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子供に「気合いだ!」とか「根性だ!」とかいう抽象的な声掛けをしないとしても(日記 3月13日(日))

昨日寝た時間 :24時45分
今日起きた時間: 7時15分

朝起きて、まだ頭が痛かったり、ワクチン注射した腕が痛いので、副反応がまだ治まっていない、ということなのだろう。少し朝からうんざりする。

朝ご飯は昨晩買っておいた食パンに、昨日の残りのペンネの卵サラダを乗せて、その上にチーズをかぶせてトースターで焼いて食べる。焦げ目がチーズを少しだけ侵略していて、そこがまた美味しい。子供達は、ジャムをつけたり、バターをつけたりして食べている。パンは便利。

今日はプリキュアがシステム障害によって編集トラブルがあったため、再放送になっていたらしい。そのあとの仮面ライダーリバイスはやっていた。
リバイスは、前回のセイバーと比べると世界が分かりやすく、キャラクターも書き分けがしっかりされていて、見てて苦痛にならないから見ている。セイバーは見ていて、何体仮面ライダーがいるのか分からないし、世界観も良く理解できず(理解しようとしていないので、あまり見ていなかったせいもあるが)、ほとんどみていなかった。9時半からはちょっとした打ち合わせをZOOMで行う。個人的には、土日に仕事をするのがとても嫌いで、不意に仕事関係の電話がかかってきただけで、気分は真っ暗になり、あとの日長な一日を落ち込んで過ごすこととなる。今日の打ち合わせは厳密には仕事ではないものの、やや仕事っぽいところもあり、やっぱり気分がどよーん、となる。

その後、長女と二人で自転車で図書館へ行く。街は春の様子で、観光客がそぞろ歩いている。コロナ禍とは思えない景色だ。僕が住んでいるところは観光業が税収としても、シンボルとしても非常に大切なので、少しずつ観光客が戻ってくることは嬉しいことだ。ただ、インバウンドの外国人環境客はまだまだ、そもそも外国人観光客の入国がまだまだなのだから、観光地としては依然として厳しいのが実態だ。

図書館で、予約していた「82年生まれ、キム・ジヨン」を借りてくる。フェミニズムの本を読んでいると、ほとんどの本でこの本が取り扱われているので、読まなければいけない気がして借りてきた。あとは、ビブリオ漫画文庫を借りてきた。娘は、漫画の描き方の本とか、なんだか色々借りていて、僕が「うる星やつら」があるよ、と言ったら読みたい、と言って借りてあげることにした。そろそろ長女も自分の図書カードを作らないと、親と一緒だと満足な冊数を借りられない状況になってきた。

昼食後、妻と長女は買い物にでかけ、二女はタブレットでYouTubeが見たいと愚図りだしたので渋々「長いの1つと短いの2つ」という視聴条件を付けて、了解する。実際にはタブレットでYouTubeを見せてしまう方が楽なんだけど、タブレットと目の距離が近いことと、直感的に操作できるし無限ループで見続けることに対して、僕は忌避感を持っている。

長男はその間、スイッチでポケモンの「シャイニングパール」をやるというのだが、四天王に行くダンジョンがクリアーできそうもないので、スマホで調べて欲しいと言ってくる。調べないとクリアーできないの?と聞くと、前回やったときはちょっと迷ってしまって、友人に聞いたらYouTubeで攻略方法を見ながらやったらできたから、見せて欲しいんだ、ということだった。

いやいや、と僕は思わず否定をしてしまう。子供向けのゲームなんだから、子供が進められるように作られているはずだし、まずは丁寧に考えて調べながら一個一個ダンジョンを進めてみようよ、いきなり攻略サイトとか見るのは考えるのを放棄していることだよ、と伝える。

長男は渋々自力でダンジョンを進めていく。隣で僕も見ていて、あやしそうなところとか、仕掛けがありそうなところ、パズル要素があるところなどを長男が進めるのが詰まったら助けてあげると、そんなに苦労することなく、ダンジョンを抜けて、四天王までたどり着けた。隣で見ていて、そんなに複雑なダンジョンに見えないのだが、長男には前回やったときは難しかったのだろう。しかし、隣で僕が「あそこ怪しそうだよ」「あの石押せそうだよ」とか言っていると、少しずつコツをつかんで一人でも進められるようになっていった。

小学2年生だからなのかは分からないけど、この程度のことも攻略サイトで調べないとクリアーできないと思ってしまう忍耐力の無さとか、諦めの早さとか、深く考えられないことに少し危機感を持ってしまう。

僕の親ならば、何かから少し逃げだしたいときには「気合いが足りない」とか「根性だせ」とかいう気がする。もしくは「やる気が足りない」とか、だ。ただ、そんなものは抽象的で意味がないので、僕ならばそういう言い方はしない。ただ、今回の長男の、深く考えたり、困難を直視せぬままに、直ぐに攻略サイトやYouTubeを頼ってゲームをクリアーしようとする姿勢に対しては、「考えて、やってみて、できなかったときに攻略サイトを見てみよう」とか、分かりやすい形で背中を押さなければならない。それは、本当は多くの場合が「諦めないでやること」ということなんだけど、それでもやっぱり抽象的なんだろうな、と今の子供たちを見ていて思う。やっぱり小学生でも答えは調べれば直ぐに現れるものだと思っていて、その調べることはスマホを使えば簡単にできると思っている節があるからだ。これから、苦労をしなくても、ある程度は何とでもなってしまうのだろう。

その後、集中できる環境ではなかったけど、レッズ対サガン鳥栖を照テレビで流しながら、長男とポケモンカードバトルをしたりする。またレッズは負ける。サガン鳥栖はハイプレスで、選手間の距離感が非常に良いサッカーをしていた。1勝1分4敗って、降格ペースなのではないだろうか。このスポーツというアイデンティティの代理闘争によって、僕の精神状態は少なくともレッズの負けた日は非常に悪い状況となるため、暫く見ない方が良い気がしている。自分で実際に行動できないものに代理闘争で自分を委ねることなど、けっして楽しくない気がする。

夕方、長女が「最近、運動をしていないから走りたい」というので、一緒に走りに行く。4キロを6分半程度のペースで走り、28分走り続けた。帰ってくる途中、幾つかの話をする。長女は小学校のどのグループにも所属していなくて、それがやや辛いということで、ただどのグループの会話もYouTubeやTik Tokのことばかりで、正直そんなことに時間は使いたくはないので、少し寂しいけど、そんなことに時間を潰すのはもったいない、ということだった。長女の学年に関して言えば、人数が少ないためか、集団化するために共通の話題作りを熱心にする感じで、固有の趣味よりも集団の趣味のなかで固有性を作っていくような気がする。同じプラットフォームから外れられない感じで、長女には悪いけどつくづく僕は今の小学生ではなくて良かったと思う。LINEとか僕の時になくて本当に良かったと心の底から思っている。僕が娘に言ったのは、とにかく自分が楽しいと思うことをしてね、ということだけだ。周りの目や世間体なんて迷惑かけていない限りは気にする必要はないのだよ、と。そうしないと、自分のことなんてますます分からなくなってしまう。

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