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てつじん君のノートを覗く

はじめに

93/5/18〜93/11/6 No.74 文のようになっていないものは基本的に省く。それは図示に近いものであるから、本企画になじまないためである。基本的に原文の表記を尊重した。明らかな誤字脱字だけを直すにとどめた。句読点の位置も原文のままにする。一行の文字数は、ワープロ単位であるから、原文とは合わない。また、不規則にスペースが入っているように見える箇所があるが、それをいちいち判断して、打ち分けると、とても煩雑になるし、後で、読む時に往生しそうだから、無視することにした。句読点だけを確実に本文のままにすることで妥協しました。

非公開とするのが、相当と思われた部分以外をまず採録し、その後、公開になじまない部分を多少修正した。直した個所は、そう多くはない。そもそも、公開しないほうが良いと思われたところは、最初から、タイプしていなかった。

公開部分は、おおよそ4000字見当です。人のノートの中身を覗くのは楽しいか。それとも、くだらないか。それを決めるのは、あなたです。

93/5/18〜93/11/6 No.74 より抜粋

93/5/20

創造性

ある水準を超えているアマチュアはいるが、ある水準を下回るプロは存在しない。したがって、水準を上回っていることが、重要なのではなくて、下回っていないことが、重要である。

プロと比較してみるとすぐに分かる。

どのくらい離れているかを知る必要がある。

なんと言っても、プロになることが先決である。

93/5/22

今ここにある事実 私は私になりえるか。

私は、〇〇をしているが、ただしているだけで、それは、私ではない。

○ それが、とても無駄で、無意味なものであるような気がする。

○ だいたいなるようにしかならないと考えているから、

○ したいことは、あるようだが、なりたいものはないようである。

○ 知らないうちに労働が強化される。気に食わない。

○ それも一種の信仰かなにかで、私は、それを重視しない。実際の事実を見せられるまでは、期待していたいものである。 ー cheap shot

○ 労働力以外に売るものがない。 → ◎ 商品を作り出す。

歴史家 ー 今ここにある問題には、全く対処できない。

価値ある人生は、美と親しみ、美を創造していくことにある。

目的にかなっていれば、成功。 手段を目的にしてしまっている。

学校というところに存在する物指しは、Lモード(左脳力)しか測れない。

頭がいいと言われるよりは、創造的な人であると言われる方を望む。

93/5/23

それをだめにしているのは、直接にあった体験による。だから、明確である。いつもあれからの10年間の時代を考えてみる必要がある。何のためだったかを知る必要がある。

本当にやらなければならないというのであれば、死なない程度に生きている方を選ぶよ。お金があっても、これほどまでの疲れと時間のなさでは、何も始まらない。私は、その方がいい。あとは、完成をなしとげるだけである。全ては、この手の中にあるのです。これらを商品にすれば、ぼくも生きていくには困らないのだがね。

93/5/24

きちょうめん型が少しまじっている。

音楽や造形の美しさを鑑賞し創造することに高い価値を置く。

右の脳は、系統的ー最初のものを最初にやり、次の段階へ進んで次をやるーなものには向きません。どこからやってもおかしくない、一度に全部ということもあり得ます。

ーは、類型にわけたり、名づけたりするのも不得意です。

93/5/28

1. 方向が反対である (思想における 正・反)

2. 歴史の軸に合一していない

3. 労働力以外に売るものがない。

それが、間違っているとか正しいとかいうことをここで言いたくもない。ただ、そういうことがあったということを今ここで表現したいだけなのです。

それが現実で、事実だぐらいに言っていれば、それまでである。ただ、ある人は、ある人として、成り立っていける方向に全体が、なるまでには、何百年も必要のようだ。えらく先生は、両方にはさまれていて苦しむ。

経験の質を問わないと言うのであれば、幅は広いと思う。

何に何を描くか。

B3ぐらいまでだろう。6月15日には、彩色に入らないと、まにあわない。

下図案 多少、色をつける

送る絵の 下絵に入る

テーマは、一言 12年、 あとは7/28

あくまでも祝いだ。難解であるべきでない。ー明るい色を多く使う。

事実を表現する → 歴史もの → 18番 →

そこには、本当の夢が生きていたはずだ。今の段階では、その人は知らない。そういえば、物語の一つもすぐにできる。

12年の時間と空間を超えた人もそれに劣ることはない。

そうだ。原点であるとずーっと思ってきた「消えた 2 ページ」をもう一度読もう。日曜日に借りてこよう。

あのような存在は、日本人の社会の中から消えてしまうべきであるという結果に通じる私の思想と意見を構造として、表明することが、私の本当の仕事である。だれも見もしないし、読みもしないだろうが、なくなってしまうべきであると思う。

その必要もないのに、

私にも、少しは、言わせてくれたまえ。両方からいじめられているのも心苦しい。日本人の心の中から、消えてしまうべきである。私は、私には、なれなかったのであるから。

人文(科学)において、私は、成り立つ。言うことは、明確に言う。より多くの人に調べてもらえるように、はっきりと書く。

いつも問うのは、「何のために」である。

人文における「美」と「信仰」のために、生まれてきた。

目的と手段は、同じものではない。私には、そのように見える。4年間の体験は、いや、人生において、見てきた。そんなくそ芝居の内容とうそを言うにたる人でもある。

結局、私は、私になれなかった。大事な人も失われた。

1つうそをつけば、100うそをつかなければならなくなる。もうその人生はあきたね。もう100もうそをつくのもあきたね。だから、1つ本当のことを言うと100本当のことを言うことになる。そうであれば 全部本当のことになる日もあるだろう。

1つ本当のことを言う日も近い。そうだ日曜日に、書くことにしよう。こう書くことになる。

本当の物指しを持っていてほしい。あなたは、何を測りたいのですか?

