9.自然がおもてなし
土が豊かで、陶器や食に恵まれた伊賀の北部は、自然がおもてなしします。2023年4月18日、著者は、国道422号を通り、信楽の中心部から県境を越えて、伊賀市丸柱に入りました。左手を見ると、少し離れた丘の上にコバノミツバツツジが群生しています。思わず車を停めて、望遠レンズを向けます。「伊賀焼 陶 小島」の窯元の前だったので、2名の陶工が出てきて、「何を撮ってるのですか」と尋ねます。ツツジと聞いて驚かれました。全国を回っていると、こういう発見が、毎年あります。この年は急いでいたので記憶に留めて、翌2024年4月20日に、その丘のお宅を直接訪問しました。
「カネダイ陶器」という伊賀焼の窯元で、奥さんと娘さんに対応していただきました。ご主人は3年程前に亡くなられたとのことで、母娘でしっかりとご主人の後をついで、ろくろで鍋などをつくられていました。筆者は甲賀市ではないですが、旧甲賀郡に住んでいることを告げると、娘さんは「信楽窯業試験場に通って轆轤を学び、甲賀でお世話になりました」と。亡きご主人は、自然の土を使った仕事をしていて、その環境とともに焼き物があると考えて、常々「自然がおもてなし」と唱えられていたとのことです。そのおもてなしの一つの形として、母屋や窯元のある裏の丘のコバノミツバツツジの世話をされていました。
「女手だけでは裏の丘は手に負えずに荒れているので」と言われましたが、薮漕ぎが得意な筆者ですので、中に入らせていただき、ツツジを撮影しました。
戻ってきて、焼き物の記事を見せてもらい、「自然がおもてなし」の心を垣間見させていただきました。また、丘の後ろの土地は、このような静かな自然が感じられる場所を好んで、医者が住居を構えられたとのことです。お礼を言って外に出たときに、見送りがてら娘さんが「よく、キジが遊びにくるのです。おもてなしに」と。
伊賀と甲賀は、忍者とともに、琵琶湖ともつながっています。古代湖とされる琵琶湖は、400万年前に現在の伊賀上野あたりに生まれた後、北上して現在地に移りました。その途中の300万年前あたりに、現在の伊賀北部から滋賀県の甲賀南部に、まわりの花崗岩が風化して真砂土や粘土を堆積した、信楽焼、伊賀焼の良質の土となる古琵琶湖層をつくりました。甲賀から伊賀の、花崗岩の山と古琵琶湖層の岡や谷には、コバノミツバツツジが多く咲いています。
国道422号を2kmほどに進み、左手に入ると、懐石料理の「四季の里 まつもと」があります。こちらも、より以前の2021年4月12日のツツジ旅の道中で、素晴らしいコバノミツバツツジの庭に出会いました。広い駐車場でお弁当を売っていたので、買いました。ツツジのパンフレットを渡すと、懐石料理の店で、若奥さんとツツジ話が盛り上がりました。ドローンを取り出すとぜひ撮影を見たいと。若奥さんから、「ドローンの写真、店のホームページに使わせてもらえないですか。」と言われて、快諾です。
空撮が終わってSDカードを渡すと、ドローン撮影を見に来ていた板さんも含めて店の人全員が、パソコンで写真を見るために店に戻りました。そこに突然突風が吹き、テントの下で売られていたお弁当が飛び散ります。「大変ですよ~」と、店に駆け込みました。こんなハプニングもありましたが、私の空撮に満足いただき、店のホームページに写真を使っていただけました。
道路の反対側は、パター&グランドゴルフ場になっています。芝生の周りは、高さ10m以上のアカマツ、高さ4mものコバノミツバツツジ、根占のクマザサで、整えられています。著者の自宅や裏山にあるような手入れに時間を取られる葉が細いササ、コシダ、ウラジロなどの、薮をつくるじゃまな下草がありません。「手入れが大変なのでは。松枯れなどないですか。」とご主人に聴くと、「芝刈だけです。30年前に店を開いてから、ほとんど手入れをしてません。ただし、数年に一度は、松1本に対して、数千円する松枯れ防止の薬剤を4本ほど打つのに、金がかかります。」とのこと。他では見たことのない、簡素な野の趣があるコバノミツバツツジの庭を見つけました。
しばらくして、ツツジに見とれた夫婦が、車を止められました。ご主人は夫婦に「パターゴルフ場の中に入ってお休みなさい」と。夫婦は、芝生に入り、自分達のお弁当を広げて食べていたので、ここでもツツジ談義です。コバノミツバツツジが好きで、自宅の庭に植える若木がないかと探しにきたとのことです。
翌年は、娘夫婦と4人で連れだって、昼食に訪問しました。玄関に設えられた生け花、料理の敷紙、和紙照明、すべてコバノミツバツツジがおもてなしです。
白洲正子は、甲賀南部に、かくれ里を見出しています。花崗岩の低い山に囲まれて、古琵琶湖層の砂岩や泥岩の細長い谷が入り組む伊賀と甲賀の境は、悟られないように住まう忍者のかくれ里とともに、自然がおもてなしする里です。