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『君と宇宙を歩くために』1巻

面白かった!
宇野くんは(小林も?)明らかに発達障害だと思うので最初は「作中でそれに触れないのはいいのかな?」と思ってたんだけど、よくよく考えれば実際に高校生活を過ごしている時はクラスメイトの病気だったり抱えている色んな要素だったりの名前や知識を知っていようが知らなかろうが、結局は「そういう奴」として付き合っていくのが普通なわけで。実際の自分の学生時代とかを思い返しても逆にこの距離感がメチャクチャリアルなんだなと納得した。
宇野くんがどういう奴かに関してちゃんと一貫して「小林の視点」からわかる事だけに絞ってあって、見て、接して、わかることしかわからない。でもその中で(あえて悪い言い方をするけど)「バカなりに」ちゃんと考えて、「こうであるべきだろう」と一歩一歩近づいていく様はすごくリアルだと思ったし、心の底からこのふたりのキャラクターに「お前ら幸せに楽しく青春を過ごしてくれ」と思えた。いい漫画だぁねえ。

ひとつだけ気になったのは、年代と場所がわからんって部分で。
今のヤンキーって、ゲーセンにたまるのか? しかも明らかに格ゲーぽい筐体がずらっと並んでるあの店の感じはだいぶ古く感じてしまった。ただバイト先の店とかカラオケ屋の外観とか見ると都会というより郊外が舞台なのかね。
ずっと東京住みでおじさんになっちまった自分には「現代のリアル」がどういうものかわかんなくなっちゃったんだなぁーとかも思ったり。

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【自分の話】
作中で一番グッときたシーンは、見開きの「ひとりに慣れるってどんな感じ?」のページだったんだけど、孤独ってなんだろうとぼーっと考えてしまう。
エスカレーター式の中学1年生の春に友達作りに失敗し、そこから一留して大学卒業するまで、3年3年5年間だから11年間「学校の友達」はいなかった。
それでいいんだと思ってみたり、むしろ自分が望んだんだと思い込んでみたり、もう慣れちゃったよとか言い聞かせてみたり。
でも40歳超えて死ぬほど「寂しい」が襲ってきてる。
結局「寂しい」から逃げきる事は無理でした。失敗。
若者と呼ばれる10代20代を机に突っ伏すように早く過ぎろ早く過ぎろと念じるようにスルーして、若者の時代が通りすぎたから「よっしゃこのままいける」と思ってたら中年になって捕まった。
本当に「ひとりでもオーケー」な人もいるんだろうけど、少なくとも自分は違った。「ひとりでもオーケー」なふりをしているだけだった。
シンプルに「孤独」に向いてる人間じゃあなかった。
きっついなあ。しんどいなあ。

なんでこんなん考えてるかというと、ちょうど今日カウンセリングがあってそこで同じような話になったとこだったので。
口では「誰でもいいから友達になりたい」と言っているけどお前は選んでいるだろうと。選んだっていい。ただ「どういう人がいいのか」を明確にしない限り見つかる筈もないと。
そりゃそうだ。
俺は見たもの読んだものの感想が似てる人がいい。同じじゃなくてもいいけど「感想の言い方」や「感想のテンション」似てる人がいい。そういう友達がほしい。
そういう友達と見たり読んだりした面白いものの話をしたり、知らない面白いものを教えてほしい。
今更だけど「ひとりに慣れることはないっす」と、20年以上経って改めて思う。
「孤独」はある日突然後ろからぶん殴ってくるから注意しよう。

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