#39 サンキュー

 こんなにも居心地の良さと居心地の悪さを同時に感じる場所は他にないと思う。

 およそ一年くらい一人暮らしをして、大学二年の春休みから今日も実家で過ごしている。一人暮らしをしていた時は、もちろんご近所付き合いなんてものはないし、ましてや隣の部屋の住人の名前や顔すら知らないまま生活をしていた。僕の漠然とした東京のイメージが、冷たさを感じるようなものだったので、そこに落胆や喪失感はなかった。実家になるとそのコミュニティの狭さを改めて感じる。良い意味では仲間のように温かいし、悪い意味では常に監視され、縛られているような気持ちになる。好きな部分と同じ数だけ、嫌いな部分が出てきてしまう。

 

 帰省したての数日は歓迎ムードで、逆に居心地の悪さを感じていた。比較的好きな料理が机に並び、冷凍庫を開けると常にアイスが入っているという楽園のような場所で、申し訳なさを感じるくらいだった。これは僕の悪いところで、素直に感謝を伝えられなくて、おそらくそれが当たり前のような顔をしていたのだと思うし、今もしていると思う。

 段々と歓迎ムードは収束していき、何もしない二十歳の男がだらだらとした生活を送っている、ということにスポットが当たり始め、別の居心地の悪さを感じるようになってきた。したことはないけど、ホームステイのようだと思った。映画やドラマは夜にならないと観たくならないし、好きなラジオは深夜から朝にかけて放送されている。次の日に授業も遊ぶ予定もないため、ストッパーが作動せず、いくらでも起きてしまっている。その反動でどうしようもなく昼まで眠ってしまうのだ。一度このサイクルに入ってしまうと抜け出すのは容易ではなく、授業が始まらない限りはこのままだろう。そんな僕を見る家族の目が、普段は何も言わないが冷たく感じる。

 家の周りには何もなく、最近車の免許を取ったとはいえ行きたい場所もない。ただ、インスタグラムを覗くと、旅行やらご飯やらに出かけているのが目に入り、とてつもない孤独感と疎外感を味わう。その分、当て付けのように画面の中か本の中、音の中に助けを求めるようにすがるのである。

 僕ももう大人になったので、そんな冷たい目をしながらも実家にいる方が家族も嬉しいのかな、なんて考えたりする。都合の良いように、でもそれが真実であると考えることができてしまう。そんな甘えた考えを持った矢先に、僕の領域を家族に侵入されてしまい、むきになって反論して、同じ家の中で負の気持ちを持ったまま顔を合わせなくてはいけないというストレスを感じることもある。一人暮らしに戻ったら戻ったで、人の温もりを求めるくせに、一人暮らしの時の自由さ、楽さ、プライベートが守られている感じを今は心から求めてしまっている。

 今は、しばらく一人になりたい。一人になったら、今のところは親の力を借りないと暮らしてはいけない。いくら年齢だけが大人になろうとも、まだまだ子どものままであることを痛感せざるを得ない。

 親も決して若くはないので、態度でも言葉でも伝えていかないといけない。でも、未だにどうも恥ずかしくなってしまう。

 心では思っている、なんて通用しないけど、心では思っています。直接的だと恥ずかしいので、これで。ルンルンな感じで、急に部屋には入ってこないでね。


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