#49 永く、怖く

 題意も知らずに聴く「オンブラ・マイ・フ」、窓を閉めていてもすぐ頭の上からゴウゴウと鳴る飛行機。冷蔵庫を開けた時の甘いのもしょっぱいのも混ざった臭さ、そして、洗ったばかりのタオルに顔を埋める。


 何だか眠れずに映画を観た。泣いた。何だか、ではなくて、何かが怖くて眠れなかった。目を閉じればきっとそのうち眠ることができる。でも寝てしまうことが怖かった。綺麗な自分になってしまうと思ったから。呼吸を呼吸として意識すると次第に息が苦しくなってくる。生きるために必死に吸って、次の酸素を取り入れるために必死に吐く、そしてまた必死に吸う。これだけでも頑張って生きているということが体から伝わってくる。もしかしたら何も怖くないのかもしれない。それか、もしかしたら何もかもが怖いのかもしれない。これは怖くなくて、あれが怖いなんてことはなかった。何も怖くないか、何もかもが怖いか、そのどちらかに自分がいる。

 もしかしたら何も怖くない自分と、何もかもが怖い自分の、二人の自分がいるのかもしれない。お互いに上りと下りのプラットフォームで向かい合いながら、電車に乗れずに、ひたすら向かい合っている。同じ路線だけど自分がいる駅が、終着点でもあり、出発点でもある。そしてまたこの駅に帰ってくる。何度も何度も。それでも何だか電車に乗ることが怖くて、未だに見つめ合っているだけ。いつ帰ってこれるかが分からないからだと思う。すぐなのか、永遠なのか分からないからだと思う。でも乗らなくてはいけない。永遠に乗り降りを繰り返さなければならない。


 知っている芸能人が死んだり、牛乳の賞味期限が切れていたり、咳をしたり、寒かったり、眠れなかったりすると、それまで何も怖くなかったのに、突然何もかもが怖くなる。ベンチに座り楽しそうに喋っている母親達。やろうと思えば公園で遊ぶ子どもを誘拐することができる。散歩をしている老夫婦。僕が思い切り拳を振るえば夫婦は死んでしまう。過失ではなく、ちょっとした故意が積もった大きな故意で人間一人の、またその人間を取り巻く周囲の人間の生活を終わらせることができてしまう。すぐに逮捕されれば一日かそこらの報道で終わり、関係のない人は、関係がないのだから、また普通に生活を送っていく。それもとても怖い。たまたま僕は良い人間で、彼も良い人間で、彼女も良い人間で、あの人もあの人も、大体みんなが良い人間だから、バランスが取れているだけであるというのも何だか怖い。


 地震が起きて何分か経った後、母からLINEが来ていた。LINEが来ることも、そのLINEの内容も想像がついていたので、ブタとネコが楽しそうに踊るスタンプを送信した。続けてメッセージが来た。もう大人であるから、気遣うために、安心させるためには何を送れば良いのかを知っている。それでもまたブタとネコが楽しそうに踊るスタンプを送った。「この豚動きがうるさい!」とメッセージが来た。母には「豚」に写っているんだと思った。というか、「豚」か「ブタ」かのどちらにするかなんていうのは考えてもいないんだろうなと思った。別にどちらでもいいけど。それも何だか怖かった。

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