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しっかりしてれば良いという訳でもない

こんばんは!
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今日はこんなタイトルにしてみました!
幼い頃から大人の周りに囲まれて育った僕は、歳を重ねるごとに「ほんとしっかりしてるね」と褒めていただける機会が増えました。
当然個人的にはしっかり者とは思いませんが😇
周りの10代・20代に比べて少し大人しいだけであって、その他に関することはなんら変わりません。
まだまだ未熟な若僧です(笑)
ある日にこんな風に思うことがありました。
「しっかりしている」というのが良いことで、正しいことなのか?

しっかりしているから偉い

これは少し違うんじゃね?
そもそも他人と比べるのがナンセンス。
どんな状況であれ、その時々で適切な対応を取れるのがベストだと思います。
そもそも皆さんが考える「しっかり者」という定義はなんでしょうか?
僕自身、これについて明確な定義を定められていません。
だから言葉にもなるべく出さないようにしていますし、冒頭で書いたように褒められても素直に喜べないのです。



しっかりするという事は、時に自分を制御する必要がある


こんなエピソードがありました。
ある日に、友達とその仲間の方々で食事をする機会がありました。
いわゆる宅飲みです🍺
飲みも進み、3時間くらい経過したところで皆のテンションも絶好調。
僕も程々に飲んで食事や会話を楽しんでいましたが...
ここで誰かが自我を保っていなければ、近所迷惑になって家主に迷惑がかかるかも知れないし、終電を逃せば明日の予定に間に合わなくなってしまう。
けどこのメンバーで集まって楽しめるのも今日しか無い。

結果としては、そこからハメを外すこともなく、皆が楽しんでいる様子を客観的に見て楽しんで終わることになりました。
それ以来、あの日の面子が集まることもありませんでした。
正直後悔しました。なんで自分もあの輪に入らなかったんだ、せっかくの一期一会が台無しだ。
皆がこう思ったことでしょう。
「アイツはなかなかつれないなあ」と。

これがもし仮に仕事関係の飲みの場で、そこから大きなチャンスをゲットできるような機会だったとしたら...
きっとその絶好のチャンスを逃していたでしょうね。

決してしっかりしている、というのを悪く言っている訳ではありません。
大半の場において空気を読んで行動するというのは高度な技術であり、それは賞賛されるべきことです。
ただ僕はあの日を境に、全ての状況で当てはまる訳ではないんだなあと新たに学ぶこととなりました。

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