見出し画像

「哀れなるものたち」を見た

哀れなるものたちを見ました。

面白かったし見て良かったという感じ。

ネタバレあります。

舞台は19世紀のイギリス。天才科学者バクスターはお腹に子供を宿した状態の遺体を発見し、胎児の脳を遺体に移植させて蘇生させる。体はおとな、頭脳はこどもの逆コナン女性ベラはバクスターの館の中で少しずつ知識を獲得するにつれて世界を知りたくなり、大陸横断の旅に出る。そこで起きた様々な経験から大きく成長を遂げていく。

館の中という閉ざされた空間から一転、旅では社会の一員として過ごすことを求められる。社会性が身についていないベラは遠慮を知らず、思うがままに行動していく中で多くのことを学習した。食欲や性欲、哲学、ジョーク。貧困層の存在を知り、道徳と資本主義の合間で揺さぶられた。終盤では、蘇生前に婚約していた男と出会うが、その男の暴力的な態度を前にベラは屈しない。蘇生前はこの男が原因で死の道を選んだわけだが、多くの経験からこの男に屈するくらいなら死んだほうがマシという態度を取ることができている。男を負傷させ、逃げ出すことに成功させたベラは男をバクスターの館へ連れていく(バクスターは寿命で死亡)。そこで男の脳に動物(アヒルがヤギか羊かなんだったか忘れた)の脳をぶちこみ、バクスターの館で理想郷を作ってエンドみたいな結末。

面白かったけど、ラストには疑問も残った。男の結末は痛快なストーリーであると同時に、様々な知識や社会性を得た結果がこれかとなった。ベラは何人もの哀れな男たちと出会うけど、最終的に自由を手にして取った選択がある意味ではベラ自身も哀れな人の一員というか。

こう感じてしまうのはベラや当時も今も女性が受けてきた仕打ちに対する理解が足りてないのかもしれないし、性差で捉えず人としてどうかの物差しでしか見ていないのかもしれないとも思う。性差で捉えずって書けるほど男女平等で生きてきたのかと考えるとできた自信はないけど。生きてきて男女差別していないなんて断言することはできない。こういうのって無自覚に傷つけてしまっている事例ばっかりだろうし。実際、映画に出てきた男たちもそう。

人のこと(映画のこと)だから人としての良し悪しだけで判断できるけれど、モヤモヤはあると同時に自分が女性(ベラ)だったらで考えるとさらに頭を悩ませる。上のような「ベラ自身も哀れな人の一員というか」があまりにも配慮の足りないコメントになり得るなとも思う。

そういうことを考えると訳が分からなくなった。何事も自分だったらで考えるというか、この視点を持って考えてみると、世の中の多くのことは社会を前に多くの葛藤や現実の前に結論の出ないことばかりだし、発言していいのだろうかと思ってしまう。結論は出なくても、様々な可能性を考慮したり、考えたりすることは知を増やし続けることでできること。そういった意味では、ベラが旅で出会った老婆から知の大切さを学んだように、私も学び続けなければいけないと思った。

見て良かった。サントラ最高だった。おしまい。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?