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8/17 音楽 + ライブペイント ▶︎ 日常は予定調和ではないのです

2024年8月17日(土) JR野田駅からすぐのところにあるLive-art-bar MagaYuraにて開催されたイベント

LIVE×ART PERFORMANCE
[SUPER VIEW]

にNicaFeltで出演しました。今回はそのライブレポートをお届けします。

【 イベント内容 】

ミュージシャンとライブペインターが2人1組になり計3組が出演。

40分間の演奏中に
ライブペイントをしながら
作品を描いていきます。

【 イベントの面白さ 】

筆者はEmi Yukaさんとコラボレーションさせていただきました。初対面でしたので、どういう雰囲気の作品を描かれるのか分かりませんでしたが、むしろそういった点がこのイベントのおもしろさだと感じました。

リハーサルで少し音の雰囲気を聞いていただいたものの、

お互いに本番が始まってみないと
どうなるか分からない緊張感があり、
それがお互いの作品に影響を与える

からです。

事前に綿密に打ち合わせをして行うコラボレーションはもちろん良いですが、対照的に

作品としてのゴールが
どういうものになるのか
分からずに進む
決して予定調和にならない
コラボレーション

には、その瞬間の意識や場の空気感が色濃く反映されます。

描く途中のEmi Yukaさん

▼完成された作品

筆者には女性が涙を流しているように見えます。また雲に覆われているような雰囲気も伝わるし、左が自然の象徴としての植物、右下が人工的、工業的なモチーフにも見て取れます。

そしてそれらを

洗い流す=浄化するような雨、水の流れ

のように感じました。

そう考えると涙というのは慈悲とも読み取れる気がします。

画材を複数使われているので、光の加減で見え方が変わり、キャンバスの場所ごとの質感の違いによって作品が立体的に見えることが興味深いです。

鑑賞する人によって見方が変わる素晴らしい作品だと思いました。

【 それは日常でもある 】

予定調和ではないコラボレーションについてもう少し深く考えてみます。

日常で暮らす私たちは

人生の大部分において「こうなるだろうと」いう予測(=予定調和)のもとに行動

しています。それは意識的、無意識的にかかわらずに。

例えば、

・朝の通勤電車が時刻表通りにくる
・仕事の予定はすでに決まっているからその準備をする
・天気予報が午後から雨だから傘を持っていく
・待ち合わせの時間に合わせて自宅を出発する


など

それぞれが「こうなるだろう」という予測のもとに行動し、それがうまく組み合わさって(=コラボレーションしながら)社会が回っています。

確実に予測できる雲の形は存在しないし、全く同じ雲の形は2度と現れない

うまく回っている理由は

「それぞれが勝手にそう思い込み」、
「そうしようと行動している」

から成り立っています。

しかし、

その行動をしたからといって
望んだ結果が確実に手に入る
という根拠はありません。

あくまで望んだ結果が手に入りやすくなるという

確率が上がる

だけです。

(量子力学の考えだと変わってくると思いますが、ここではあくまで一般的な観点で書いています)

例えば、風邪をひかないように体調管理をしっかりしても、風邪をひく時はあるし、時間通りに出発しても電車が遅れ、予定時間に間にあわないこともあるし、予想していなくても突然ラッキーなことが起こったりします。

何が言いたいかと言うと、

私たちの日常での暮らし
そのものが予定調和ではなく、
結果が分からない不確実なものであり、

知っている、知らない両方の

無数の他者との
コラボレーションによって
形作られている

ということです。

つまり、大袈裟かもしれませんが、筆者が出演した

このイベントの内容は
社会で暮らす全員が
日々体験していることの縮図

であるわけです。そしてイベント内での出来事は

日常を音楽と絵で記号化した

とも言えます。

今回の機材セット

【 本当はそこにあるもの 】

イベント内容が「社会の縮図」であると言いたいのではありません。言いたいことは、社会に生きる全員にとって

日々の暮らしは決してルーティーンではなく、
思い込みにより結果がもたらされるのではない

ということです。

例えば、今年咲いた花は来年同じように咲くかどうか分からないように、

自然のものが不確実であるのなら、
自然と切り離して生きることができない
私たちの日常も不確実

であると言えます。

何が起こるか分からない、だからこそ、

「こうだからこういう結果になる」
という思い込みをすることには意味がない

わけです。

もっと言うと、

結果が分からないことをすることに
意識を向けると、日常がおもしろくなる

可能性があります。(ルーティーンではなくなる)

【 ささいなこと したいこと 】

社会を見回してみると過剰なほど便利になりました。しかし

何をするにも
無数のテンプレが溢れ、
「こうすればこうなる」という
予定調和になってしまいがち

かもしれません。

度が過ぎると、いつのまにか人生そのものがテンプレそのものになってしまいかねません。

筆者が言いたいのは、それが良い悪いという話ではなく、

結果がどうなろうと、
他人からどう思われようと、
自分がやりたいこと、
好きなことをするのが、
人生を歩むうえで
一番大切にした方がいい

ということです。

やりたいことは、例えばカフェでコーヒーをゆっくり飲んでぼーとするような

ささいなこと

も含まれます。

他人の目を気にせず、社会のこうあるべきを気にしすぎず、自分のしたいことをしながら、

自分を大切にしながら生きていく。


筆者は演奏中に「今、こういう響きの音が欲しいな」と思って鍵盤を弾くと、意識の中の風景がぱっと開けるような感覚があります。したいことを自分にさせてあげるというのは、そういうささいな場面のささいなことです。

そうやって、

自分をいたわることができると、
自然と他者へのいたわりの気持ちが芽生えます。

(経験談)

人がお互いにできるだけ自然体で接しながら、「こうあるべき」の思い込みをせずに暮らすことのできる世の中になればいいなあと、カフェで心を労いながら思いました。

演奏をお聴きいただきましたみなさま、コラボレーションさせていただいたEmi Yukaさん、共演者のカネコケンタさん、平塚りこさん、ジョウカダイゴさん、yonariさん、MagaYuraの扇芝さん、ありがとうございました。

筆者にとって気づきに溢れたイベントでした。

お読みいただき、ありがとうございました。







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