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英国の臨床心理士との往復書簡〜U理論の「変容」を心理学的に言うと

イギリスに留学している臨床心理カウンセラーのHさんとの、長い往復書簡のようなやり取りが、とても楽しいです。彼は、高田純次ばりの適当コミカル芸と、算名学の占いで、合コンに一緒に行っては、Hワールドを楽しんだ仲なのですが、不思議と真面目な話も気が合うんです。

そんな彼が、イギリスの王立の一流カウンセラー養成機関で留学をされるということで、メッセージでは有りますが、やり取りを始めてて面白いな、と思ったことを備忘録代わりにメモ。前提として彼はフロイトの精神分析学派の臨床心理士です。

1.手放すことで、自分の源と繋がり、自己の変容が起こるということ

以下は、MITのオットーシャーマー先生が書いたU理論の邦訳なのですが、自己の変容、「人間のイノベーション」を語るU理論で大事な点は、自己の思い込みや執着を手放した時、自分の心の中にあるエネルギーの源に触れることができ、自然と自分の周りが変化していく、ということを書いています。

U理論の言葉遣いはまた独特なので、生活の言葉に置き換えると「自分が囚われていた偏見に気付いたとき、自分が心から求めていた内発的動機に気付き、それに素直になることで、自然にやるべきことが降りてきた」というような感じでしょうか。

ここでいつも感じるのは、「手放す」とか「思い込みを壊す」ような作業って実際どうやったら出来るの?ということ。よく、ラーニングジャーニーと言って、自分とは全然違う生活に触れ、共感することで、自分の見てた世界の狭さを知る、なんてやり方をするし、それは、僕が本業にしているエスノグラフィー調査と同じようなやり方なんだけど、それが「必ず思い込みを手放す」こととイコールかと言えばそれもわからない。そこで、「手放す」ということについて、臨床心理士の視点から聞いてみたいと思って書いてみました。

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2.「抱えられる」、「抱えること」によって、「手放せるようになる」

このボールに対するHさんの言葉はとても深い物でした。

臨床心理士Hさん:「U 理論はものすごい深い作業ですね。印象として、前半の方はキューブラーロス「死ぬ瞬間」を連想させるものですが(参照リンク)、プレゼンシングは、ユング派の集合的無意識の知見を取り入れている印象を持ちました。
まず前提として、手放し、大いなるものに委ねるというのは時に人間にとって難しように思います。

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精神分析では「抱える」ということが非常に大事なことの一つなのですが、これは赤ちゃんがお母さんに身体的に情緒的に抱えられて育つことを体験することによって、そしてその後もそういったプロセスを繰り返すことで、相手を信頼して委ねることが無意識意識的にできるようになる部分ができると
言われます。

しかし人間は十分にそういう体験ができないこともほぼ必ず体験しますので、それで傷ついたり、ゆだねるのが怖くなる部分も持ちます。

一方、人間は自分という確固とした存在があると思おうとする一面と一方で集団や誰かと一つとなりたい(象徴的には母親との一体感)という両方の気持ちが起こりうると言われます。

しかし、確固とした自分は疎外感を感じることにもつながり、また集団(母親)と一つになると飲み込まれて自分がなくなってしまう恐怖を片方では感じるとも言われるので、自分を手放して委ねようとすることは時に死と同じような怖さでもあるかもしれないなとも思います。また確固とした自分であるということ、誰かや集団と溶け合おうとすることの繰り返しは象徴的な意味でのセックスで、そこから子どもが生まれて、この子どもというのがクリエイティビティ―であると言われます。」

佐宗:なるほど、人間は元々自立と、集団への同化という矛盾した二つのことを交互に求めたい生き物で、それは、「生」と、「死」のようなもの。そして、その二つの矛盾を人生の仲で繰り返しながら、結果として生まれる物がクリエイティビティなのですね。

臨床心理士Hさん:「死への恐怖を、様々な人の愛によって「精神的、肉体的に抱かれる」ことで手放し、結果として、新たな内面の自己を作っていくこと」がクリエイティビティなのかもしれないなと思いました。

佐宗:確かに、そう思えば、ホリエモンは著書の中で死への恐怖が起業に繋がっているようなことを書いているし、創造性は生命エネルギー、気のようなものだと言ったりします。もしかしたら、創造性というのは論理性と並列に並ぶような物ではなく、生きることという営みそのものなのかもしれないなと思いました。

3.では、日常で「抱かれる」を実戦するためには

佐宗: U理論のプレゼンシングでも、集団に身を任せる、みたいな手法を使うのですが、赤ん坊が母親に抱かれる、というのがその一番シンボリックな形なのですね。日常で抱かれるという体験をビジネスにしているのがコーチングですよね。また、あらゆる宗教とか、スピリチュアルもそうですよね。

では、このような体験を小さくてもいいから日々相互に起こしやすくするためにはどういうことが出来るか?なんてのは実務家の世界だととても気になるポイントだったりします。Appreciative InquiryとかSystem coachingのように集団やチームの中で相互にそういう受け止める、ということを起こしやすくするような技術も最近は発達してきています。どうやったら日常でそういうことを実戦しやすくなるのでしょうか?

臨床心理士Hさん:「行動として出来ることと、内的体験を探るという両面があるように思ったりしました。

行動として出来ることで言うと、アメリカでは一人が背中から倒れこみ、後ろで数人がそれを抱える体験をさせることで自分が支えられると実感するようにしてたりするのを見たことがありましたね。自分を投げ出している、自分をさらけ出している状態とそれをなんらかの愛情を持って受けとめるということがキーになるような感じがします。

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内的体験を探ることで言うと、生きてること自体、抱えられているということであると思ってます。そして、過去に抱えられた体験がない人は死んでいると思っています。我々の業界では患者さんが自殺することがありますが、そういう方の場合はどうしてもそういう体験が非常に希薄だったりすることが多いと思います。

僕は、時々自分が死んでいることを想像して、それと何が今違うのかと考えたりします。現在出来ていることがどれだけあるのか、を知ることで支えられているなと考えたりします。

そういう話から行くと、自分がいかに親から支えられてきたかを瞑想で気付く内観とかが近いんでしょうかね。それと別の人から、人はスピリチュアルな支えがないと死ぬともいわれ、日々呼吸して生きていること自体、何かに支えられていると言われました。 そういう状況へ目を向けるということ」

佐宗: 最近はマインドフルネスというキーワードが出てきていますが、その中でCompassion(慈悲)という考え方が重要だと言われています。マインドフルネスでは瞑想をするのですが、その際に、慈悲を感じる瞑想というのがあって、「自分が周囲の人からいかに多くの物をもらっているか」を思い出す瞑想があります。日々感謝を書き出す、というような習慣も、同じように日々自分がいかに抱えられているかを実感することで幸せ感を感じることが出来ますが、幸せ感を感じるだけではなくて、自己を変革しやすい、レジリエントな状態にしていくということに繋がるのかもしれないですね。

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