彼は、何になるだろうか?

一言で、教育の問題というけれども、

高校入試

大学入試

あなたは、何になりますか?

本当のこと、「私の自伝」は、ここにはじまる。

私は、一人で戦ってみせた。それが事実である。人生は長いのだし、中学生ぐらいで、燃えつきてしまうのは、もったいない。

最後に一言、自分が正しいとは、思っていない。ただ、全てがそうだったというだけである。そうしたということを言いたいだけである。正しくはなかっただろうが、それはただの私の意見というぐらいに思ってもらえばいい。

だれだって、自分が間違っているとは思いたくないものです。

93/5/29

何が 問題か。

※ 自分のなるものがあったとは、すでに思われない。そうではなくて、ただやることだけがあったのではないだろうか。

何かになるという考え方をするといつも少しはずれているような気がする。

総合、計画年表を作ろう。

哲学 世界史(現代) 問題が大きすぎる。 天才が挑む。

今、当事者として、少なくとも、3年以上の当事者としての意見は、あるはずだから それから、やるのがいいかもしれない。また、言う権利以上に言わなければならないという強い思いが、あるというものです。

93/5/30

日本人が、いわゆる外人(外国人)をどう見てきたか? 見ていたか?

また、その逆。

現在にマッチしていること。未来に向かって、問われていくこと。96年ぐらいまでは、写真は、現状だろう。小6 の時の入賞作に近いものとなるだろう。

Impact はあると思う。あまりにも哲学的にならず、ノンフィクション的かルポ的に書き上げてみたい。とても大きな問題であることには、ちがいないと思うから、やる。

決して、売れていることが必要なのではなくて、やり続けること。または、やり続けられることが、重要である。

よくこういうものだったと思い知らされることがある。こういうことだとか、だったと思いたいと人はいるはずです。1973年に そして、1984年に、それはあった。私には、それはあったのだから、多くの人にも それはあるだろうと思う。

覚者への道を1歩踏み出す人は多くいるが、そこから、ぬけ出しえる人は少ない。人間は大体、40才ぐらいまでは、大いに迷うものである。そのままにする人しない人 両方あっていい。

よく思い出さなくても、すぐに、分かる。強く認識されたことを、次の世代に次の世界に伝えるべきでしょう。もう2500年は経っただろうが、私たちは、まだ、ピタゴラスの定理をやっているわけです。

三蔵法師 も 岡本太郎 も Jaspers も ・・・・ みんなそうして、 歴史に参加してきたのです。そうして、人々は、長い人類の歴史を作ってきたのです。デカルトがいて、マルクスがいて、・・・・・

30才にして、立つ。多くのものを私は、もらった。だから、これからは、(30年間ぐらいは、)それらを基にして、全てを伝えることにする。

それらの全ての次に 私がいて、(来て)そして、次が来る。

大事であろうと思った以上は、もう一度と言わずに、何度でも、言う。繰り返し言う 私の方法と手段と言葉で、言う。だれかに、そう だれかに 伝わるまで、言う。そして、私は、私になる。他者の認識と認知に対応して、はじめて、私は、私になる。そして、その状態を見ながら、私は、死ぬだろう。

次の人々が、存在しはじめたら、私は、彼らに全てを任せる。その 上で、私は、もう一歩上の仕事をすることが できるだろう。

大事なことは、100万とあり、それは、問題ではない。1人1人に対して、同じでないということが、重要なことで、同じであるべきではない。これで、バランスということになる。いつも、人の歴史は、少しバランスを失ってしまったこともあったろうが、大方は、このバランスの 中にあった。少しは、くずれていても、大方はその中にあった。

私は、知っている。長すぎた かも しれない旅が、その全てを 見せてくれたから。

93/6/1(注;句読点以外のスペースを、この頃は多用していたが、それを反映させると、実に煩雑になる)

Why do they have so difficult problem?

ぼくの大事な人々は、なぜそんなに自らに問題を持ってしまわなければならないのですか。

後記

こんなことをくだくだ考えながら、「てつじん」と揶揄された吾人は、暮らしていたようです。誰のためにでもなく、私のためにでもなく、ただ天性の性質のために、無限に書き付けていたのでしょう。

もし、この全文を一読した奇特な人があれば、それは、奇跡的なことだと思います。そんなあなたを私は、最大限の敬意をもって、対します。

2021/04/13 20:32 哲人隠士 杜胡三蔵印

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