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「ミチ」に帰らなければ

2011年06月06日 初出
2021/05/04 改訂

いろいろちまちましたことを考えるのは、面白くないので、いっそのこと完全原本復元による『とこちゃん(杜胡三蔵)版老子』をこしらえて、披露すれば、文句はないですよね。著作権やら、所有権やら、翻訳権やら、完全超越、それを老子も望んでいるでしょう。

私が広めたいのは、何もその写本(郭店楚簡老子)それ自体ではない。確かに、それは貴重だし、読んでもらいたいものではありますが、それにしても、原本そのものではありませんからね。通行本を蔑んで、けなし散らすだけでは、ほんと、私は卑怯者ですよ。8回連続で試験に落ちた人と同じではないでしょうか。

最初の志は、そんな低次元のものではなかったはずだ。究極奥義を極めることにあったのではないか。鼻高のゴブリンに騙されること、10年。老子究極奥義が勝ると、見抜いて、そこに至るべき入り口を示されて、そして、やっと光が見えてきた。

老子には、失われていても、原本がある。いやあったはずだ。私は、「そこ」に行きたかったのだ。通行本の注釈こじつけ大会は、見苦しくって、堪えられなかったのだ。だから、ケルン大聖堂の長い長い階段をひたすら登ってみたこともあった。『ルーベンスの東方三賢者の礼拝』の前で、瞑想したこともあった。

私は、今「道」「未知」「三智」に帰らなければならない。

追記 2021/05/04
其初心良、未不変也。杜胡三蔵

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