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「おじさん」とわたしの話。

「ねえ、そのお金何に使うの?」
そういうおじさんが嫌いだった。
「はい、お小遣い。これで少しでも女を磨くんだよ。」
そう言われると罪悪感しかわかなかった。

シャワーを浴びている少しの間、その人はさり気なくどこかに「お小遣い」を置いておいてくれる。
その温かさとかちょっとした心遣いがオトナだと思ったし、20そこそこのガキなわたしを1人の女性としてきちんと尊重してくれているんだと思った。
素敵だと思ったしずっとその腕に居たいような気もしたし、わたしは何よりそのおじさんの穏やかな優しい笑顔を見ているのが好きだった。

「もうすぐ誕生日だね、何が欲しい?」
3度目に会った時おじさんは不意にそんなことを言った。
わたしには「お小遣い」だけで充分だったから
「いらないよ、気にしないで。」
そう答えた。
「バッグとかどうかな。ブランド物ってあんまり持ってないでしょ?きっと似合うよ!」
それでもおじさんは乗り気だった。
わたしと同じ誕生日のその人は「今度お祝いしよう!」そう言って遠い県へ帰って行った。
どうしようと思った。
わたしにはおじさんに祝ってもらうほど価値はないと思ったし、おじさんにも何かプレゼントを考えられるほどわたしは気の利いた女じゃなかった。

日本中を飛び回るお仕事の合間におじさんは「〇〇ホテル予約したよ」とか「バッグには名前刻印してもらうよ」とか嬉しそうにメールをくれた。
正直、なんでそんなにしてくれるんだろうと思った。
赤の他人だし、ただ出会って体を重ねるだけの関係。
見返りはある程度もらってる。
わたしにそんな資格はない。

追い詰められた気分だった。

否応なしに誕生日当日はやって来た。
おじさんは仕事で都内にいて終わり次第こちらに来ると言っていた。
わたしは断れもせず思いも伝えないまま当日を迎え、「ケーキ買うから食べに来れば?」と素っ気ないメールをくれた当時の彼氏の部屋でぼーっとすることを選んだ。

メールも電話もそっと「拒否設定」を登録して。

あの時わたしの思いを素直に打ち明けていたら、おじさんはどんな「応え」をくれたんだろう。
価値のない自分、自分が好きになれない自分、どこにいても居場所がないと感じる自分。
その思いを誰に言うわけでもなく内包し、毎日暗く重い体でただ大学生活を送っていた。
あの穏やかで朗らかな顔は曇っただろうか。
「甘えてるんじゃない」と叱責しただろうか。
心底嫌悪されただろうか。
それとも、そんなわたしも含めて包み込んでくれただろうか。

今でも時折思い出すのは、おじさんの温かい瞳の奥だ。
自営業で全てを1から立ち上げ、忙殺される勢いの仕事といつも向き合っていただろう、おじさん。
その「苦労」は微塵も見えず、その姿はいつもしゃんとしていて美しかった。

わたしと同じ干支、24も違うおじさんは今でもわたしの知るオトナの中でもピカイチに輝いている。

あれから20年近く経ってもわたしは結局しぶとく生きているし、絶対ならないと思っていた人の親にもなったし、相変わらず上手く自分を肯定することも出来ていない。
今の生活はささやかだけどとても幸せだ。
それでも、時々思い出すことがある。

あの日に戻れるなら、わたしはきちんと逃げずにおじさんの待つ席へ行けるだろうか。
どんな目に合おうともおじさんに心の内を打ち明けられるだろうか。

でも、そんなことは無いと分かりきっている。
戻ったところできっと、同じループだ。

いつかの想いをきちんと葬ってあげたいと思う。
無念な思いも戸惑いも希死念慮も全て。
ありがとうと言えなかったおじさんにきちんとお礼を伝えてさよならしたい。
ごめんなさいも隅っこに添えて。

死のうとしたって死ねなかった。
人って案外、丈夫に出来ている。
懲りた。

おじさんだったら「またワガママ言って」と笑ってくれただろうか。
わたしの中のおじさんはもう顔も真っ黒で、どんな声だったかも思い出せないけど。

わたしはこんなだけどまだ、生きています。
少なからず貴方のおかげで。
出会ってくれて、少しでも大切にしてくれてありがとうございました。
わたしは今、幸せです。
貴方もきっとそうでありますように。

極めて身勝手だと思ったら少し笑えた。

そうだ、生きてみよう。
今日は何となくそう思える。
無責任に、本当に無責任に。

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