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文系エンジニアとして就職して3ヶ月で退職した話

初めに、これは誰かに偉そうにアドバイスしたくて書いたわけでも、御涙頂戴で書いたわけでもなんでもない。
ただしんどい今の状況を書き残しておいて、頭の整理がしたいのである。その上でどなたかからコメントいただけたりしたら、すごくありがたいなと思ったり…。

3月。大学を卒業して地元に帰ってきた。
就職先として選んだのは小さいIT系の会社だった。私は大学では日本文学を専攻していたのだが、バイトで一日中パソコンを扱っていても全く苦にならなかったことと、その時の先輩にプログラマーという職を教えてもらい、向いていると言われたこと、それから実際に自分でプログラミング教室に(ほんの数ヶ月だけ)通ってみて、なかなか興味深い。やってみたいと感じられたことなどが決め手だった。
何より未曾有のコロナ渦で、思うように就活が進まなかった。いつ返事が返ってくるのかも、そもそも採用が行われるのかもわからない他の会社を頼みにするより、今いただいている内定の中から決めてしまう方が得策だろうと考えて、5月には就活を終えたのである。


4月からは合同研修に参加した。私には同期がいなかったので、他の会社の方々と一緒に研修を受けた。
ここでは2ヶ月の間に基本情報技術者、Java、HTML/CSS、UML、SQL、ソフトウェアテスト、JSP、サーブレット、フレームワークなどを学んだ。

2ヶ月の間にこれらを学び、テストで点数まで出されるのは、なかなかに厳しかった。しかし、お金をもらいながらテキスト代も支払うことなく学べるというのは非常にありがたいことだった。特に私のような初心者には。
(学生時代に通った講座で学んだ言語はRubyだったので、ここでは全くのひよこだった。)

2ヶ月の終わりには演習課題もあった。グループを組んで、それぞれお題に合わせたサイトを作り上げるというもので、今まで習ったことを総動員して作業にあたった。
とはいえ所詮付け焼き刃。同じグループのプログラミング経験者の方にたくさんお力を借りて、不甲斐なさをビシバシ感じながらもなんとか担当の部分を作り上げ、課題を終わらせた。
この時は大変ではあったが、同じ文系卒の仲間がいたのでまだ頑張れた。


合同研修が終わって5月末。本社に帰ってきた。リモートワークということもあり会社にはほとんど人がいなかった。
私のOJT担当は社長だったので、今からやるべきことを尋ねてみた。
「じゃあSpringBootで本屋さんのアプリを作って。うちが前作ったアプリがあるからそれ見てやってみて。」

SpringBoot…名前だけは知っている。Javaのフレームワークだからなんとかなるだろうと思いつつアプリのコードを見てみると、自分の考えが甘かったことを痛感した。

読めない。全く読めない。どこがどう動いているのかがまずわからない。

まあ学んだことも読んだこともない言語だから当然かと思い、次の日にはテキストを買って一から勉強するよう試みた。基礎をわかってないと何も進められないだろうと思ったから。

しかし、そのやり方は非効率だとすぐに止められた。「必要なものだけ調べて持ってくればいいだけの話なんだよ。読んだらわかるでしょ」と言われる。
でも、何を書いてるか読めないぶん何がわからないかもわからないから、何を調べたらいいのかわからないんだ!!!
一日中パソコンと睨めっこし、自分なりに仮説立て・前提条件の確認をして紙に書き出す。エラーが出る。わからない。途中でギブを出して社長のところに持っていく。「答えを求めようとしないで自分で考えて」と返され、またデスクに戻る…

これを一日続け、最後の報告の時にそもそもの仮説・前提がおかしいと指摘される。じゃあ私の今日1日の時間はなんだったんだろうかと悲しくなって今日を終える。

しんどかったのはそれだけじゃなかった。
社風でもあるのだろうが、全く雑談がない会社の雰囲気が非常につらかったのだ。出勤してから退勤するまで、一切(電話以外)しゃべらない社員さんばかりだった。目を合わせて挨拶しても、一度も返してくれない社員さんもいた。

ただただキーボードを叩く音が聞こえてきて、自分は相変わらず何もわからなくて、そもそも今考えている原因の仮説が合っているのかもわからなくて、でも聞くこともできなくて。
(一度先輩にわからないことを尋ねてみたら、社長がそれをみていたらしく、あとで聞いたことを咎められたため、そこからは尋ねることはしてはならないのだとひたすら自分の頭とパソコンだけで答えを出そうと頑張っていた。まあ全然うまくいかなかったけど。)
そしてまた、ああ情けないと思いながら帰宅する。


こんな生活を続けていたら、体に異変が現れた。
二週間で体重が5キロほど落ち、眠れなくなり食べれなくなった。自殺願望のようなものまで芽生えてきて、ああこれは自分の負けだな。となんとなく悟った。ここまでが6月中旬。

次の日、退職の旨を社長に伝えた。OJT期間だったため、即日退社ということになった。
情けない話なのだが、即日退社になると思っていなかったので、退職願をまだ書いていなかった。その場でインターネットを使い「退職願 テンプレ」とかで調べ、急拵えで書き上げた気がする。

そんな感じで、私はせっかく入った会社を早々に辞めてしまった。辞めたことに後悔はしていない。どうせ時間の問題だっただろう。

ただ、不甲斐なさと情けなさがずっと燻っていて、自信なんてものがなくなってしまった。
あの会社に合わなかったというのと、エンジニアとしての学び方みたいなものに全く適応できなかった。とりあえずやってみる。みたいなものがどうもできなかった。向いてなかったということなのだろう。

今は自分が何がしたいのかがわからなくなっている。周囲からはありがたいことにちょっと休みなよと言ってもらっているが、友人や兄弟はちゃんと働いてる中、何もしていないことに非常に気持ちが焦る。
今願っているのは、次の会社はわからないことは少しでも聞けて、雑談とかができるような社風であること。土日が休みであれば嬉しいけども…

少し休んだら、やりたいことが芽生えてくるのか?
やりたいことじゃなくても、どこか会社に入り直して、それなりに生活できるようになるんだろうか?
今私は何をしたらいいのだろう。
とりあえず、寝る。

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