#44 明後日から

 「朝ごはんは時間なくて食べないけど、昼は軽く食べて、夜に一日分まとめて食べるから大丈夫だよ」

 強がる気持ちのまま声に出してはみたものの、出した瞬間から「このままだと心配されてしまう」と思い始め、そして案の定心配されてしまった。出来るだけ心配をかけたくないと思いつつも、どこかで心配されたいと願っているのだろうか。

 春休みから実家に戻り、オンラインで授業を受けている。夏休みは特にダラダラとしていたから、常に冷たい視線を向けられている様で居心地が悪かった。早く! とにかく早く、あの素晴らしき一人暮らしを! と何度も思った。


 祖父母も一緒に住んでいるこの家では、目に見える範囲での心配事が多い。食事中にむせて咳をする時も、足の悪い祖父が小さな段差を越えようとする時も、緊張してしまう。人間世界の順番としては、僕よりも祖父母の方が早く死んでいくだろう。どうすることも出来ないけれど、その日がいつ来てしまうのかと怯えながら過ごしている。

 日曜日の夕方は家族揃って食卓につく。みんながテレビ好きなため、ちびまる子ちゃんとサザエさんを恒例のように見ながら、夕飯を食べる。その中で家族温まるようなエピソードの時は少し気まずくて、窮屈な気持ちになる。誕生日にプレゼントなんてものを渡したことがないし、言葉でもあまり伝えたことがないからだ。どこの家庭もちびまる子ちゃんやサザエさんのようなほっこり感があるのか気になる。いや、ほっこりエピソードならまだましだ。沢山のおとぼけ・失敗→怒られるエピソードの中に、たまにほっこりエピソードが混ざるくらいだから、その10分を耐えればいい。それよりもずっと冠婚葬祭のCMが僕を耐えがたい気持ちにさせる。

 地元のサッカーチームの勝敗だとか、牛乳を買い忘れただとか、日常的な会話の中に冠婚葬祭のCMは不意をつくように死の片鱗をちらつかせてくる。そのCMを眺めている祖父母を見て、逃げるように下を向いて、肉を食べて、米をかき込む。もう一度祖父母を見て、死ぬこととか考えているのかな、と思ってしまう。本当はどういう気持ちであのCMを見ているのだろう。決して知りたくはない。

 早く一人暮らしに戻りたい理由の一つに、目の前で悲しいことが起こってしまうのを見たくないというのもある。前に親戚が死んだ時は朝早い時間だった。寝たまま目を覚さなかったらしい。寝ていた僕は真剣な表情の母に揺さぶり起こされ、跳ねるような心臓のまま、何があったのかを短い時間で全て理解した。あの焦るような、怖くなるような、何を考えて良いのか分からなくなる時間を経験したくない。常に逃げていたい。


 明後日から念願の一人暮らしの生活に戻る。逃げの一人暮らし。一人暮らしに戻る日程が決まってから東京へ行く前のここ数日は、誰も何も言わないが僕の好物ばかりが夕食で出る。嬉しいし、美味しい。唐揚げを食べながらもあのCMが。もうやめてくれよ。

 玄関を出るときに何を言おうか迷っている。「今までありがとうございました」だと今生の別れのようだし、「またね」も何も思っていないように取られてしまう危険性がある。考えたくはないが、これが祖父母との最後の会話になる可能性もある。恥ずかしくても、せめて感謝の気持ちと、これからもみんな仲良くね、くらいは言おう。

 周りの人、好きな人が死んでいくのは嫌だなあ。出来ることならいつまでも逃げていたいなあ。祖母が作るかぼちゃの煮付けは相変わらず味が濃かったなあ。

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