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日記 1月5日

1月5日
昨晩寝た時間 :24時15分
今日起きた時間:06時25分

今日から仕事始め。無事に朝起きられてほっとした。最近は妻や子供を僕の起床時間に起こしてしまうのは忍びないので、目覚まし時計ではなくスマートウォッチのバイブレーションで起きることにしている。しかしこれがたまに動かなくて、寝坊したりすることもあって、困るときがあるが、今日は無事に起きることができた。顔を洗い、身支度を整え、朝ご飯はバナナとサプリメントとホットミルクだった。気温が温かいときはフルグラを食べるが、こうも寒くなると朝一番の冷えた牛乳は体に堪えるので、バナナしか食べない。もしくは遅刻間際で起きてしまったときは、職場でカロリーメイトを食べている。あまり良い食生活ではない気がするが、今のところ健康状態には問題はない。ただ、35歳を過ぎたあたりから寒さに弱くなってきている気がする。今日の朝も上下ヒートテックで、セーターを着て、ダウンコートを着て出社したが、それでも寒い。そろそろ本格的に生姜湯とか飲もうかなと検討中。

電車に揺られながらNHKのアプリでニュースをチェックすると、土屋義生さんの記事が出ていた。この人の記事は植松聖氏の事件でも見ていて、僕自身この事件についてどういう考えを持てば分からなかったときに読んだこの記事に僕はとても心を動かされていた。正直に言えば、どうしても僕は、何といわれても非人間だと言われても、植松聖氏のことを100%否定することはできなかったからだ。例えば道で、駅で、電車のなかで、もしくは自分の調子があまり良くないときに、僕はそのような人に必ず寄り添うことができるか、と言われればそんなことはどう偽善者ぶったとしてもできないから。いつか、このことについてもっと真剣に書いてみようと思っている。そのためにもこの記事を読んだことを今日、ここに記しておく。

滝口悠生の本を読みながら、自分にとって小説とは何なのだろうかと改めて考えていた。最近小説が読めなくなっていた僕は、どうしても小説が読みたくて読もうとしたけどそれでもやっぱり読むとすぐに寝てしまって、たまたま出会えた滝口悠生の本はなぜか読むことができた。自分にとって小説とはなんなのだろうか、と改めて考えるきっかけになったのが、今日なぜかいきなりインタビュィーみたいなことを突然することになって、質問が思い浮かばなかったから、とてもありきたりな「あなたにとって大きな影響を与えた映画はなんですか」という質問を口走っていたことだった。インタビュワーはその質問には答えられなかったが、その時に僕は「僕だったら岩井俊二の作品って答えるんだろうな」と頭で反芻していて、それは世界の切り取り方の母型を僕に提示した気がしているからだった。カットの割り方とか、陽光とか、影の使われ方とか、音楽とか、自分の目が見ている世界の切り方、演出の仕方/され方みたいなものを僕は恐らく高校生の時に学校をさぼってレンタルビデオで見ていた岩井俊二の幾つかの作品にとても影響を受けていて、今思うに僕には離人感覚みたいなものが結構あって(うまく言えないが、風邪をひいているときに自分の体が自分の体じゃないような感覚)、それは自分の視点を岩井俊二的に切り取っているのだろうという様な気がしないでもない。とにかく、そんなことを通過して、帰りの電車で滝口悠生の本を読みながら、自分にとって小説とは何なのだろうかと改めて考えていた。僕は自分が変容し、変節するために小説を読んでいるのだと思う。それを通過することで、自分の世界の見方が変わってしまうもの、もしくはそこまでいかなくても添加されるもの。源流以外の流れを作り出すもの。今後、そういった小説に出会えるのだろうか、何を読んでいいのかすら分からないけど、とりあえず友人が薦めるジョイスには手を付けようと思っている。しかし、直ぐに寝てしまいそうで怖い。

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