#51 湿度

 父親から特に連絡は来ない。母親からは、それこそ最近は頻繁に連絡を取り合っているが、まだどうしても突然電話が来ると、身構えて、何かあったのではないかと考えてしまう。

 母も父も、もう若くはない。


 先月には母の日が、今月には父の日があった。小学5年生の時、友人何名かと近くのホームセンターに行き、母のために花を買った。おそらく僕を含めみんなが、「母の日には何かしたいけど、一人では恥ずかしい」と思っていただろう。みんなですればちゃんと「イベント」のようになるし、誰々がやろうと言い始めたと、心の中で、人のせいにすることもできる。

 照れ臭いけど、みんな感謝の気持ちは持っているし、何かしたい、という優しさも持っている。ただそこで、何もしないで終わるか、恥ずかしくても何かするか、では大きな違いがある。嬉しくない親はいないだろう。決めつけるのは良くないか。


 わざわざ言うことでもないし、見てもらうことでもないので特にツイートはしなかったが、今更になって、ちゃんと、初めて、母の日と父の日に贈り物をした。

 母には、母がよく好んで飲んでいるコーヒー店のコーヒー豆とシフォンケーキを。父には、父が好きな魚の詰め合わせを。それぞれ僕と妹が選び、贈った。値段も大体同じくらいにした。

 僕も妹も地元にはいないので、ネットで贈ったのだが、かえって「直接渡せない」という環境にいるのは好都合だったように思う。でなければ、渡していなかったかもしれない。

 妹には、何か渡そうと僕から声をかけた。僕だけが抜け駆けして渡しても意味がない。「子どもたちから」というのが大事なのである。

 母も父も、もう若くない。

 僕と妹とで、イベントの力を借りてでも、何か出来ることをしていかないといけないのだ。


 分かってはいたことだが、母も父も喜んでくれた。直接渡していたら、泣いていたんじゃないかとも考えられるようなメッセージが来た。良かった。贈って、良かった。母からは絵文字混じりの砕けたメッセージだったが、父からは真顔で涙を溜めている様子が浮かぶような、堅くて、真っ直ぐなメッセージが来た。これも想像。でも、良かった。



 同級生の母親が亡くなった、と母から突然連絡が来た。既読をつける前に1時間、既読をつけてから1時間悩み、ただ「そうなんだ…」とだけ返した。何と返事をすればいいのか、全く分からなかった。

 病気だったのか、事故だったのか、年齢によるものだったのか、聞いてはいないけど、少なくとも僕の両親もそのステージにいることは確かだった。いつ、そうなっても決しておかしくはない。不安だ。怖い。僕と妹の名前で香典を渡してもらった。


 1年くらい前、高校の友人3人とご飯を食べに行った。予約してあった居酒屋の席に座り、酒を呑み、肉を食べながら、くだらない話をした。

 2軒目に移動し、また酒を呑み、肉を食べながら、今度は各々、自分の家庭の話が始まった。

「両親が離婚することになった」

「弟が自殺をしようとして、そこから家族がおかしくなった」

「俺が大学を卒業したら親は別れるらしい」

 誰か1人の話ではない。友人3人が、それぞれ言った言葉だ。赤い顔。口の周りについたマヨネーズ。サラリーマンの大きな笑い声。目も耳も光を失ったように、真っ暗になった。

 これは地方出身者の感覚的な話になるが、僕の周りでは基本的に小学校、中学校は家から1番近い所に、高校になってやっと受験をするというのが一般的だった。高校までは家庭の事情を抱えている人が可視化されていた。でも、なんとなく、本当になんとなく、高校からはそういうものが、家庭の問題が、ないように勝手に思っていた。きっと私立の高校に行っていたらもっとそういう感覚を持っていたんじゃないかと思う。

 高校生の僕は分からなかったが、卒業して、何年か経ってから、色々なことを抱えながら、幸せなことや不安なことに毎日浸されながら生きていたんだなと知った。受験とか学力とかの問題ではなく、これはきっと「高校生」という大人になったから、みんな隠すのが上手になっただけなんだと気づいた。

 そして、それらは、アルコールという安い液体を何杯か腹に入れるだけで、どうしようもなくなって、身体の外に漏れてしまうものだった。

 

 話しながら、みんなの顔は笑っていた。無理矢理に、笑っていた。心に触らずとも、今にでも泣きそうなことは容易に分かった。泣かなくても、泣きたいような心をしていた。それらの話になる前に日常の(小さな)不安を聞いてもらっていた僕は、

「じゃあ、俺は幸せな方だね」

という最低なことを言ってしまった。「そうだぞ!」「まあな」と反応をしてくれたが、口に出した時からこの言葉ではなかったと不安になった僕(こんな時も自分の心配をしていた)は、それ以降何を話したのかあまり覚えていない。アルコールのせいでもあっただろう。みんな、優しい。

 その時に何と返せば良かったのか、返さない方が良かったのか、たまに寝る前に考えることがある。そうして何度も眠りについたが、未だに分かっていない。


 僕たちが東京にいる今。母や父や家族や友人は、何を思っているのだろうか。どんな湿度の中で、懸命に生きているのだろうか。親しい人がバラバラになった時、本当に死んだ時、こうして文章にして、書くことが果たしてできるだろうか。きっと僕は書くだろう。僕の中に存在する言葉と考えを漁り続けながら、必死に書くだろう。

 暑くて、ジメジメして、なんだか今日も寝苦しい。

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