が大学生の時分を経験している。ちなみに僕が学生の頃には高卒と大卒の初任給の差が話題になったりと、すでに大学へ行くことが普通、子供を大学へ行かせることが親の義務であるかのような空気があった。
 そうなると、大学へ進学しないのは、何らかの理由があるものだという認識が世間一般に広まる。大学へ進学しない、と公言する者は、進学すればより大きなメリットがあるのに、経済的・家庭環境的等々の様々な(好ましくない、望まない)理由により君は進学できないのだな、という風に視られるようになった。

 これが、"高卒"が侮蔑のニュアンスを持つに至る経緯だ。
 さて、ここからが肝心。
 僕らは今後もこのまま、"高卒"を侮蔑語として扱い続けるのか?

 今までの内容を言いかえれば、多くの人々とは違う特徴・多くの人々が持たない性質などを示す言葉は、自然と侮蔑や差別の意味が含有される、ということになる。しかしそもそも言葉は(特に"何か"を指し示す言葉は)それが他とどう違うモノなのかを表現することに価値が見いだされる。

 いま、未成年男性の過半数は大学へ進学している。それが普通だから、高卒は普通ではない。しかしかつては大学へ進学する者など殆どなく、高卒が普通だったからそもそも"高卒"などという表現が不要で、むしろ尊敬語としての"大卒"しかなかったのだ。
 変わったのは言葉ではない。差別にまず言葉ありきでもない。僕らの意識が差別を始め、言葉がその呪詛として用いられるようになっただけだ。僕らが高卒の人々を差別し始め、彼らの総体を"高卒"と表現するようになったのだ。

 蓮舫氏の発言を聞いて僕たちは、「なんて差別的な発言だ!」と思い憤ったのだが、本当は「なんて差別的な意識を私は持っているんだ!」と思わなければならなかったのだ。
 発言者の言葉を狩っていても、ポリコレが目指す本来的な世界は実現できない。狩るべきは他人の言葉でなく、自身の差別心だ。

 ……まあ付け加えると、それでも差別心は抱いてしかるべき精神作用であり、自我の内にあるそれを認識し制御することこそが肝心なのだけどね。制御できてない例が、新型コロナ騒動後の欧米人らです。(´・ω・`)
 

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