#50 エッセイのエッセイ2

 やっと50まできました。これを書きながら確認をしたところ、noteを始めたのが2019年4月2日だったので、およそ2年くらいかかりました。2年で50は少ないのかもしれませんが、継続力のない僕にとっては、途中期間が空いたりしながらも、ここまで続けてこられたのは頑張った方だと思います。めちゃくちゃ褒めてください。

 #10の時に「エッセイのエッセイ」と題してその時までの振り返りを書きました。それに倣って、きりの良い数字の時には振り返りを書こう、いつか書こう、早く書こうと思って、僕は50まで来てしまったのです。長い旅でした。#10の時(2019/08/09)から今(2021/06/01)に至るまでのことを書きたいのですが、何せ時間が空きすぎているため、ほとんど覚えていないのです。とても勿体ない。もっと鮮明に、楽しさだったり、苦しさだったりを、生きた文字として伝えることが出来たはずなのに、その機会を逃してしまったのです。ですので、ここ最近のことについて振り返ろうと思います。 


 と言いつつも#1に戻ってその時の文章を見ると、「#100くらいにはそこそこの文を書けていることでしょう」と書いていました。旅よりももっと長くて楽しい、でも先が見えなくて歩いているのか泳いでいるのかも分からなくて苦しい、火星探索の船外活動中にケーブルを外されて浮遊しているような(大袈裟)、#100というとりあえずの目標に向けて、今はひたすらもがくのみです。

 #49を投稿したのが2021年2月24日。#1から#50までには2年もかかってしまいましたが、#49から#50までにはおよそ3ヶ月もかかってしまいました。24分の3を一つの文章に使っていたと思うと、更新頻度のばらつきが激しいなと感じます。日本人的な考えで、49という数字のまま放置しておくのが少し嫌だったのですぐに#50を更新するつもりでした。

 ですが、まず、3月は小説を書いてみようと、それに専念していました。内容と方向性だけはずっとメモしていたので、完成を目指して家に籠ったり、飲めないコーヒー(一番安かった)を注文して一日中カフェに居たり、色々と自分なりに頑張りました。というのも、せっかく書くなら何か賞に応募したいと思い、調べると、3月31日締め切りの、河出書房新社主催の「文藝賞」があったのです。自分から吐き出した(それまでに多くを吸収出来てたかは分からないが)言葉で、誰かを動かすことが出来たらどれだけ素晴らしいことでしょうか。読んでくれたその人が読み終わった何分後かにはもう読んだことすらを忘れたとしても、その人の中に蓄積される文章を書けるようになったらどれほど素晴らしいことでしょうか。僕はそういう未来も夢見て、ひたすらにパソコンと自分と誰かと対決をしていました。結果的には、小説は完成したものの、応募はしませんでした。出来なかったという方が正しいのですが。

 次に、忙しくなってしまった、というのがあります。小説を書いていたこともその中に含まれますが、3月、4月、5月と授業や生活が始まっていき、文章を書くことに割ける時間と体力がなくなってしまっていました(これまた大袈裟)。確かに「忙しい」という表現は間違ってはいないけど、それよりも普通が少しずつ返って来て、その普通に適応するまでに3ヶ月かかったということです。毎週決まった電車に乗ったり、人と会話をしたり、頭を働かせたり、そういった普通に僕の身体はへばっていました。意外と文章を書くことにもエネルギーが必要とします。僕は、ゲームを10時間するよりも文章を5時間書く方が圧倒的に疲れます。その分、終わった時に得られるものも大きいですが。


 基本的に、一度自分が書いて、投稿をした文章については、見返すことはしません。それを書いた時の僕は、書いた時に過ぎ去っていきます。何とも言えない気恥ずかしさがあって、どうしてもじっくりと自分の文章に向き合うことが出来ないのです。しかし、その「僕」は、書いたことによって蒸発・消滅してしまうのではなく、それまでの「僕」とその時点での「僕」をひとまとめにして、文字で残されるから小説のような、読むと映像が流れるので映画のような、色や匂いや景色を変えながら未だに続いているからドラマのような、そういう、自分の中において作品的な位置づけとして、保存しておくことが出来ます。それが今はnoteというサービス上で行っていますが、これからは「文章を書く」ということの幅をもっと広げていければいいなと思います。


 これまでの僕と、ここからの僕はきっとそう大きくは変わりません。でも、今の僕と、#100の僕はきっと大きく変化していると思います。そうであって欲しい。毎回の投稿を全て読んでくれて、その全てに対してその人なりの考えを持ってくれた人がどれだけいるのか分かりません。でも、多くはないということは分かっています。だからこそ、読んでもらえるような文章を書いていかないと! と頑張ることが出来ます。でも、誰にも読まれないまま僕が、文章が死んでいくのは悲しい。たまにでいいので、真っ暗な世界を浮遊している僕に、小さな光を送ってください。迷わないように。

 これからも自分のペースで続けていきます。よろしくお願いします!

 

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