生きる上で一番大切なのは“継続力”な気がした。皆さんはどう思いますか?
大きな成果をあげる人の特徴は何か。
それは努力することを“継続”すること。
なぜ高校受験・大学受験を乗り越えられたのか。
それは、毎日“継続”して勉強、毎日英単語・古文単語の勉強をしたから(今は忘れたけど)。
なぜ私(筆者)は1本も虫歯がないのか。
それは、毎日“継続”して丁寧に歯磨きをしているから。
人間がなぜ生き続けられるのか。
それは呼吸を“継続”しているから。
全ての要因がこれとは言わないが、最低限の共通項であると思う。
社会人1年目まもなく終了。できるようになったこと。
大学卒業▶︎社会人1年目
と大きな節目を迎えた昨年(2023年)4月以降意識したこともあり、できるようになったことが増えた。
1,毎朝定刻に起き、仕事のON、OFFをはっきり分けられる最強の体内時計が備わった。
「え、その程度?」と思うかもしれないが、学生の頃はバー兼コミュニティースペースの店長も勤めていたため、夜寝る時間が遅い日は26時だったりした影響で、起床時間がバラバラになることが多々あった。
体内時計の構築は生活リズムや仕事をルーティーン化させる上で重要だと分かっていたため、社会人になってからはどうにかしないとという思いで継続して身につけた。
仕事のON、OFFも良くも悪くも激しい。
日中は頭をフル回転させ、次から次へと降ってくる仕事をこなす。休む暇はない。
就寝時間になって横になる頃には倒れるようにベットへ。
そして翌朝、また仕事へ。
睡眠の質も良好で、目覚めが悪いなんてことは少ない。
体内時計が備わったおかげだ。
2,分からないことは上司に聞く習慣が身につき、あらゆる分野の知識が膨大に増えた。
新卒社員は、短期的に見れば会社にとってお荷物。
少しでも早く会社のために貢献できるようにならないといけない。という気持ちが働いていたのか、分からないことはすぐに聞くことを意識した。
先輩社員と車で同行することも多かった。
大体の人とは話は弾むものの、そうでない場合もあった。
その際は、その人が話すことが嫌いと分かるまでは、とりあえず何かしら聞き続けた。
社内のことなのでここでは公に書けないが、学生の頃の自分の視野の狭さと無知さを痛感し、少々落ち込んでいた時期もあるくらいだ。
それほど、この1年間で得た知識量が多かった。
3,自分が成果を出せる適切な環境を選べるようになった。
学生の頃、自分が成果を出せる環境選びには散々悩んだ。
自分がこの組織で成果を残せないのはなぜだろう。
自分のせい?上司のせい?環境のせい?
それぞれ理由は違ったが、学生に頃に多くの経験をしたからこそ、社会人になって自分が成果を残しやすい環境を無意識的に選べる(自然にそこへ身を置ける)ようになった。
できるようになったことは多いが、パッとしない1年でもあった。
学生の頃に比べて、できるようになったことは多い。しかし、何かパッとしない1年でもあった。大きな成果も伝説も、特に残していない。
何が原因なのだろう。
マインドが足りない?
知識不足だから?
思考が足りない?
etc…
原因は様々だと思うが、共通項を見つけた。
“継続力”
である。
会社の理念を体と思考に浸透させようと、経営方針書を入社直後に毎朝読んでいたが、3ヶ月目のとある日から読まなくなった。
ビジネスマンは知識量勝負だからと、日経新聞・日刊工業新聞・北日本新聞の3誌を毎日読むことを習慣としていたが、それも夏頃から日経新聞のみになった。
趣味であるフルマラソンは継続することがいつか仕事への成果にもつながると信じて毎日走ろうと試みたが、結局気まぐれでしか走っていない。
etc…
結論、全て中途半端だった。
中途半端が良い分けない。仕事には優先順位が付き物だとよく言うが、中途半端な作業や取り組みをいかに減らし、本当に何が必要なのかを考えて、それを継続することは非常に重要だと今改めて思う。
「学生」「社会人1年目」という免罪符はもう使えない。
大学の4年間は“学生”という免罪符を使って、いろいろチャレンジして、
いろいろ失敗できた。
今年も“社会人1年目”という免罪符のおかげで、大きな成果をあげなくても、失敗しても、無能でも許された。
しかし、この春からは「社会人2年目」。1年目と2年目は響きが全く違う。期待のされ方も違う。
何をやっても許させる身分から少しずつ遠のかなければいけないのにも関わらず、その準備が追いついていない。
その解決策の革新を突くのが、継続力だと今の私は結論づけた。
さあ、まずは今の気持ちを発信し続けて、自分自身の内省をし続けることから、やっていこう。
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