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弟くんの話。

かつて、弟分がいた。

彼と知り合ったのはひょんなことからだ。
気づいたら「弟くん」、「ねーちゃん」と呼び合うようになっていた。

当時彼は高校を出たての専門学生で、面白いデザインのジュエリーを沢山作っていた。
わたしはというと、世間では「お嬢様学校」と呼ばれる大学の3年生だった。

彼には妹ちゃんがいると聞いていたけど、まるで末っ子のようにとても甘えん坊で頼り上手だった。
わたしも実の弟がいる手前分かり合える部分が多かったし、とにかく一緒にいるのがとても楽、そんな彼が気に入っていた。

よく寂しい夜に呼び出しては、一緒にご飯を食べた。
色んな場所にも遊びに行った。

「ねーちゃん、俺ピアス空けたい!」そう言われた時はピアッサーを持ってすぐに駆けつけた。
当時わたしの両耳やへそには合計で10を越えるピアスホールがあり、ピアスに関する知識は誰にも負けないと思っていた。
(もちろん、学校では浮いていたけど。)

とにかく、頼られるのが嬉しかった。

ある時、眠れないと連絡が来た。
終電ギリギリだったけど、駅へ急いだ。
彼の住む狭い1Kアパートは電車で20分ほどのところにあり、古いながらも彼のセンスに満ちて洒落ていた。
「昭和と弟くんのコラボだね。」
そう感心すると、彼は鼻をこすりながら「えへへ」と笑った。

なんとなく買ったスパークリングワインを、2人で飲んだ。
「ねーちゃん、眠くなってきた。」
そう言って、彼が両腕を伸ばす。
わたしはそれをよいしょと肩にかける。
少し体温の上がった彼をゆっくり抱きしめ、「眠れそう?」そうつぶやくと、彼はやわらかに言った。
「うん。でももうちょっとだけこうしてて。」
わたしの腕の中で丸くなるその男の子はとても可愛くいとおしくて、「守らなきゃ」そんな風に思っていた。

どうしてだろう。

後にも先にも、彼と抱き合ったのはその夜だけだった。
キスも、その先も何もしていない。
他の人とならただ何となく寝ていたと思う。
求められるまま、何も考えずに。
ただ言えたのは、そういう感情ではないということだった。
ただただ温かい時間。
そうしてそこに居るだけでよかった。
その後もわたしたちは買い物にもお茶にもカラオケにも行ったし、素敵なBARや土手から見える最高の夕暮れなんかも発掘した。
お互い彼氏も彼女も居たし、別れた日もまた一緒に過ごそうとしたし、なんなら弟くんは泣いていた。

今になって、なんとなくわかる気がする。
そういう「時」だけが欲しかったんだと。

何人も異性を過ぎ、気づけばわたしには新しい家族がいる。
子供も産んでみたし、何より夫は極上に優しい。

風の噂で、弟くんはお母さんの喫茶店を継いでいると聞いた。
彼もまた幸せらしい。

いつしか会うことも無くなり疎遠になったけれど、未だにあの日教わったRADやセカオワみたいな音楽を耳にする度、思い出す。
くぐもった日々の一頁、あの夜明けのときを。
愛しくて温かい時の流れを。

あの子もまた、思い出すのだろうか。

今日の想いにありがとうとそっと伝えて眠る。
その瞬間、わたしは愛しくて温かかったあの日をそっと纏うのだ。

どれだけ時が流れ過ぎても事実は風化しない。
わたしたちのいつかは、永遠なのだから。

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